第21話 出撃

 結界器の光に照らされた白い夜着の王女様。学院の制服とも森での狩猟衣とも違う恰好に動揺する。露出度が高いわけじゃないシンプルなワンピースが、どこか無防備に見える。おかげで、見てはならないものを見ている気になる。


「え、ええっと……。そうだ、どうしてここに?」

「これから出る準備なのだけど。レキウスがずっと地下に籠ったままだって聞いたから」


 そういえば前日夜に仮眠を取ってから出発という話をご令嬢としていた気がする。


 結界室への入り口は王宮の表玄関からではなく、奥の王家のスペースから繋がっている。だからと言って家の中感覚でふらっと現れられると心臓に悪い。


 待てよ、今から出発の準備ということは、つまりもうすぐ日付が変わる時間ってことか。


「なんだか顔色が悪くない?」

「い、いえ。大丈夫です」

「本当、無理してないかしら?」


 疑わし気に首をかしげる王女様。ゆったりとした首元から鎖骨のくぼみが見えた。


「そ、それよりも、予定通り出発ということは、つまり火竜は……」

「リューゼリオンに真っすぐ飛んでいたのが北に方向を変えたのが確認されたわ。これまでの狩猟計画でわかってはいたけど、あなたの予想は本当にすごいわね。今回もぴったりよ」


 褒められても喜べない。火竜がどこかに行ってくれるなら大外れがよかった。


「デュースター家は今頃多くの騎士が集まって大騒ぎだそうよ。壮行会というわけね。私とサリアはその間に二人でひっそりと出発というわけ」

「……本当に火竜に対峙するんですか」


 いまさらと思っても聞かざるを得なかった。それくらい同い年の少女が落ち着いて見えるのだ。その恰好以外はだけど……。


「当然よ。都市を守るのは王家の務め。デュースターになびいてる騎士達にもそれを見せてあげるわ」


 リーディアは強い意志を込めた瞳で言い切ると、笑顔を浮かべた。だから、同じ年でそんな風に覚悟を決められても困る。生まれの違いをいやでも感じるじゃないか。


「大丈夫、無理はしないわ。一撃入れたら引くだけだもの」

「…………」


 超級魔獣グランド・クラスに一撃入れる、それが無理じゃなくて何なんだ。その言葉が口から出なかった。分かっている。リューゼリオンにとって彼女が考えている計画以上のものはない。レイラ姉達の為に彼女達に危険を冒してもらうしかない。だから手伝ったのだ。


「別に甘く見ているわけじゃないわ。でも、レキウスのおかげで今の私には最低限でも成算がある。七年前のように何もできずに王宮で待っている、なんてことにならないで済むことを感謝してるわ」


 だから、お礼なんて言わないでほしい。色媒から術式の改良まで、今までやってきたことがすべてこの子を死地に追い込む準備だったみたいに思えてしまう。


「レキウスこそこんな時間まで結界のことを見てくれているのね。お父様が一度入って来た時も気が付かなかったみたいだし」

「そ、それは失礼しました」


 いつだろう。周囲のことなど完全に頭の中から来ていたからな。


「あら、あんなに熱心に取り組んでくれてと感心してたわ。私が褒められたくらいだもの。それで……多少は何とかなりそうなのかしら。少しでも結界があてにできるなら違うのだけど」

「それは」


 結界の安定性は火竜との対峙難易度を大きく変える。結界を盾にするというデュースターの方針は本来正当なのだ。俺としては結界を万全の状態にすると請け負いたい。少しでも安全策で戦ってくれと言いたい。


「残念ながら、現在の所は結界に関しては全く手が付いていません」


 当然嘘は付けない。実を言えば白刃と結界器の類似場所を突き合わせていくうちに、結界の術式に関しても少しだけ見えてきたものがある。だけど、それこそ何年かかるか分からない話だ。


「そうよね。分かっているわ。結界のことはあくまで次に備えるためですもの。ただ、ほら、これを見るとレキウスならいつか解決してくれるかもって思ってしまうわ。そのいつかのためにも明日は私が頑張るつもり」


 王女様は俺がテーブルに並べたメモの山を見て言った。だから、こっちの気も知らずに次々と遺言めいた言葉を言わないでほしい。返す言葉が今の俺にはないのだ。俺が今やっていることは何の保証もない。これからギリギリの戦いに挑む彼女におかしな予断を与えるべきではない。


 王家の誇りを守るという立派な王女様、強大な魔獣に挑む騎士の鏡みたいな少女をまっすぐ見ることもできない。


「……ちょっとうらやましいかも。レキウスみたいに自分が本当に信じるやり方に夢中になれるのって、私にはないから」

「えっ……」


 だから、彼女の言葉に僅かに自嘲が混じったように聞こえた時は虚を突かれた。俺に言わせれば彼女こそ自分の信念にいつも忠実に生きているようにみえる。思わず真意を問おうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。


「サリアが来たみたい。それじゃあ私は出るわ。そうだ、忘れるところだった。これを渡しておくわ。私が昔使っていたものだけど、あなたの今の手持ちよりはましだと思うから」


 きれいな紫の瞳が、一瞬で騎士のものにもどった。そして、手に持っていた細長いものをテーブルに置く。それは革の鞘に入った棒状の狩猟器だった。


 形状は練習用の“棒”だ。ただし、魔導金属の輝きは流石王家の娘の教育用だ。ただし、元々は綺麗だったであろう革の鞘は持ち手の部分がボロボロに剥げている。なるほど、これじゃ昔の俺がぬるく見えたのも仕方ないか。


「今でも私をパーティーに入れたいと思ってくれますか?」


 ドアに向かおうとするリーディアの背中に反射的に聞いていた。彼女は振り返ると、不敵に笑った。


「これが終わったらレキウスを騎士としてちゃんと鍛えて見せるわ。だから、ちゃんと寝て食べて体を整えておいてね」


 いつもと変わらない言葉を残し学年代表はドアの向こうに去った。


「そんなこと言われても、火竜に挑もうという人間に心配されても頷けないんだよ……」


 閉まったドアに向かってぼやいた。ドアの向こうからは何も返ってこない。二つの足音が上に消えて行くだけ。


 俺は頭を振ると、結界器の階段に向かった。どこまで進めてたんだっけ、そうだちょうど赤が終わったところだ。後一色か。寝る暇なんてないな。


 △  ▽


 朝、俺は地下のドームを出た。予想通りの徹夜だ。丁度下に降りようとした王様に一つ頼みをする。王宮を出て運河に向かって走る。土手を回り、工房に駆け込んだ。


「レイラ姉。シフィーあれは出来ている?」

「し、しー。はい、これだけど」


 作業台でうつ伏せのシフィーに毛布を掛けていたレイラ姉が、俺に三色の結晶を持ってきてくれる。俺はそれをエーテルに溶かす。そして、入手したばかりの新しい棒に新しい術式を描く。


「外じゃ七年前の再来だって話だし……。そんな時に急に追加の色媒がいるって、ねえレキウス何か危ないこと……」

「…………大丈夫、とはちょっと請け負えないけど。まあ出来ることをするよ」


 レイラ姉はじっと俺の顔を見る。徹夜明けのひどい顔がその瞳に移っているはずだ。


「わかった。ただし、これを食べていきなさい」


 レイラ姉は台所に行って、干し果物を持ってきた。俺はそれを口にしながら術式を仕上げる。濃縮された甘さが脳に染み渡る。


 △  ▽


 城門に近づく。城門前の半円形の広場は大勢の人だかりだ。普通は運河から出る騎士が大勢いる。中心にいるのが我らが先輩アントニウス・デュースターだ。大勢の騎士に鷹揚に頷いている。その周囲には狩猟衣に着替えた学生たちが羨望の目で見ている。


 完全に英雄気取りだな。リューゼリオンの救世主を気取るなら、火竜が来る前に何とかする方向で動けよ。ああ、それじゃ功績にならないか。


「レキウス。こんな時まで遅刻とは何を考えてるんだ」


 俺を見つけた教官が怒鳴る。どうやら結界の巡回の班分けをしているところだったようだ。遅刻は遅刻なのでぺこりと頭を下げる。


「すいません。ちょっとやらなくちゃいけないことがあったので」

「この緊急時に他のことにかまけているとは……。いくらベルトリオン理事の庇護があるからと言っても、退学ものだぞ」


 退学は大変なんだけど。この状況と今からやることを考えたら全然怖くないのがな……。


「役に立たん者など放っておくことだ。ただし、私がリューゼリオンを統べる時代になれば怠慢な騎士に居場所はないということを覚えておくのだな」


 アントニウスはねめつけるような視線を俺に向け、周囲に誇示するように狩猟器を手に取って見せた。広場がおおっと盛り上がる中、俺は彼のそれを観察する。魔導金属は最高等級だな。今俺の手元にある棒といい勝負かもしれない。


 でも二色の術式の方はなんだ、だいぶ歪じゃないかな。少なくとも将来の王の狩猟器には見えない。


 俺は何も言わずに前に進む。目の前には城門だ。外には騎士の一団。中央にはベルトリオン翁だ。そして、彼の見る遥か遠方の空に。


 感じたこともない圧倒的な強さの赤い魔力の気配が開いた城門から吹き込んできた。止まりそうになる足を無理やり動かして、そのまま前進する。


「おいどこに行く。お前は最後の班だ。早く整列しろ」

「すいません。ちょっと外でやることがあるので」

「何を言っている。そんなこと許可できるわけが」

「許可はもらっているので」


 王様からもらった城門の通行許可書を見せる。唖然とする教官と学生たちの横を通って城門を出た。


「放っておけ、おおかた火竜への恐怖で気でも狂ったのだろう」


 そんな声を背中で聞き流し、外で待機していた王家の騎士の一団の元に向かった。頼んでいたものは堀代わりの水路に浮かんでいる。


 山の向こうの空に魔獣が小さく見えた。距離を考えるとその巨大さが分かる。なるほど、アレに挑むっていうのは確かに正気じゃないかもな。

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