ロボットですが人工無脳ではありません
逢坂ソフナ
アンとクローデル
* * *
老女が暖炉のななめ前に置かれたこじんまりとしたテーブルセットで少し遅めのアフタヌーンティーをしている。
暖炉からはパチパチと言う火花が散る音がする。いくつかある窓は周辺から白く曇っており、そこから覗く外には深い雪が降り積もっていた。
そのテーブルとは反対側のタンスの前で深緑のワンピースを着た少女が衣類の整理をしている。
「それにしてもいつまで冬は続くのかしら」
老女がワンピースの上にエプロンをつけて家事をしている少女に話しかける。
「本当に。早く春になりませんかねえ」
「アンもやっぱり暖かい方がいい?」
「球体関節の潤滑油の粘性が変わるので寒冷期は好ましくありませんね」
アンと呼ばれたエプロン姿の少女は手を握ったり開いたり、グーパーする。すこしキシキシと音がする。
「春になったらまた絵も描きたいわねえ、あなたにも別の服を着せたいし」
「やっとニートから戻られますか」
「もう茶飲み婆さんとかなんとか言われる歳よ?」
老女は少し口の端を上げて笑いかける。
「そうですか?」
「まあ全部春になったらね、今だと寒さで手がくるっちゃう」
そう言って老女は頭を振ると、
「ところでいつまで家事をしてるの?せっかくお茶の用意ができたのに」
「いえ、まだ作業は残っているので」
「ずっとだと疲れたでしょう、いいから座って」
と70も手前位に見える老婦人――少々時代錯誤めいた、ドレープつきのナイトガウンをはおっている――は、少女の外見をしながらも立ち居降るまいに歳を経たものを感じさせる相手に、諭すように声をかけた。
「いえわたくしには座る必要がございません」
まるでイギリスのヴィクトリア時代の家庭教師のような、またこちらも時代錯誤めいた少し襟飾りとタックがついただけの深緑のワンピースを着た少女はそう返す。
「わたくしはロボットですので」
さらりと感情の起伏を感じさせない声で。
「とはいってもアン、さっきからあなた散々掃除に洗濯に料理にって頑張ってくれたじゃない、少しは休みなさいよ」
「いえまだエネルギー量が残っているのでもったいないから消費したいだけです」
あまりにもおよそ無機質な返答に老婦人はアンと呼ばれた少女をすがめた目付きで見つめる。
「アン、あなたは家事以外でしたいこととか無いの?」
あきれたようなため息と共に言い足した。
「いえわたくしはクローデルさまにお仕えすることの為に調整されておりますので」
「外見だってすこしは気を回しましょうよ、その服いっつも同じじゃない」
まあすこぶる似合ってはいるのだけど、と老婦人――クローデルは独り言ちる。
「わたくしの外見はクローデルさまがデザイン設定なさったのでは」
「まあそうなんだけどね……」
実際アンの着てる服は、かつてクローデルが仕立てたものだ。
飾り気を最小限に押さえたデザインはクローデルがさんざん頭を捻って産み出したものだった。
「他の服だってあるでしょう、こないだ買ってあげたじゃない」
「二年半前ですがね」
「うぐっ」
クローデルは痛いところを突かれた、という表情になった。確かにここのところ何も服とか着飾るものを与えていない。
「そ、それより何か家事の他に――」
「したいことはないのか、ですか?」
「そうよ、あたしの世話を焼く以外の何か生き甲斐を見つけるべきだと言ってるの」
「ロボットに生き甲斐とはクローデルさまも妙なことを仰いますね」
アンは手に抱えていた畳んだ洗濯物を入れたかごを下ろすと、諭すように言った。
「良いのです、わたくしは好んでやっているのですから。何も欲しいものはございません」
アンは洗濯物の洋服をタンスにしまいだした。
少しクローデルは考え、また口を開いた。
「家事用のミニロボットとかは?」
「お引っ越しされる前のお屋敷ならともかく今の広さのお住まいでは」
アンは首を振る。
「だってあの家で他の人と顔合わせるの嫌なんだもの」
「クローデルさまとは仲のいいお孫さんのご家族でしょうに」
「あの子はまあいいんだけどその奥さんがねー」
心底うんざりした顔をして眉をひそめる。
「やれ老人たちの集会場にいきませんかだの、リハビリセンターに行きませんかだの、脂と塩分は体に悪いだの」
手を顔の横で降って付け加える。
「もうこの歳まで生きてていまさら指図なんかされたくないっての」
「また下品な物言いを」
「良いじゃない、ここにはアンと私しかいないんだから」
アンはやれやれといった表情で洗濯物をタンスにしまう手を止めて振り返る。
「クローデルさまの人間嫌いには参りますね」
「いいの、あたしはアンがいれば十分」
「そういうのを世の中ではピグマリオンコンプレックスと言うようですよ」
アンの歯に衣着せない物言いにクローデルは頬を膨らます。
「あなたいつから精神鑑定師になったの」
「いつからですかね」
すっかり洗濯物を片付けたアンはふと思い付いたように言い足す。
「そう、最近はデザインのお仕事はなさらないのですか?」
「まあ注文も無いし」
社交もしてないし、とクローデルはぼそりと言う。
「わたくしはクローデルさまのお作品を好ましく思いますよ」
「そりゃあ元々アンを喜ばせるために始めたことだもの」
「そうでしたか?」
「またとぼけて。ちゃんとあなたのログにも残っているはずよ」
ぴ、と音がすると備え付けてあるディスプレイに、今と同じ服を着たアンが描かれたイラストを受けとっているアンが写し出された。
もう少し表情が固い、というよりは表情を作るというのに慣れていない表情をアンはしており、今よりもっとずっと若いクローデルは少し照れた顔でイラストを差し出していた。
「そうでしたね」
「あのころのアンはまったく素っ気なかったのよねえ」
今でも無愛敬なのはあいかわらずだけど、と言い足す。
「アンのその服はその時のイラストのイメージで作ったものだから、何時でも代えたっていいのよ?」
「いえ私にはそのような欲求を産み出す源泉がそもそもございませんので」
「おかたいわねえ」
クローデルは何かに気がついたように、にやりと表情を変えアンに笑いかけた。
「ねえ、ひょっとしてその思い出があるからいつもその服着てるの?」
「そんなことはございません」
「またまたあ」
窓から見える外には相も変わらず雪が降り積もり続けている。
部屋の中は暖炉の赤い光と熱でぽかぽかだが、外は白一色の寒々しさだ。
そんな外をちらりと見たクローデルはふと思い付きを口に出した。
「アン、春になったら川遊びにでも行きましょうか」
「私には防水加工は施されておりませんが」
「私だってそうよ? 水に落ちたら溺れちゃう」
「そういう問題ではありません。追加パックで防水加工を施さない限りわたくしはお付き合いしかねますと申し上げているのです」
にべもなく提案を却下し、アンはようやく空になった籠を棚の上に置いた。
「追加パックで見た目って変わる?」
「まあ多少は」
「じゃあ止めておきましょう。お花見とかの方が良いわね」
春になったら、ね。
クローデルはそう付け加えた。
「それにしてもいつまで冬は続くのかしら」
「本当に、早く春になりませんかねえ」
「アンもやっぱり暖かい方がいい?」
「球体関節の潤滑油の粘性が変わるので寒冷期は好ましくありませんね」
アンは手を握ったり開いたり、グーパーする。すこしキシキシと音がする。
「春になったらまた絵も描きたいわねえ、あなたにも別の服を着せたいし」
「やっとニートから戻られますか」
「もう茶飲み婆さんとかなんとか言われる歳よ?」
クローデルは少し口の端を上げて笑いかける。
「そうですか?」
「まあ全部春になったらね、今だと寒さで手がくるっちゃう」
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