第22話 火竜①
斜面を走る。突き出た岩に右足裏を叩きつける。魔力をブーツに通し反発で撥ねる。左足で着地、間髪入れず前に体重を傾斜して駆ける。背後の危機は変わらない。振り切れない。最後に残った魔力をすべてをつぎ込み、全身のばねを使って飛ぶ。
目の前に迫っていた平たい岩を飛び越え、その向こうに着地した。その直後、今まで私がいた場所で灼熱の爆発が起こった。
熱風が髪を捲き上げる。飛んできた火の粉でうなじがチクチクする。黒焦げになった岩に赤い中心が生じ、そこからからひび割れが生じる。私に向かって崩れてくる溶けた岩から、辛うじて逃れる。
何とかしのいだ。でも、髪の毛は煤だらけだ。一応嫁入り前の娘なのだから気を使ってほしいわね。まあ、嫁に行きたくないからこんなことをやってるのだけど。
って、余裕ぶるのはやめなさい。後のことを考える暇なんて今はどこにもない。
にっくき“仇”の圧倒的な力と、それに対して手も足も出ない状況を認めないと。
私は上空を見上げる。
背中から顔の上部に逆立った赤棘が山脈のように覆う。側面から腹に回り込む赤銅色の巨鱗は鎧を思わせる。両腕に張られた皮膜は唯一刃が通りそうだけど、前面に鉤爪が備わる。太い足は大熊や巨猪とて掴みつぶしそうだ。長い尾は先ほど一撃で大樹をへし折った。
その巨体が自由に空を飛ぶ。軽く羽ばたくだけで赤い魔力の波動が地上の私を圧迫する。魔力の軌跡を引く飛翔はあまりに早く、空を飛ぶというよりも滑っているよう。
はっきりわかる。これは
でも、私達だって何の準備もなしじゃない。夜のうちに地形を把握できた。最良の攻撃ポイントからその後の退路までしっかりと想定して臨んだ。獲物の位置が分かっている優位を万全に活用した。
まばらな木々と突き出る岩が混じる山頂近くは空を飛ぶ巨大な魔獣と戦う場所としては悪くなかった。狩猟器に描いた術式と色媒により生み出された魔力の余裕で、相手が巨大でも空を飛んでいてもやり様はあるはずだった。
実際、最初の一撃は成功した。
私とサリアはホットスポットのすぐ近くの大樹に左右に分かれて潜み、火竜を待ち構えた。想定通りの場所に下りてきた火竜にサリアが鎖をかけ、私が奇襲を敢行した。完璧なタイミングだったと思う。
忌々しい魔獣の右足についた傷がその成果だ。魔力の全てを集中させた一撃は、魔力結晶と引き換えに竜の鱗を通った。狂ったように暴れる火竜から血しぶきが飛び散るのを見た。目的達成、後は引くだけのはずだった。
“それ”を目にしてしまったのがいけなかった。私が傷つけたのとは反対の足、綺麗にそろった赤い鱗の並びの中に一条だけ醜く盛り上がった古傷を見てしまった。
つまり、こいつは七年前と同じ個体だったのだ。パーティーリーダーとして私がそこから導き出すべきだったのは、七年かけてより強力に成長した相手の実力だった。だけど……。
脳裏に浮かんだのは地面に這うこいつにもう一撃入れてやる、だった。狙いは翼。もちろん、飛行能力を削いでやれば引くための時間と、次の戦いが有利になるという判断はあった。
ただ、母の仇を前に冷静さを失ったことは否めない。
火竜は傷をものともせずに飛び上がり私の攻撃は空を切った。その結果が現状だ。
上空で巨大な魔力が収束していく。魔力感覚を通じて焼かれるような強い光。まるで太陽を直視したようなギラギラとした痛み。現実とは思えない高濃度の赤い魔力が巨体内部に高まっていくのが分かる。それに合わせて、大きな翼の間に私達のとは全く違う術式が出現する。
いや、あれを術式といっていいのか。魔力を用いているのが同じだけで、私達とは全く違う何かだろう。
赤色の魔力が口から模様へと吹き付けられた。前後に腕輪のように光輪を付けた灼熱の赤弾が二つ形成される。楕円形の切っ先が私と私のパートナーにそれぞれ向いた。
地を蹴る。全身の魔力をブーツに集中させ走る。揺れる周囲の木々がスローに見える。炎弾が放たれたのは今の私にとっては後方だ。だけど、空中にあるうちにその進路をこちらに向かって曲げる。
一撃一撃が山の斜面に溶けた大穴を開けるほどの巨大な破壊が後を追ってくる。しかも同時に複数。
決して手の届かない空中から放たれ、こちらを追ってくる超強力な遠隔魔力攻撃。対抗することはおろか逃げることすらできない絶望的な状況だった。
それでも逃げることしか出ない。あらかじめ決めていた合流場所に向かってジグザクに岩と地面を進み、大木の枝を使って飛んだ。
次の瞬間。大木にぶつかった炎弾が一瞬でそれを消し炭にする。
同様の爆発音が反対側から響いてくる。サリアは……無事ね。今回も何とかかわせた。でも、次は?
どれだけ考えても思いつかない、少なくとも私が許容できる手段は。大体、もしそうしたとしてもその先に何があるのかと考えると足から力が抜けそうになる。
反対側から黒髪のパートナーがくる。
「申し訳ありません。私の鎖ではあの高さは」
「私の判断ミスよ。まさかここまで強力な個体だなんて」
仮に森の中に隠れようとしても、周囲を焼き払うアレを受けてはどうしようもない。逃げ延びるイメージが全く浮かばない。だからと言って攻撃の手段もない。向こうの一撃一撃を命を削る思いて耐えてなお、こちらの攻撃は決して届かない。
辛うじて救いがあるとしたら、攻撃間にインターバルが存在すること。でも、あいつの移動力と炎弾の射程距離を考えると逃げ出す時間はない。後ろから吹き飛ばされて終わりだ。でも、このままではたった一つのミスや不運で私たちの片方、いえ両方が終わる。
せめてもう一人いればって、頭を振って振り払う。
そう、誰も連れてこなくてよかったのだ。この状況じゃ犠牲者が増えただけ。でも、ならどうすればいいの……。
「リーディア様。何をすべきかはハッキリしていると思います。一番槍を達成したのですから、予定通り引くべきです」
「だからそれが出来ないから…………」
「方法はあります。要は一番槍を成したものがリューゼリオンにもどれればいいのです」
「サリア。そんなの出来るわけ――」
「リーディア、あなたは王女として騎士としてなすべきことを、これまでのように」
絶対に許容できない方法を、結論済みのように言われる。そう、その結論に私は驚いていない。このままでは確定するリューゼリオンの滅びを回避できる“わずかな可能性”のために何をすべきか。そんなことは考えなくてもわかっている。だって、そう考えるように生きてきた。
王女としての下すべき判断。実行すべきことをする。母様が命がけで守ったリューゼリオンを守るという誇りの為に。
「さあ、早く。そろそろ次が着ます」
やるべきことの為に心を消す。だって、そうしないと本当の気持ちがあふれ出てしまう。私は本当は王家の誇りなんて、母様を犠牲にした、そんなものなんて本当は……。
私が機械的に頷こうとした時、上空で赤い光が弾けた。それはこれまでよりもはるかに巨大だった。
山の斜面を回り込むように、二つの炎弾が私たちを挟む形で近づいてくる。それも、私たちの頭上に向かって。二つの火球が集中すれば周囲をすべて焼き払う。同じ色の魔力の扱いを得意とする私には、それが判断できる。皮肉にも、七年間の騎士としての修練のたまものとして。
だから、張りつめていたものが切れた気がした。
もしかしたら今私は一種の解放を感じているのかもしれない。どうしようもなかった。私たちはアレに勝てるようにはできていなかった。リューゼリオンは滅びることが決まっていた。あるかないかもわからない可能性を繋ぐために、生まれた時から知っている幼馴染を犠牲にする決断はもうしなくても……。
絶望が形になる前に、真っ先に消えてしまうのはむしろ救いなのではと思った。
ただ一つ心に残ったことがある。もしかしたら今も私の家の地下で頑張ってくれてる彼のことだ。普通の騎士なら絶対に無理だと考える限界を超えて見せた彼ならば、もう少し時間があれば……。
「ごめんね。あなたの努力も無駄にしちゃった」
頭上で二つの破壊がぶつかる瞬間、私がそうつぶやいていた。
すべてが終わると思った時、白い光が飛んできた。圧倒的な力の塊が水平に切り裂かれた。左右にずれながら落ちていく確定されたはずの破滅を私は唖然として見上げた。
両側からの爆風。私は前に吹き飛ばされた。練習どおりに勝手に体が受け身を取り、丸めた体が地面を転がり衝撃を逃す。自分が生きていることを手足の擦り傷で知る。
何が起こったの。混乱の中、立ち上がろうとした私の耳に声が聞こえてきた。
「一撃でこのざまか。まあ、動いただけましと思わないと」
振り返ると、森の木々を焦がす二カ所の爆発の間を同級生男子が歩いてくるところだった。その手の棒状の狩猟器に煙をまとわせて。
いったい何が起こったの? ううん、彼相手ならこう尋ねるべきかもしれない。一体今度は何をやったの、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます