第4話 特別な注文①

 緊張の連続だったベルトリオン家での交渉の二日後、俺は橋を越えていた。茶色の街に入ると自然、足が軽くなる。市場の横を抜けて、茶色い街側の土手を歩く。水車の回る工房が見えてくる。自然に足が早まった。


 だが、工房直前で俺の足は止まった。玄関からレイラ姉と身なりの良い男が出てきたのだ。レイラ姉は何度もその男に頭を下げている。男はなれなれしくレイラ姉の肩に手を置いた後、去っていった。


 あいつの顔は知っている。服飾の大店ベーソンの跡取り息子だ。でもなんでだ、確かベーソンとは……。俺はさっきとは違う理由で急いで工房の玄関に向かう。


「レイラ姉」

「レキウス!? どうしたの。こっちにもどってくるなんて聞いてないけど」

「あっ、えっと実は特別に外出許可が出たんだ」

「びっくりした。なんか深刻そうな顔だったから、騎士様の学校から追い出されたのかと思ったじゃない」


 もう少しでそうなりそうだったけど……。じゃない、俺が心配してるのはつい今の男のことだ。


「それよりさっきの、ベーソンとの取引はやめたはずだろ。なんで工房に来てるんだよ」

「……ウチを贔屓にしてくれてたアルド商会があったでしょ」

「あ、ああ」

「アルドがベーソン商会の傘下に入ったの。それで取引が再開されたのよ」

「そんなアルドが……。やっぱり、市場の景気と関係してるのか」


 ここに来る前にちらっと垣間見えた市場の様子を思い出して聞く。レイラ姉はこくんと頷いた。


「ベーソンはお偉い騎士様のお気に入りとかで最近力を増してたの。特に毛皮なんかを優先的に任されて。それで、弱ってたアルドが飲み込まれたのよ」

「偉い騎士の家って?」

「確か若旦那はデルトゥールって家だって自慢してた」


 聞いたことがある。デュースターの分家だ。一瞬俺のせいかと青くなったが、話を聞くとアルドがベーソンの傘下に入ったのは二週間ほど前だという話だった。ちょうどこの前里帰りした後だ。


 だが、だからといって安心はできない。


 服飾をまとめる大店の影響は布や革、細工物から染料まで及ぶ。何よりベーソンは、その立場を使って、下請けに無理な注文を押し付けることで有名だ。


「大丈夫なのか。無茶なこと言われたり」

「……向こうもウチからの品が入らないと困るし、今のところはね。ただ、周りには困ってるところは多いと思う」


 レイラ姉はいくつかの店や工房の名前を上げた。どこも工房と長い付き合いがある、小さいけど腕がいい職人や店だ。


「それよりも、ほら、特別な外出許可って。どうしたの?」

「あ、ああ、そうだった。親方は今いるのか」

「今は周りの職人との会合で、もうそろ――」

「なんだ出戻りか。ウチは腕のなまった元見習を雇う余裕はねえぞ」


 後ろから肩をバーンと叩かれた。


 …………


「父さん。レキウスは将来の騎士様なんだからね」

「いや、なんかしょぼくれた肩が見えたからついな。って、お前もレキウスって言ってるじゃないか」

「わ、私はそうするようにって言われたから。大体「出戻り」なんで嫁入り前の娘がいる親が縁起でもない」


 工房に繋がる住居の一階、住み込みだったころはここで飯を食べていた場所で、俺は親父さんとレイラ姉の会話を懐かしい気持ちで聞いていた。


「ほんと、そんなことで会合は上手くいってるの」

「いや、まあ、ははは。頑固者同士だからな……」


 どうやら大商人からの値下げ要求に対抗するため、職人同士連携してみたいな話になっているらしい。工房街の職人は多かれ少なかれ繋がりがある。それこそ、布と革とそれに染料があって初めて服ができるのだ。


「向こうが役人なら、こっちは団結しないとな。まあ、それでだめなら」


 親父さんはどこか真剣な顔で俺を見た。


「いざとなったらレキウスがレイラをあっちに持って行ってくれ。召使くらいは務まるだろう……」

「もう。父さんは。だからレキウスは将来の騎士様で」

「将来の騎士様に頼んでるんだよ」


 冗談めかした言葉だけど、親父さんの表情が一瞬曇ったのが分かった。だが、工房の主はすぐに俺が知っている豪快な笑顔に戻る。


「それで、せっかくの休みにこっちなんかに来た理由はなんだ」

「そうだった。ちょっと頼み…………いや、注文があるんだ」


 俺はベルトリオン家からの契約書と、昨夜俺がまとめた注文書を取り出した。


 …………


「ほう、これは結構な金額だな。それも騎士様の家から直接か……」

「その家についてはある程度信用していい。少なくとも当面の支払いは今日もらってきている」


 俺は銀貨の詰まった袋をテーブルに置いた。だが、親方は袋に目もくれず、俺を見る。


「一つ聞いていいか?」

「ああ、何でも聞いてくれ」

「おまえ、お偉い騎士様の学校でも染料職人の真似事を続けてるって、レイラの冗談じゃなかったのか」


 そういって親父さんはニヤリと笑った。言いたいことは分かるけど、こっちはこっちで卒業の為に必死だったんだよ。まあ、親方に教えられた技術が退学を救ってくれたともいえるけど。


 だからこそ、この取引は工房にもいいものになるように必死に交渉したんだ。


「それでこれがその色媒ってのの工程か、なるほどな、これの改良の為にウチの設備がいるってわけだ」

「寮の部屋でやるんじゃどうしても限界があって。もちろん、工房が休みの時とか夜だけでいい」

「だが、魔術関係の品をこっちで扱うのは禁止だろ」

「そうだな。俺一人で工程の改良をしている段階なら問題にはならないと思う。俺も騎士の見習の一員で、親父さんたちは俺の無理に応じてるだけだから。あと、こういう形で一応は許可は取ってる」

「こりゃ、市場をうろついてるあの役立たずどもの一番上か」


 懐から取り出したのは文官長、要するに役人の長の署名がある許可証だ。こっちは王女様経由で届いた。


「ただ、正直に言えばなるべく秘密にしておいた方がいい」


 俺は王家とデュースターの確執について話した。


「ああ、なるほどな。そういうことか、大体わかった。いいぞ、この話乘らないわけにはいかなくなった」

「待ってくれ、親方にはなじみのない話じゃ……」

「いや、まあ、もうそんなこと言ってられないんだよ。それにだ、うまくいけば高級品一式の口だ。困ってる職人に仕事を回せるなら、俺の顔もたつってもんだ」


 親方はそういった。面倒見がいいこの人らしい言葉だ。友人の子供だってだけで、俺のことを引き取ってくれた。だからこそ、この仕事は絶対にうまくやらないといけない。


「あとは人手だな。一人じゃできないだろう。秘密っていうならレイラに手伝わせるのが一番だ。こいつならなら新しい器具の注文やらの折衝もわかるしな。お前の扱いも慣れてるし。ちょうどいい」


 そういって俺と自分の娘を見る。


「それこそ万が一の時は、レキウスがレイラについては責任を持ってくれるだろうしな」

「ちょっと父さん」

「いや、こういう話を持ち込んだ以上、親方のこともちゃんと考えるから」

「まあ、そういうことはお偉い騎士さんになってから言ってくれ」


 親方はそういってもう一度笑った。


 …………


 水車から伸びる歯車。二段構えの暖炉。壁に並ぶ沢山の壺。久しぶりの工房の作業場だ。においまで懐かしい。そして、俺の横には同じ染みだらけのエプロンをしたレイラ姉がいる。一瞬、昔に戻ったような錯覚すら覚える。


「錬金術っていうのはさっぱりだけど。何でも言いつけてね。ここは今レキウスの貸し切りなんだから」

「う、うん。頼りにしている」


 貸し切りという言葉に良からぬ妄想を抱きそうになる。そんな場合じゃない。そもそも、これが上手くいかないと、俺はまともに魔術すら使えない状態に逆戻りだ。もうすぐ冬季の休猟だけど演習はまだある。


 俺は気持ちを切り替えて、持ってきた銀狼王の緑の粉末を出した。二匹分だけあって量は十分だ。


「これが魔獣の髄液を乾燥させたもの。要するに原料なんだ。これからなるべく多くの色媒を取り出したい。工程は今のところこうなっている」

「…………さっき聞いていて思ったけど、本当に染料と同じようなことをやるんだ」

「まあ、どちらも森の産物から取り出すわけだからね。ええっと、まずは石臼かな。材料を徹底的に細かくしないと」


 …………


 なるべく工程を変えず、工房の設備を活かして各段階を徹底することに徹した。粉末の段階で徹底的に粒を細かくして、水車の回転を使って限界まで搾り取る。


「よし、レイラ姉、つぎは――」

「はい。次の薬はもう濾してあるから」


 それに、一人と二人じゃ大違いだ。俺が実験の作業に取り組んでいる間に、火の調整から水や薬品の用意までレイラ姉がやってくれる。


 もちろん、ただ量を増やそうとすれば不純物が増えるので、各段階ごとの魔力伝導率のチェックは怠ってない。透明感のせいか、色だけじゃ判別できない。


「できた」


 持ち込んだビーカーに回収された精製上級色媒は透明感のある緑色だ。量も前回同じ原料から始めたのと比べて五割増しだ。後は、これをゆっくりと乾燥させるだけ。


「レイラ姉はもう休んで」

「大事なお客様を置いて寝るわけにはいかないでしょ」

「いや、後は乾燥を待つだけだし。もう今日の貸し切りは終わり」

「ふうん。じゃあ……せっかくだからその間、向こうのこと聞かせてもらおうかな」


 レイラ姉は汗で張り付いた前髪を整えながらそんなことを言ってきた。

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