第33話 上手に焼けました!〜兎花の酵母の田舎風パン〜

 二次発酵がおわった生地をさっくり二つに分ける。作るのは二種類のパン!


 まずは基本の『田舎風パン』から。

 生地を半分に折り奥から手前へ、引き寄せては丸めて……を二、三回繰り返して完了。


 次は『野菜入りのパン』だ。

 生地に下茹でしておいた彩人参とバターで炒めた玉葱、それからチーズと切った時に出た屑ベーコンも入れ、捏ね混ぜる。

 混ざったら後の手順はさっきと一緒。


「よし。保存紙ラップをかけてベンチタイム……半刻でいいかな」

「は〜い!」


 作業を見ていたイグニスが、砂時計に飛び乗りクルリ、砂時計を回してくれた。


「ふぅ〜。パン作りなんて久しぶりだけど、焼き上がりまで長いよね」

「そ〜だね〜。次はぼく色々できるといいなぁ〜」

「ふふっ。試してみようね」


 いつかイグニスがあっという間にパンを焼き上げてしまうようになったら、私はパン屋さんになるのも面白いかもしれない。

 錬金術師のパン屋さん……。うん、悪くないかも。


 ポーション蜂蜜ダイスをちゃんと検証して、一人前の錬金術師になって。どこかに就職するのもいいけど、この工房のような環境でのんびり錬金術の効果付きパンをイグニスと焼いて、売って、たまに採取に行って……。


「ああ、それいいなぁ」

「ん〜〜?」

「あっ、なんでもない! 」


 思わず呟いてしまったが、炎の精霊サラマンダーにはちょっと失礼になる妄想(パン屋さんやろう! なんて)だろう。

 フルフルっと頭を振ったら、まとめていた髪がはらりとほつれ落ちてきた。


「あー……また崩れてきた」


 いつもこうなのだ。

 髪質のせいか私が不器用なせいか……イグニスは「たぶん両方だよ〜」と笑うのだけど、背中の中程まで伸びた髪は、束ねた所からたゆんで緩くなってしまっている。


「んん〜アイリスの髪はほそくてサラサラだからねぇ〜」

「結い紐じゃすぐ崩れちゃうんだよね。なんかこう……滑り止め付きとか伸縮性のあるものとか……そういうの欲しいなぁ」


「髪留めはどうにゃ?」


 洗い物を終えたルルススくんが、両手をピピピッとはじき、挟むタイプの髪留めを差し出してくれた。

 施された飾りは色とりどりの貝殻や珊瑚の欠けら。きっとここへ来る前、海辺の街を通って来たのだろう。

 ここヴェネスティ領は海も山もあるのだ。ここからもそう遠くはない。


「わ、きれい! 借りていいの?」

「どーぞにゃ! ルルススは使えにゃいからぜひお試ししてみて欲しいのにゃ」

「んー……ああ、残念。留め金に滑り止めがあれば留まるんだけど、これだとスルッて抜けちゃうみたい。せっかく貸してくれたのにごめんね」

「気にしにゃいで! そうにゃか滑り止め……にゃんかできにゃいか考えてみるにゃ」


 ルルススくんは鞄に髪留めを仕舞い、考えながらその中を引っ掻き回しているよう。


「改良して更に売れる商品にするのも商人の楽しみなのにゃよ」

「それは分かるかも! 錬金術師も似たようなものね」

「あ、とりあえずコレどーぞにゃ」


 私はルルススくんが新たに出してくれた革紐で髪をくくり直す。うん、革の抵抗感が滑り止めになってるし少しの伸縮性もあってこれはいい。


「ありがと! ルルススくん」


「あ、アイリス〜そろそろだよ〜」

「えっ、もう半刻!?」


 ベンチタイムはあっという間だった。


 ◆


 次は二つの生地を成形していく。

 丸い籠に入れておいた方はそのまま天板にひっくり返し整えて、十字にクープ(切り込み)を入れる。


 もう一つ、彩人参と玉葱、チーズを入れた方は、パウンドケーキを作るのに使っていた長方形の型に入れる。

 野菜パンは仮称『パンダイス』……いや、約二セッチ四方の蜂蜜ダイスよりだいぶ大きい約五セッチ四方にはなるだろうから――。


「『キューブパン』かな?」


 うん。『蜂蜜ダイス』と揃えるなら『パンキューブ』だろうけど、何となく『キューブパン』の方が語呂が良い感じがする。




「それでは……イグニス! よろしくお願いします!」

「はいは〜い! ここまで見まもってた酵母たちの声をきいて〜……」


 えっ、そんな器用なことできるの? イグニスすごいね!?


 イグニスはカパッと口を開け、まずは少し強い炎を。それから少し温度を下げた熱でパンを包む。

 キラキラ、キラキラ。炎の精霊サラマンダーのが生み出した炎と熱は輝かしい紅。古来、強い力である炎は武力として行使される事が多かっただろう。

 しかし今、イグニスが生み出し包む炎は熱いけれど柔らかく、そして優しい輝きを伴っている。


 ――イグニスの炎ってなんかこう……ぬくぬく温かいんだよね。

 温泉地の出身だから? なんて馬鹿なことも考えてしまうけどそうじゃなくて、イグニスはその炎を『力』として行使しないからこそ、なのかもしれない。




 そのうちに、光と熱がじんわりと引き、ほわほわとした湯気と香ばしい匂いが立ちこめる。


「焼けたよ〜〜!」


 浮かび力を使っていたイグニスが、くるりとひと回りし作業台に足をペタリと付け、パタパタ私へと走り寄る。


「イグニスありがとー! うわぁ! いい匂い!!」

「ほんとにゃ〜! イグニスこのパン焼いたの初めてにゃの? 大成功にゃ!」


 くんくん、くんくん。

 ヒゲをそよがせ匂いを嗅ぐルルススくんと私。胸いっぱい吸い込むパンの香りは、香ばしくてどこか甘くて、そしてなんだか……嬉しくなる香り!


「ねぇねぇ〜! どうかな〜? ちゃんと中まで焼けてる〜?」


 見てみて! とイグニスはパンの周りをペタぱた走る。


「じゃあ切ってみようか! ……あっち、あっついね!」


 まだ熱いパンを布巾で押さえて、まずは丸い『田舎風パン』を半分に切ってみる。するとフワァ……! と白くて甘い湯気が新たに立ち昇る。


「にゃぁあ!」

「ンンン 〜〜!」

「うん……! 大成功だね!!」


 私は半分に切ったパンを更に半分に、四分の一にしてから薄くスライスする。


「ちょっとずつ味見ね?」

「やったにゃ!」

「うわぁ〜い!」


 本当はもう少し多めに味見したかったけど、半分は明日のお弁当用、残りは夕食と朝食用でもあるので……ちょっとだけで我慢!

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