花が鳥を咲かせる頃

雪谷 涼

プロローグ

もう桜は咲いているのだろうか。


しばらく窓の外を見ていない。

最後に見たのはいつだろうか。

確か、まだ道路脇に微かに雪が積もっていた頃。


季節に取り残されたかのように、寂しげに積もっていた雪は、車とかの排気ガスとやらで黒く、汚かった。


それを眺めていた、俺の心もだ。


カレンダーに目をやる。


4月の日付には、既に殆どバツが付けられている。


もう時期、ゴールデンウィークなんだなぁ。

と、思う。


北海道の桜の開花は遅い。例年、ゴールデンウィークに桜のピークが来る。


だから、卒業式とか、入学式に桜の花びらが綺麗に舞って…

みたいな、そんなロマンチックなものでは無い。


15度目の春。だろうか。


俺の同級生達は先月、とっくのとうに中学の卒業式を済ましている。

そして、大体半月前にそれぞれの高校で入学式も済ませ、新たな生活に戸惑いながらも、楽しんでいるに違いない。


俺は卒業式も、入学式にも出席していない。


3月10日、俺は歩道橋から車が飛び交う道路に飛び降りた。


それが、俺の見た最後の外の景色だ。


幸いなんだか、不幸なんだか、俺は一命を取り留めた。


正直に言うと、死ねなかったのが悔しかった。


中学の頃、クラスの輪に上手く溶け込めなった俺は、人のことを信用出来なくなっていた。


俺がいると邪魔なんじゃないか。俺がいるせいで空気を乱しているんじゃないか。


周りの全ての会話が、俺に向けた悪口のように思えた。


やがて俺は受験生にもなっていて、行きたくもないのに、お母さんに強制されて高校入試を受けていた。


学校に行きたくないから、敢えて問題用紙に何も書かなかった。


公立高校は、勿論不合格。滑り止め、というていで受けさせられていた私立高校も、無事不合格。


これでもう恐怖の要塞に、毎日閉じ込められることもない。そう思った。


その次の日、親の元に電話がかかってきた。


「お子さんのことで、お話があるのですが…」


相手は俺が落ちた私立高校の先生だった。


お母さんに3月10日、高校へ行くと言われ、俺はその日、渋々ついていった。


要件は、中学時代の成績を見て、私立高校の二次募集と言うものにひっかかった。というもので、入学するということでいいのか、という確認を、親と本人にするというものだった。


あの時の記憶は、今でも鮮明に覚えている。


________



「お子さんの鳥野勇とりのゆうくんの事なのですが、本校、札幌福住さっぽろふくずみ高校への入学を決定するということで、お間違いないでしょうか。」


薄い髪に、大きく膨らんだ腹。銀色の丸メガネを掛けている50代前半くらいの男が、腐ってるんだか真っ直ぐなのかわからない視線で親をの目を見て問う。


この学校の校長だろうか、どこの学校の校長も変わらないんだなあとかどうでもいいことを考えながら、俺は視線を下にやっている。


「はい、勿論です。うちの勇を、よろしくお願いします。」


俺の意志の確認は無いのかよ。心の中だけで突っ込む。


実際のところ、今ここで俺が嫌だと言ったところで「じゃあ取消で」ってなる訳もない。


今までの3年間を思い返す。正しく言えば、走馬灯のように、記憶が目まぐるしく駆け巡っている。


ふと意識が戻ると、心臓を締め付けられるような、脳みそを抉り取られるような、不快な気分になった。


簡単に言えば、吐き気がした。だが、吐き気とはだいぶ違う。


もう一度あんな生活を3年間過ごすのだろうか。


そう思っただけで、めまいがする。


気がつけば、お母さんと50代前半の男との会話は終わっていた。


「それでは、これから3年間よろしくお願いします。」


大きな腹を邪魔そうにしながら、男が深く礼をする。


「こちらこそ、うちの勇を3年間よろしくお願いします。ほら、あんたも。」


うちの親も礼をする。礼を促されたので、社交辞令程度の感覚で感情を無にして頷くように礼をした。


高校にいる間はあっという間に感じていたのに、いざ外に出るとすごく長い間高校にいたんだなあ、という気になった。


「あんた、良かったね。これからまた3年間学校に行けるんだね。新しい友達と、楽しい生活が送れるんだよ。」


歩道橋の階段を渡るとき、親が俺の顔を笑顔で覗き込み、そう言ってきた。


言われた途端、俺の中の導線がプチンと切れたような音がした。


また3年間。新たな友達。楽しい生活。


また地獄のような3年間。新たな俺の敵、拷問のような生活。


この歩道橋から飛び降りたら、もう楽なのだろうか。


そう思った瞬間、俺は既に宙を舞っていた。


視界には端に捨てられたどす黒い雪。


ごめん、お母さん。


そんなことを思う間もなく、俺の視界はどす黒い世界となっていた。



________



目覚めると、俺は病床で寝っ転がっていた。


全身に痛みはあまりない、強いて言うならば、少し頭がぼーっとするというくらい。


後で聞いた話によると、落ちたところが偶然雪の上で、頭を軽く打って失神しただけで済んだとの事だ。


医師からは何度も「君が生きてるのは奇跡だよ。」と告げられた。


なんでそんな奇跡が起こってしまったのだろう。と思う。


2週間後、俺は退院した。大事を取って、あと1ヶ月は家から出るなと言われた。


俺は泣きじゃくりながら家まで帰った。


ずっと、目を擦っていたり、下を向いていたりしたから、外の景色は見なかった。いや、見たくなかった。


なんで泣いていたのかはわからない。死ねなくて悔しかったのか。それとも、奇跡的に生きることが出来て、嬉しかったのか。


そこから1ヶ月、特に何事もなく時間は過ぎ去っていった。好きなゲームをずっとして、夜中は録画して合った深夜アニメをひたすらみて、朝に寝て昼に起きる。そんな怠惰な生活を繰り返してた。


そして、今日、4/25日。あの日から1ヶ月と2週間。登校日だ。


既に入学式は行われていて、授業も始まっているらしい。


学校行かないでサボろうか。とも最初は考えていたのだが、どうやらお母さんも学校まで着いてくるらしい。


明日、学校に行かなければならないのだ。


高校自体、家からかなり遠いので元中はいない。だから、中学時代よりは気分はマシだ。


だが、入学式から2週間も学校に行っていないので、恐らくクラスに馴染むことは出来ないだろう。まぁ、最初からいても馴染めないと思うが。


気分は進まない。玄関に置いてあるデジタル時計に目をやる。7:50と書いてある。


こんな朝早くに起きたのは久しぶりだ。眠たい目を擦る。子供の手を握るように弱々しく取っ手を握る。


「無理するんじゃないからね。」


お母さんは俺にそう言うが、無理させてるのはあんただろ。とはツッコメないので、「ああ。」と、適当に返す。


ドアがいつもより重く感じた。


気が進まなかったのかもしれないし、ただ単にしばらく身体を動かしてなかったから筋力が衰えただけかもしれない。


重いドアを開けると、すっかり雪も溶けた世界が見えた。


眩しい。


1番最初にそう思った。陰湿な俺とは対象的で、鬱陶しく思えた。が、春の陽気もあってか、鬱陶しかったのは一瞬だけだった。


ランドセルを背負った小学生の群れ。腕時計を気にしながら歩くサラリーマン。


前までは当たり前だった景色が、初めて見る景色のように思えた。


外ってこんなに綺麗だったんだ。そう思った。


きっと、そう思ったのは昨日、ある女が俺の家に訪ねたからかもしれない。


彼女は昨日言っていた。


「明日、桜が開花するらしいよ。」




桜の蕾は、まだ咲いていない。

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花が鳥を咲かせる頃 雪谷 涼 @yukiyaryou

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