第59話 切り札は黄色
「お茶もなくてごめんなさいね」
「いえ……」
私たちが通されたのは二階にある小さな部屋。いつもは商談などに使われているらしい。
「アイリスぅ……だいじょうぶ~? ぼくレッくん呼んでくるぅ?」
「レッくんは迷宮にゃ。むりにゃ」
うん。それに、レッテリオさんを呼んでも何も変わらない。
これは気軽に蜂蜜ダイスをあげてしまった私のミスだし、工房の見習い錬金術師として対応するのが当然の事柄だ。
「単刀直入だけど、これ」
彼女――確か名前はエマさん。
エマさんはポケットから二枚の紙切れを出し、テーブル中央へ置いた。
「……ん?」
あっ……! 蜂蜜ダイスの包み紙……しかも黄色と……赤!
ああー! 嘘ー!! 赤ー!!
黄色だけなら前に作った普通の蜂蜜ダイスだったのに……赤は! 赤色の包み紙はイグニスと作った『ポーション蜂蜜ダイス』だ……!!
「
ああ、笑顔が……!
この前は『うっかり落とされちゃいそうな素敵な笑顔』とか思ったけど、今日は違う意味で落とされてしまいそう……!?
「あー……よ、よかったです! えっと、今日はお元気そうで……」
「ええ、お陰様で。あ、そうそう、この前もね? 錬金術師さんに頂いた蜂蜜菓子を食べたらすぐに元気になったのよ? 空腹と疲れでフラフラだったのに――まるで『ポーション』を飲んだみたいにね?」
ピシリ。
気合を入れていたはずの作り笑顔が思わず固まった。
これは……完全に勘付かれている。
「……そんなお菓子があったら良いですよね。でも、私の蜂蜜菓子はそんなものじゃないです」
黄色の包みの方は、だけど。
うん。嘘は言ってない。
「……そう?」
エマさんはじっと私の目を見つめる。
「はい。あれは何時間も研究調合しっぱなしで寝食を忘れるような錬金術師特製の栄養価の高い携帯食だから、だからきっとすぐに元気になったんです、よ!」
うん。これも嘘じゃない。
……一気に理屈を並べてしまったけど、ちょっと言い訳がましかった……かな?
ドキドキと鼓動がうるさい。
大丈夫、きっとバレない。
だって、食品にポーション効果を添加するのは無理だというのが定説だ。商業ギルドの職員さんならそんな当たり前のこと――。
「……私ね、薬種問屋の娘なの」
コトリ。
エマさんがテーブルに出したのは『蜂蜜ダイス』
「だから薬草とか薬の味や香りや効果なんかにすごく敏感でね? 二つ目を食べて気のせいかとも思ったんだけど……気になったから一つはとっておいたの」
ああそうだ。そういえば三つあげたんだったっけ!?
「アイリスさん、どう? 私の気のせい?」
私は窺うその目を受け止めながら思った。
偶然だけど、三個目の蜂蜜ダイスがこれで良かった……! と!
「それともこれ……調べてみても良い?」
――調べる?
そんな手間をかけてまで蜂蜜ダイスの秘密を知りたい……いや、そうだった。知りたいはずだ。
ポーション効果のある食品が発明されれば、食品、薬種、様々なところに影響が出る。
商業ギルドの、それも実家が薬種問屋の娘さんならば、これの価値と影響力を正確に理解しているだろう。
きっと私よりもだ。
「調べるのは構いません。でも……これは普通のお菓子ですよ?」
私はニコリと笑い答える。
「……そう?」
戸惑ったような動揺したような、そんな風にエマさんの目が一瞬揺れた。
これは……誤魔化せたかな?
「……ねえ、それにあなた、錬金術師ギルドとか薬種ギルドに所属はしてる?」
「え? いえ、まだ見習いなので特には……」
試験に合格して就職をしたならどこかに所属することもあるだろうけど……?
先生たちは王立錬金術研究院所属だし、故郷のガルゴール爺は町場の錬金術師だけど……どこかのギルドに登録しているのだろうか?
元研究院の講師だったって言ってたから、ガルゴール爺も研究院所属のままかもしれない。
「私はこれを横取りしたいって言ってるわけじゃないの。でも、もしあなたに売る気があるなら私が買い付けたいとは思ってる。もっと言えば、できれば私に協力させてもらいたい。開発費や流通させるための全てに投資したい」
「えっ……」
「あのね? ギルド未加入者のトラブルはすごく怖いの。特にお金になる薬種は厄介よ。……身の危険だってあるの」
そう……いうものか。
レッテリオさんはまだ大っぴらには知られないほうがいいとだけ言っていたけど、業界が大騒ぎになるってだけでなく、そういう心配もあったのか。
――だから領主様にまで献上をするんだ……。
勿論、携帯食として新規に採用するのだから、上に報告をするのが当然だろうけど、それだけじゃなかったんだ。
先生やギルドの代わりに、私を守るために必要な後ろ盾を用意してくれるんだ。
「どう? アイリスさん。この蜂蜜菓子のことを私に教えてくれる気はある?」
「それは……」
無理だ。駄目。
エマさんが私を心配して忠告してくれたのは分かる。でもそれだけじゃないのも分かってる。彼女は商人だ。
この『ポーション蜂蜜ダイス』に商機を見出した。
だからこその忠告であり、助言。協力の申し出だ。
――これから領主様へ献上予定なんだもん。先に誰かに知られてしまうのは絶対に良くない。多分、面子とか。
それに私は今これを売り出す気はない。自分とレッテリオさんに渡す分を作るだけで精一杯だ。
だから、答えは決まっている。
「教えるも何も、これは美味しくて栄養満点で即効性のある、錬金術師特製の蜂蜜菓子ですよ」
そうなのだ。嘘じゃない。
だってエマさんが出した切り札――この
調べられたところで何も出てこない。
「調べてもらっても構いません。でも調べ終わったら食べてくださいね? お湯に溶かしても美味しいですよ」
私の目を覗き込むように見て、そしてエマさんは、ハァとひとつ溜息を吐いた。
「……分かったわ。変なことを言ってごめんなさい。うん。この蜂蜜菓子って美味しいわよね。本当に、売ってもらえるなら買いたいくらい」
そう言って、彼女は蜂蜜ダイスを口へポイっと放り込んだ。
「あ、ところでアイリスさんのご用件は? 私の話だけしちゃってごめんなさいね」
「あ、いえ。えっと……スライムの下処理をお願いしたくて、お願いできそうなところを紹介して頂けないかと思って……」
「スライム? どんな下処理を?」
私は
するとエマさんは「ん?」と首を傾げる。
「
「あ、作り方をご存知なんですね。その通りなんですけど――」
乾燥させた経緯と作り方を説明すると、エマさんは納得した顔をし「ちょっとこれ、下処理をする代わりに実験というか、研究をしてみても構いませんか?」と、逆にお願いを口にした。
商業ギルドは組合員の相談に乗るのも仕事で、エマさんはとある
そこへ私の『あべこべな作り方で一見、二度手間の乾燥スライム処理』の依頼が飛び込んできた。
それは錬金術を使わない安価な
私たち錬金術師は、
魔石を動力とした粉砕機もあるけど、どちらにしてもプルプヨのスライムを粉砕するのは骨が折れる。
だけどそれが、乾燥させたカラカラパリパリのスライムならば――。
「これ、上手くいけばこの乾燥製法を売ることで依頼料をかなり割引できると思いますよ」
えっ、割引!? 嬉しい!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます