第10話 臨時パーティー②

 水たまりとぬかるむ地面。気を抜けば泥濘に嵌りそうな足場を、俺は木の根を頼りに走っていた。


 手には水滴型の緑の刃をまとった狩猟器がある。俺にとっては変化自在、攻防一体の自信作だ。何しろ一度は彼女たちと肩を並べ、上級魔獣を倒した代物だ。そして、いま再び俺は二人と一緒に狩りをしている。


 だが、今日この術式をまともに使う機会はないのではないかと俺は思い始めていた。


「はあ、はあ……」


 不安定な足場に息を切らせながら必死に二人を追うが、距離はどんどん開いていく。


 赤い魔力が地面の上で、パン、パンとはじける。リーディアの狩猟衣のブーツがばねのように彼女を疾駆させているのだ。その斜め上方には、青い光が鞭のようにしなっては、木から木へと飛び移っていくのも見える。


 超級色媒で節約した魔力を狩猟衣に通して体術に回しているのだ。狩猟衣の色媒ラインを用いる単純な強化にとって、彼女たちの余った魔力は十分すぎるのだろう。


 一方、俺にはそんな余剰はない。超級色媒と改良術式で辛うじて狩猟器の魔術を維持しているのだ。足元の悪さもあって、完全に引き離された。今の様子を見て、俺が彼女たちと狩猟団パーティーだと思う者はいないだろう。


 二人が悪いわけではない。最初に全力でやってくれと言ったのは俺だ。そうしなければあの二人にとっては超級色媒の運用テストにならない。その判断が正しかったということだ。


「追いついた。もう逃がさないわよ」


 前方からリーディアの声が聞こえた。彼女の前を巨大な熊が背中を見せて逃げているのが見える。合同演習で戦った上級魔獣の山岳熊ではなく、以前の演習で出てきたのと同じ中級魔獣の方だ。とはいえ、あの時は王者の貫禄で少女みならい騎士に襲い掛かっていた魔獣が、今日はただ逃げるだけだ。勝てない相手だと解っているらしい。


 その熊の前方に青をまとった銀の鎖のきらめきが見えた。先回りしたサリアの鎖だ。森の中を全力で逃げる魔獣を挟み撃ちできるって、どんだけだよ。


 結局、俺が追い付いた時には狩りは終わっていた。両手を大木に括り付けられた巨体が、その大木ごと両断されている光景に唖然とさせられた。


 …………



 それからさらに二度の狩りが終わった。俺たちは水辺の木陰に腰を下ろしていた。


「……実際に超級色媒を狩りで用いてどうだった?」

「…………」「…………」

「問題があるならちゃんと教えて欲しい。それをもとに改善できるところは……」


 困ったように顔を見合わせる二人に促す。色媒の供給者としては大事な役割だ。何しろ工房の将来にかかわる。後ろで見ていた限り異常は感じられなかったが、俺とは違うレベルで魔術と魔力を運用していたからな。


「え、ええ、そうね……。いえ、問題なんて何もなかったわ。あまりに違うから驚いていただけ。中位術式以下の魔力消費で上位以上の威力を出せたわ。体術を含めた魔力の運用として考えたらもっとね。片手を開けて戦えている感じかしら。強いて言えばあなたの術式ほど自由自在に動かすのは難しいわ」

「これまで自分が行ってきた狩りや魔術の常識が覆った。これなら上級魔獣であろうと魔力結晶なしで狩れるだろう。まだ完全には使いこなせないが」

「な、なるほど」

「とにかく、これを知ってしまったらもう元には戻れないわ」

「同感というしかない。まさかここまで変るとは」


 二人は色媒の性能に驚いているが、こっちはまだ余裕がありそうな二人に驚く。とはいえ妥当といえば妥当か、落ちこぼれの俺が上級魔獣と渡り合えるだけの条件を、今や学院始まって以来と言われる二人に適用したらそりゃこうなる。


 むしろこれを使っていながら……。


「レキウスの目から見て気になったことはあった?」

「あっ、え、ええっと。そうだ、遠目には術式発動時の術式同士の干渉は感じられなかったように見えたけど、実際にはどうだったのか」


 俺よりもはるかに高い魔力の出力だ。超級色媒とはいえ多少の干渉が出てもおかしくない。


「互いの魔術が邪魔になる感じは全然なかったわね」

「私も鎖の操作にリーディアの魔力が干渉はしていないな」

「そうね……。狩猟衣に魔力を通した時に少し干渉したかもしれないわね。実用上は問題にならない」

「なるほど」


 おそらくだが超級色媒が発する魔力が通常の色媒である狩猟衣の魔力と干渉したのだ。つまり、超級色媒同士はあれだけの魔力でも多色干渉を起こさない。グランドギルドの失われた白魔術の色媒だという予想はいい線いっていたかもしれないな。


 と、そんな昔のことよりも今後のことだ。


「全力で術式を使ってもらったけど、色媒の曇はどうなってる」

「僅かに曇が出始めたというところかしら。魔力結晶でブーストを掛けるみたいな無理をしなければ普通の色媒よりも持つでしょうね。そして、この術式に魔力結晶は必要ないわ」


 自前の魔力だけで術式の最大効力が発揮できるなら制御もやりやすいだろうな。聞けば聞くほど俺とは違う……。もちろん、それは錬金術工房としては喜ぶべきことだ。


「ああ、今日のことはお爺様に早急に報告するつもりだ」

「どうやって王家の騎士に広めていくかはベルトリオン翁が考えているのよ」

「王家に残った騎士の中で信用できる若い人間を選んで新しくパーティーを編成する様です。この様子なら人選を急ぐことになるはずだ。とにかくリーダーだけでも決めて、まずはその人間にという順番だ」


 一人ずつって感じか。上級魔獣の髄液という原料の稀少性と秘密保持を考えれば妥当だろう。


「リーダーはどんな方がなるんでしょうか。色媒の色と関係するから知っておかないと」

「候補は確か緑の魔術を使う平民出身者だ。我々と入れ違いに卒業した騎士だ」

「ああ聞いたことがあります」


 平民出身者としてはあり得ないほど魔力が高く優秀な先輩がいたらしい。教官から同じ平民上がりの緑なのに大違いだ、みたいな嫌味を言われたことがある。名前は何だったか?


 この二人以外にも上級魔獣を狩れる現役騎士が一人でも増えれば、原料の供給も安定する。工房にとっては新しいお客様が一人でも増えるのは大きい。商人を介さずに騎士様と直接だから利益が大きい。


 となるとこちらとしても少しでも急いでほしいところだ。


「早急に緑の色媒の準備か……。そうだ、私の手元に少しなら余裕がありますが」


 合同演習では二匹分のフェンリルの髄液を貰った。工房での工程の改善に大分使ってしまったが、俺の術式の改良は終わっていたから少し余裕がある。


「なるほど。それならばすぐにでも――」

「まって、それじゃあレキウスの騎士としての訓練に支障をきたすでしょ」

「しかし、次に緑の上級魔獣が首尾よく刈れるとは限りません。ただでさえ冬の禁猟期が近いんだから」

「それはそうだけど……。いいえ、やっぱり本末転倒よ。あなたの分の色媒はあなたが使わないと」


 確かに自前で色媒の原料を得ることが出来ない立場では、今持ってる分は温存したいけど……。でも、工房としては早めに見通しが立った方がいいんだよな。色媒精製に使う道具も薬品も、増産となるとあっちでは一仕事だ。ちゃんとした見通しがないとおいそれとは頼めない。


「でも、節約すれば……」

「とにかく、今日の私たちのテストは大成功でしょ。約束通り次はレキウスの番。今から魔力の運用について訓練をしましょう」

「そういえば、確かそういう話だった……」


 書庫で彼女にそういわれたときは少しだけわくわくしたのを思い出す。だけど…………。俺は周囲の地形と、空を見る。


「思ったよりも奥まで来たし。もうそろそろ引き上げないとまずいと思う。準騎士の二人はともかく私はちゃんと演習場にもどらないと怒られる」


 また湿地を越えなければならない。それを考えると時間に余裕が必要だ。


「でも、少しくらいなら時間があると思うけど」

「私としても自分の色媒はなるべく温存したいですし。演習地にもどって最低限の獲物を狩りますよ」


 臨時パーティーは成績にはカウントされない。ここまで来たら誰にもばれないだろうが、さっきの熊を俺が倒したなんて誰も信じない。疑われて目立つのはまずい。


 貴重な超級色媒をなるべく節約しつつお茶を濁すていどの狩りを成功させる、それが一番だ。


「最低限って?」

「下級魔獣を一匹くらいかな」

「レキウスがその気ならすぐにでも準騎士の資格をとれるのに?」

「可能か不可能だったら可能ですね。ですが、それでは目立ちすぎます」


 準騎士は騎士見習の段階で現役騎士並みの力を持つことが証明されればいい。俺がこの色媒と術式を使って中級魔獣を一人で狩れば満たせる。ベルトリオン理事がいるから通るだろう。


「ただ、力を証明するために大勢の目の前でこの術式を使わなければならなくなる。必ず色媒や術式に興味を持たれる。先ほどのベルトリオン理事の計画が終わる前にそうなることは避けるべきでは?」


 俺だけではない。デュースターみたいな名門騎士が職人街に興味を持つ可能性は高くないが、万が一もある。


「それはそうだけど…………。でも、他の生徒にあんなふうに言われて……。本当だったら退学なのを私が庇ってるとか……。レキウスは悔しくないの?」


 リーディアが唇をかんだ。合流前に何か言われたみたいなことを言っていたな。だが、俺としては学院での評判なんて気にしている場合じゃない。同級生に馬鹿にされるなんて日常だ。


「それに関しては実害がないので」

「実害って、狩猟が本分の騎士が、その実力を不当に貶められているのよ」

「いや、騎士としての実力という意味ではそこまで不当でも…………。仮に全員にこの色媒がいきわたったら私はまた一番下になるでしょう。それが私の騎士としての実力では?」

「それは…………。でもそれじゃレキウスが…………」

「最低限騎士としての資格が得られれば十分です」


 俺の騎士としての力は張りぼてに近い。超級色媒と魔力結晶がなければまともに魔術すら使えないというのが本質だ。実際には効率が悪く、第一にちょっとした事故でおしまいになる。


 もし俺がいなくなったら錬金術工房だってどう転ぶか分からない。何があっても工房側に立つ“騎士”が必要だ。そのためには安全は第一だ。


「でも、少しでも強い魔獣を少しでも多く狩ることが、私達騎士の名誉でしょう」

「そういう意味なら私に騎士の名誉は必要ないです。平民出身者にはそういう高尚なのは荷が重い」

 俺が守りたいのはそんなものじゃない。王家だの名家だのたいそうな家を背負ってるわけでもない。

「高尚とかじゃなくて、私たち騎士の狩りが都市を成り立たせているのだから……」

「私なりのやり方で狩りに貢献してると思いますけど」

「そうだけど、だからそれじゃあなたがあまりにも……」


 王女様が何を言っているのか分からない。同級生に馬鹿にされる程度何でもない。それに、さっきついても来れなかった俺を見ただろう。彼女たちとは違いすぎて訓練にもならない。それは…………効率が良くない、はずだ。


「リーディア。人には向き不向きがあります。少なくとも当面はレキウスが色媒に専念するというのは悪い判断とは思えません」

「でもっ…………」

「将来レキウスにしかるべき待遇をと思うなら、なおさら王家の力の立て直しが大事です」

「…………そうね、私の流儀を押し付けるわけにはいかないんだったわ」


 見かねたようにサリアが言った。まさかご令嬢にフォローされるとは。


「それでは、私は演習地の方にもどります。お二人はテストを続けるなりしてください。何か問題があったらまた学院で聞きます」


 俺はそういうと二人に背を向けて歩き出した。今の議論でそれこそ時間に余裕がなくなってきた。


「でも、私はあなたに騎士としての実力がないとも、誇りがないとは思わない。あなたはその小さな魔力であれだけのことをしたのだし。それに何より、あの時私達の所に駆け付けてくれた。森で仲間が危ないときは何を押しても駆けつけるのも騎士の誇りだもの」


 背中に王女様の声が届いた。そういえば狩り場では騎士同士は助け合うなんて建前があったな。だがその建前すら騎士同士だけにしか適用されないものだろう。

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