第46話「勝負のとき⑥」
「……素晴らしい。樋口くん、僕は思い違いをしていたようだ。君がここまでできる人間だというのは誤算だったよ。素直に謝罪しよう、君をみくびっていた。すまない」
そういって朝霧は慇懃に頭を下げる。
「だが」
顔をあげ、朝霧はこう続けた。
「だが、それでもなおいい切ろう。君に神谷嬢はふさわしくないと。僕は君以上に神谷嬢の寵愛にむくいる事ができる」
そういいきる朝霧には言葉以上の自信が漲っていた。
客席にいるKKMのメンバーはそんな朝霧に声援を送る。
確かに朝霧はたいした奴だ、並大抵な事では倒しえないだろう。
神谷も俺を殴り終えた後のすっきりとした表情から、難しい顔をしている。
だけど、大丈夫だ。
俺はよたつく足取りで神谷へと近づく。
「……神谷」
近距離で俺はまわりに聞こえないように神谷に呼びかける。
「あの勘違い野郎に思い知らせてやれよ。お前がどれだけ怒っているかを。お前は身体能力が高いだけじゃなくて、頭もいいんだ。考えたらできるさ」
「……………………………でも、あいつは何度、やっても」
ぎりっと奥歯をかむ悔しそうな顔を神谷はみせる。
そうした弱った表情をみせる神谷に俺は断言してやる。
「できるよ。大丈夫、お前ならできる」
「…………私なら……できる?」
俺はできる限り力強くなるように頷く。
お前はやられたら必ずやり返す女だ。プライドが高くて不器用だが、自分の意思を意地でも貫き通すそんな女だ。神谷の攻撃力をこの身で受けて俺は嫌という程、思い知らされている。
だから、俺は神谷を信用している。
だからこそ俺は神谷の猛攻を耐え抜けたのだ。どれだけ長いイニングを耐え、投げ続けたとしても、それはいつか必ずバッターが点をとってくれる事を、味方を信じてこそ、守り切れるのだ。
次は神谷が証明するさ。
俺は体を引きずるように、神谷から離れる。
「話は終わったかい? 樋口君。これで最後になるかもしれないから、せいぜい記憶に残していた方がいいと思うけどね」
朝霧が蠱惑的にほほ笑む。
「いってろ。最後になるのはお前だよ、朝霧」
俺は神谷へと視線を向ける。
神谷に不安の色はもうない。
純粋に打ちのめす相手に対して、集中した表情をみせている。
神谷は本気だ。
――これなら、いける。
「さあ、では始めようか」
朝霧の声に反応して、神谷が出る。
鋭い踏み込みからコンパクトに織り込んだ右ボディーブローが深く突き刺さる。
今までの見た目の派手さと違い、きれいなフォームから繰り出された拳に朝霧は初めて顔を歪ませる。
ただ、変わらず足場は鉄の杭でもささったかのように微動だにしない。
左のダブルもボディーへと同じくコンパクトに吸い込まれていった。
「ぐっふ! これは――!」
朝霧の口から余裕なくうめき声がもれる。
まるで内臓をえぐり込むかのような強烈な攻撃だ。
それでも足は地面に吸いついたように動かないが、しかし先ほどまでと違い体が前かがみになっている。
これが神谷の出した答えか。
確実に一撃一撃の精度をあげて、相手を打つ、しかもピンポイントに急所に向けて。
次に神谷は目標を頭部へと変えて、人中へと攻撃をくわえ、けりあげた左足は見事にこめかめを打ちつけた。
しかもそれでは終わらず返す右足であごを打つ。
それは相手の意識を断つ、日本刀のような一太刀。
さすがの朝霧も膝を折るかににみえた。
だが――その容赦ない攻撃にも朝霧は耐えてみせた。
「――これくらいでは僕の喜びはうまりきらないよ、神谷嬢」
不気味に笑う朝霧に対して、神谷は不遜に答える。
「そう、じゃあ――喜びに狂い死になさい」
言葉の後に放った攻撃はまたやボディーへの攻撃。
水月――みぞおちといわれる、腹部の急所の中でもっとも威力を発揮する場所。横隔膜の機能を奪う悪魔の二連撃。
「かっはっ!」
体中の空気を無理やり出されたようなうめき声が朝霧の口からもれる。
さすがの朝霧もダメージは深刻のようで、体が更に前かがみになり、膝が落ちる。
だが、倒れるまではいかず。
KKMからはほっとした声があがる。
神谷はそこで距離をとり、助走を開始。
高く、まるで女神が舞うがごとく美しい姿勢のまま空へと体を躍らせる。
細くしなやかな体を高速回転させ、その動きに髪の結び目が解け、神谷の細く美しい栗色の髪が舞う。
まるで一枚の絵画として飾れそうな壮麗さだった。
ただその壮麗さの中に隠された右足という牙を神谷は存分に朝霧の頭部へと全力をもって打ち込んだ。
衝撃の瞬間、朝霧の目からは意識がとんだようにみえた。
そのまま膝が崩れ落ちていく。
――だが、朝霧の膝はそこから耐える。
俺はくやしさに歯を食いしばる。
これで九連撃。
後一撃加えれば、俺とイーブン。
次の攻撃を前に朝霧は体勢を立て直すだろう。
連続で攻撃しても二撃で朝霧が沈むとは思えず、かたや後一発とて俺は耐えられそうにない。
これで、負けか。
くそったれめ。
「――――まだっ、まだぁーー!!」
そんな敗色が濃厚になったかと思われた時、神谷が吠えた。
そのまま落ちるしかないと思われた体勢から、体をひねりあいた左足を朝霧の頭部へと放つ。
届きそうにないその攻撃はしかし、常人離れした神谷の足の長さが幸いした。
見事――直撃。
朝霧は予想だにしなかった攻撃になす術もない。
糸のきれた人形のように、力なく地面に膝を落とした。
同時に神谷も地へと倒れこむ。
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