第58話 乾燥スライムは砕けない

「うっ……これ、大変すぎな……い?」


 私は『乾燥スライム』を砕く手を止め呟いた。






 ランチの後、早速『乾燥スライム』の処理……の前に、私は一人、保管庫へと向かった。

 まずはルルススくんとイグニスでは出来なかった、迷宮素材の保存処理をしなければならない。

 とりあえず保管庫に入れておいたので、素材の鮮度に問題はない。だけど完璧に保管するためには必要な処理があるのだ。

 乾燥に弱い『星ノ藻ほしのも』は保存用の水槽に移し、『玻璃縦羽の羽根はりたてはのはね』は五枚ずつ蠟引き紙で包み『状態保持』の陣を刻んだ箱に仕舞った。


 そして、それから大きな袋三つ分のスライムに手を付けたのだけど……。


「あ~……大量に運べるよう乾燥させたにゃね。うにゃにゃ……これ、一回んにゃよね?」

「そうです……」


 そう。のだ。

 保存紙ラップを作るには、乾燥スライムを一度水に浸けふやかして、元のプルプル状態にする必要がある。

 それからスライムを細かくして型に嵌め乾燥させるのだけど、水分を含んだスライムは切りにくい。

 だから風の魔術で斬り粉々にするのが教科書のやり方。

 けれど私は風の魔術が得意でなく、迷宮からの運搬にも問題あった。そのため今回は、スライムを乾燥させ、先に粉々に砕いてからもどす方法を取ったのだ。


 基本の作り方とは違うけど、この方がきめ細かい保存紙ラップが出来そうな気がするし、風の魔術が苦手な私でも手作業で問題ない。


 ――問題ない。

 ああ、そう思った私が浅はかでした。


「んにゃ〜果てしにゃいのにゃ〜……」

「まだ一袋も出してないよぉ〜」


 カラン。


 乾燥スライムを取り出してくれていたルルススくんがペタリと座り込む。


 ガリ、ゴリゴリ、パリン。


「そうだねー……」


 私も手にした麺棒を置き、作業台に突っ伏した。

 大きなたらいにはまだまだ粗い砕きかけの乾燥スライムが山盛り。しかしこれはスライム十五匹分だ。

 約百五十匹のスライム山の、まだ一合目でしかない。


「……にゃあ? アイリス、これギルドに依頼として出してみたらどうにゃ?」

「ギルドに?」


 ギルドかぁ……。

 見習いの身分的には自分で作業するのが筋だけど……。


 眼前には攻略し難いスライムの山。そしてじんわり疲労が広がる二の腕。


「うーん……お金、かかるよねぇ……?」

「そにゃあお金はかかるけど、優先順位と時間を考えにゃいといけにゃいと思うにゃ。アイリスが今やらにゃきゃいけにゃいことはにゃんにゃ?」

「私がやることは……スライムの処理、保存紙ラップの製作、あと十日後までに携帯食の製作……あ、スープとかも色々試してみたいし……」

「買い出しにも行かなきゃごはんも材料も何もないよ〜」

「あ、そっか」


 あれ? こうして口に出してみると意外とやる事が多いかも?


「優先にゃのはどれにゃ?」

「……レッテリオさんとの約束。携帯食の製作です」

「そうにゃね! 商人も錬金術師も約束は大事にゃ! たくさん納品もあるんにゃし、余裕をもってやった方が良いと思うのにゃ」


 確かにそうだ。

 保存紙ラップは今回の納品にも使うから、作らなきゃいけないのは確か。でも携帯食の製作と違って全部を私がやらなきゃいけないじゃない。


 そう、今回は実習じゃなくてお仕事なのだ。


「……スライムの処理だけならそんなにお金かからないよね」


 たぶん。砕くところまでお願いできれば良いのだ。

 保存紙ラップの作成は今回使う分だけにして、残りは追々、時間がある時に作ればいい。

 それに、砕いてあればこの嵩張る乾燥スライムも保管しやすいし、保存にも問題ない。むしろ良い!


「よし! 買い出しも兼ねて街に行こう! 依頼を出すなら早くしなきゃね!」

「やった〜〜! ぼくねぇ〜オヤツがほしい〜」

「ルルススも依頼をだすにゃ」

「え? ルルススくんも?」

「そうにゃ。アイリスからもらった『高脚蜘蛛の糸』で紐を編んでもらおうと思うにゃ。これは縫製ギルドかにゃ〜それとも職人ギルド? 商業ギルドで紹介してもらおうかにゃあ?」


 私は目を瞬いた。

 そうか。ギルドにも色々あるんだよね。


 私のスライム処理は採狩人ギルド? それとも商業ギルドを通して下処理をしてくれる工房に依頼するのかな? あ、もしかして街の錬金術工房に依頼を出すことになったり? スライムの下処理って見習いの仕事なんだよね……。


 そういえば……街の錬金術師にもギルドはあるのだろうか?

 私の身近な錬金術師は王立研究院所属の先生たちか、故郷の村唯一の錬金術師ガルゴール爺だったから、あまり意識したことがなかった。


「ね〜ルルススぅ、くもの糸編んでどうするの〜?」

「にゃ? アイリスの髪留めの滑り止めと、飾りを付けた髪ゴムを作りたいのにゃ」

「あ、じゃあ先にコーティングだけする? でも加工に出すならそのままが良いかな?」


 今回の糸は珍しい高品質だから、できるだけ劣化を防ぎたいと言っていたはずだ。


「んー今回はお試しにゃからそのままでいいにゃ! 加工に出さにゃい分だけはあとでコーティングをお願いするのにゃ」

「うん、了解」

「あっ! ね、ね〜ルルスス〜アイリスの髪留めにこれ付けて 欲しい〜! これ僕の魔石〜! すっごくキラキラしたのが作れたんだぁ!」


 と、イグニスがパッと紅い魔石をいくつか出し、作業台へ転がした。

 薄紅色、金赤、真紅……色味も大きさもバラバラ、一番小さい薄紅の石は胡椒の実くらいで、一番大きい真紅の石は角砂糖ほどの大きさだ。

 これはなかなかの大きさ……それに、すごい透明度! 『真紅』なんて深い色なのに、向こうが透けて見える。


「んにゃにゃ! いいにゃね……すごい魔力にゃ…………イグニス、これどうやって作ったにゃ?」


 私もそれさちょっと気になる。

 これ程の輝きと色の魔石をイグニスが作り出せただなんて……。こんなに精霊としての魔力を高めていたなんて全然気づいていなかった。

 お料理の腕が上がっただけじゃなかったよ!


「ふふ〜〜さっきのキッシュがおいしくて、なんだか力が湧いてきたから固めたんだよ〜!」

「……にゃるほど?」


 キッシュ……?

 え、イグニス、そこは『迷宮に行って力が上がったんだよぉ〜!』じゃないの!?



 ◆



 買い出しメモ、お財布、予備の袋と乾燥スライムのサンプルをリュックに詰めて、私たちは商業ギルドの扉をくぐった。


「あ、よかったそんなに混んでない」


 街もギルドも、開門したてだった前回のような混雑はなくホッとした。

 これなら買い出しまで問題なく済ませることができそうだ。


「ルルススくんは糸の職人さんか工房を紹介してもらうんだよね?」

「そうにゃ!」

「それじゃ私が相談するついでに……」


 ぐるっと見回すと、受付カウンターの女性と目が合った。

 あれ? もしかしてあの時の……と思ったその瞬間、彼女はカッと目を見開き、バタン! とカウンター板を跳ね上げこちらへと駆け出した。


「えっ」

「ん〜?」

「にゃんにゃ?」


「あの! 森の錬金術師さん!!」


 ガシッと、力強すぎる握手で両手を包まれて、嫌な予感が頭をよぎる。


 ――もしかしてあの時渡した『蜂蜜ダイス』……。


「この前は、でした」


 ニコッと微笑むその瞳は、やけにギラリと煌めいていた。

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