第65話秘めた交渉とパスタスナック
「失礼いたします」
微かな緊張をおしとどめた声で、自国から連れてきた部下のひとりが紅茶を運んできた。
突然のヴィセルフの来訪に、慌てて準備に行ってくれたのだろう。
我が物顔でソファに腰かけるヴィセルフと、対面に座する僕。順にティーカップを置いて、ポットから温かな紅茶を注ぐ。
それから少し迷ったようにして、カップの横に小皿を添えた。
相手がヴィセルフだということもあり、摘まめる菓子も用意してくれたのだろう。
けれども置かれたそれを見て、僕は思わず「おや?」と疑問を口にした。
椀状にくぼんだ小皿に盛られていたのは、チョコやクッキーの類ではない。
指先より少し長い、黄褐色の捻じれた細い棒状の菓子。
菓子……で、合っているはずだ。紅茶に添えられたのだから。
「これは……?」
退室の姿勢をとった部下にではなく、目の前のヴィセルフに訊ねる。
なぜなら"余所者"である部下の彼が、自ら菓子を用意できるはずがない。
この城の使用人から受け渡されたものを、運んできたにすぎないのだから。
紅茶をひとくち嚥下したヴィセルフは、迷いなく自身の小皿に入るそれへと手を伸ばし、
「パスタスナックだ」
「……以前、太陽と果実酒を愛する国で"パスタ"と名のつく料理を食しましたが、こうした菓子は初めて見ました。そちらから新しい料理人を連れてきたのですか?」
「ちげえ。食わねえなら寄こせ」
「いえ。いただきます」
ひとつを指先で摘まみ上げ、口内に放る。
噛みしめると同時にカリッと軽快な音をたてたかと思うと、やや強い塩味が広がった。
――おいしい。
砕けるたびに風味を増す小麦の甘い香りが、塩気と心地よくあわさり、鼻を抜けていく。
僕の反応がお気に召したのか、ヴィセルフはにやりと口角を上げると、
「そういや、コイツに胡椒を振りかけたやつも美味かったな。チーズとも相性がいい。だが、俺のイチ押しは……」
小瓶を手に取ったヴィセルフが、パスタスナックの上で傾ける。
「はちみつだ」
とろりと滴る黄金の液体が、パスタスナックをてらりと輝かせる。
宝石のような艶めきをまとったそれを口に放り込み、ヴィセルフは満足そうに紅茶を嚥下した。
「……僕も試してみても?」
「好きにしろ」
ヴィセルフに断りを入れ、僕も小瓶をパスタスナックの上に回しかける。
未知への興奮に、心臓がどくりどくりと高鳴る。
捻じれの窪みにたっぷりと溜まった蜂蜜が垂れ落ちないよう、手を添え慎重に口へと運んだ。
「! こ、れは」
蜂蜜の優しい甘味の中にちらちらと顔を覗かせる塩気が、遊び心を加えつつ味覚を刺激する。
その悪戯な調和をもっと味わいたくて、自然と手が次のひとつを舌の上へと招いてしまった。
再び楽しんでから紅茶をゆっくりと含むと、蜂蜜の甘さが渋みと混ざり合い、残るのは穏やかな心地よさ。
「……もしかして、これもティナ嬢の考案ですか」
お茶会で振舞われた"異質"な数々の考案者は、彼女だと聞いた。
ならばきっと……と確信をもって訊ねた僕に、ヴィセルフは「そうだ」と肯定するなり僕を見て、
「レイナス。ティナからは手を引け」
「……はい?」
突然の本題に、反応が遅れた。
ヴィセルフはぞんざいな仕草で足を組むと、
「テメエのことだ。ティナを欲しがるのは、アイツのこうした部分に目を付けたからだろ。それと、俺への当てつけもか」
ドキリ、と。跳ねた心臓は、ヴィセルフに悟られなかったはずだ。
僕は笑みを崩さないまま、困惑したように肩を竦め、
「心外ですね。僕に婚約者がいないのは、ヴィセルフも知っているでしょう? 兄上しかり、カグラニアでは王族も"自由恋愛"が認められていますからね。僕はただ純粋にティナ嬢に惹かれ、婚約者として迎え入れたいと――」
「ハッ! 自由恋愛? よく言うぜ。決まり事があろうがなかろうが、テメエが損得なしに"婚約者"を決めるだなんて、海が空になるってくらいあり得ねえ」
蔑む笑みをひっこめ、赤い双眸が怒気をはらむ。
「テメエの性根くらい把握してる。あまり俺サマを見くびるなよ」
「……そういう、意図はないのですが」
嘘だ。僕の知るヴィセルフならば、うまく丸め込めると踏んでいた。
真偽はどちらでもいいのか、ヴィセルフはフンと鼻を鳴らし、
「いいか、よく聞け。これは"交渉"だ」
「交渉?」
"あの"ヴィセルフが? と過った言葉は飲み込む。
すると彼は「そうだ」と腕を組み、
「このまま大人しく引き下がるってなら、この先お前の要請がある場合に限り、ティナの協力を認めてやってもいい」
「え……?」
「が、俺の提案を蹴って、変わらずティナにちょっかいかけるってんなら……。俺が王座を得たその瞬間から、ティナには二度とテメエにも、カグラニアにも関わらせねえ」
「…………」
(本当に変わったな、ヴィセルフ)
記憶にあるままのヴィセルフならば、僕がどんな婚約者を選ぼうと"興味ねえ"の一言で片付けていただろう。
なのにこうしてわざわざ、自ら足を運んでまで、彼女を奪われまいとしている。
(おまけにこの僕と、"交渉"か)
気に入らないのならば「今すぐ二度と関わらせねえ」の一言で、それを実現するだけの権力を既に持っているというのに。
事実、これまではそうしていたはずだ。
なのに今回はわざわざ選択肢を用意して、僕に選ばせるという譲歩まで。
(それだけ、本気ということか)
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