第40話 ヴェネトスの迷宮・第二層

 その後、二層での戦闘は最小限に、採取もせず真っ直ぐ第二層へと向かった。

 ちなみに一層で出会ったスライムや角兎は、魔石のみ頂戴して本体はそのままにした。魔物の亡骸というものは、迷宮内に限り一定時間放置すると消えてしまうので色々と心配はないのだ。


 そして草原の先にあった階段を降りると、途端に景色が変わった。

 第二層は草原と林のエリアだ。草が広がり明るく、地下なのに空? があるし気象も変わるのが迷宮のふしぎ! それから一層に比べ、ここは高い木の林が点在していて所により薄暗い。


「なんだかこの林……静か。あんまり生き物の気配がしないような?」


 この二層も話を聞く限り目ぼしい素材は無さそうだけど……三層の階段まではどのくらいか……――ん?


「レッテリオさん……? あの、なんか棘……? 毛? の生えたあの木って何ですか……?」

「ああ、あれは触らないでね。食べられちゃうよ」

「え!? 木に!?」


 そんな魔物ここにいたっけ!? 二層にいるのは――。


「あ、でも糸欲しかったりする? 次は十層まで出てこないし、欲しいなら採ってくるよ?」

「まさか……あれ、高脚蜘蛛タカアシグモですかっ!?」


 でかい……!! 想像より全然大きい!!

 え、五メトルはあるんじゃ……ない? いや、もっと? ていうか……一匹じゃな……い!?


 ゾワッと背筋が泡立った。


 よく見れば木のように見えたものは脚で、その上に目を向ければ丸く大きな胴体が。そして林に風が吹き込めば、脚に生えた硬そうな毛が風にたなびいて、それは木ではないと明確に教えてくれている。


「れ、レッテリオさん、ほんとにこれ……通って大丈夫……?」


 木から垂れ下がる、茶や灰色に薄汚れたこの白い物は壊れた蜘蛛の巣だろうか? ふわふわ、ゆらゆら。この林に薄気味悪さを演出している。

 なんていらない演出だ!


「うん、大丈夫。ここのは本体とか巣を触らなきゃ何もしてこないから――ッ、アイリス!!」


「えっ」


 べとっ、と。肩に何かが貼りついた気がした。


「えっ!」


 ヒュン! とに肩を引っ張られ、体が宙を舞った。何が起こったのか分からないほどの一瞬。抗えない力で木々の間を引き上げられ、地上から離されていった。

 そして、目に映ったものは。


「えっ……!?」


 私の顔ほどの大きさがある、大きな大きないくつもの目。赤く爛々と輝いて見えるそれは、高脚蜘蛛タカアシグモの目。


 途端、理解した。私の肩に張り付き、そしていま左腕にまで巻き付いているのは高脚蜘蛛の糸。細いが丈夫で伸縮性のあるこの糸は、より合わせれば更に強くなる。それが何本も、何重にも巻き付いていて、まるでロープで拘束されているかのよう。


 ――人気素材なのも納得……っ! 振り払うどころか全く腕を動かせない!


 腰の杖を抜けたとしても私の火魔術では切れるとは思えない。あっ、肩にいたイグニスは……!?


「アイリスぅ〜〜!!」


 下だ! 涙声だけど無事だ! 良かった巻き込まれてなかった! イグニスの炎で糸を焼いてもらえ……ったら、駄目だ!!

 高脚蜘蛛の糸は非常に燃えやすいから、炎が触れたところから火が回ってしまって私まで……!


「アイリス動くな! 」

「レッテリオさん!」


風よウェントゥス、 断ち切れ!」


 魔術――!?


 レッテリオさんの『ことば』と共に、私を引っ張っていた力がブツリと切れて空に体が放り出され、そして急降下。


「ひぇっ……!」


 内臓がぶわっと浮き上がるあの嫌な感じ。

 落下しながら上を見ると、私を見つめていた赤い八つの目が若干残念そうにしている気が……。


 ――けど、待って! 私、落ちてる……!!


風よウェントゥス! 」


 地上までは多分あと少し。恐怖に目をつむったその刹那、フワッと身体が持ち上げられた。


「おかえり、アイリス」

「アイリスぅ〜〜! もぉ〜〜!!」


 ゆるり目を開けると眼前にはレッテリオさんとイグニスが。イグニスは涙顔で、レッテリオさんは少し険しい表情ながらにホッとした様子。

 そしてレッテリオさんにグイと腕を引かれ浮遊感が無くなると、その腕に身体を受け止めらた。


「レッテリオさん……」

「よし! 走るよ!」

「えっ」


 私を抱えたまま、レッテリオさんはイグニスを肩に乗せ林を走り出した。

 垂れ下がる蜘蛛の巣の残骸を避け……ああ、今なら分かる。揺れる糸の中、稀に新しそうな白い糸が混ざっている。きっとアレの続く先は蜘蛛のお尻。アレは糸だ。


 私が引っかかったのはアレだ。


「くっ、蜘蛛が来ます!?」

「いや、追い掛けては来ないけど糸を飛ばしてくる!」


 それって……捕食するために?

 あの残念そうな目が頭をよぎりまた背がゾッとして、思わずレッテリオさんのシャツにギュッと縋り付く。


「イグニス! 何か足止めできる?」

「ま〜かせて〜〜!」


 林を抜けた途端、イグニスは肩上で後ろを向き大口を開け、そして――。


 ゴォ……ッォン!


 背中から熱風が吹き付けた。一体イグニスは何をやったの!?


「炎の壁だよ〜これで糸は飛んで来ないね〜!」


 フン! と得意そうに、誇らしげに胸を張る。


「……レッテリオさん、あれ、火事になりませんか!? 大丈夫です!?」


 ああ、飛んできていた糸が導火線のよう炎を巡らせている。風に乗って揺れていた糸たちも、カーテンが燃えるように火が移っていた。


「イグニス、あの炎を消せるかな? もうアイリスは安全だよ」

「え〜……くも丸焼きにしちゃダメ〜? ぼくアイリスをとられて怒ってるんだけどぉ……」


 ぷくぅと膨れるイグニスは可愛いけど、迷宮とは言えさすがに林を焼くのは忍びない。蜘蛛だって……積極的に追っては来てないのだ。


「高脚蜘蛛は巣や糸に引っかかった獲物だけを獲るんだよ。それにアイツ、意外と火に強いから丸焼きは難しいかも」

「ん〜……わかった〜! 消すよ〜」


 カパッと口を開き胸いっぱい息を吸い込むと、炎はイグニスに吸い込まれるようにして一瞬で消えた。

 丘を登り脱出した林を見ると、一部が黒く焦げていたが林も蜘蛛も無事? のよう。あの蜘蛛……本当に頑丈なんだね!? 炎の精霊サラマンダーの炎にも負けないなんて、好戦的な性格だったら逃げる事は叶わなかっただろう。


「はぁー……もう大丈夫だね。アイリス怪我はない? 立てそう?」


 顔を覗きこまれハッとした。

 そうだ、レッテリオさんに抱えられたままだ……っ!


「はいっ! 下ります! ごめんなさい重かったですよね!?」

「大丈夫だよ? アイリス抱えて走るくらい訓練に比べたら全然楽だから」


 足下気をつけて? と付け足して、レッテリオさんは草原にそうっと私を立たせ……た、立てない……!? えっ!?

 脚がぐにゃぐにゃになったみたいに全く力が入らない!


「アイリス!」

「ごっ、ごめんなさい、腰が抜けた? 膝が笑っちゃって……!」


 ブルブルと震える膝で、私は支えてくれたレッテリオさんの腕にしがみつく。




「……むー。ぼくもっと大きくなりたいなぁ〜〜」


 両手をわきわきにぎにぎさせて、イグニスがそう呟いていた。

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