第44話「勝負のとき④」
「君は本当に情けないね」
そんな俺を見て、朝霧は侮蔑の表情を見せる。
「どこまでやる男かと思ったら、この程度とは……。さぞや、神谷嬢にフラストレーションを溜め込ませていた事だろう。あれだけの攻撃でそこまで消耗してしまう君ではやはり神谷嬢の事を任すわけにはいかないな」
そういった後、もう朝霧は俺を見ようともせず、神谷と相対する。
「さあ、神谷嬢、君の真価を僕にみせておくれ。君の美しく舞う姿を!」
先ほどまで動揺し少し青ざめた顔を『美しい』という単語に真っ赤に変えて神谷は朝霧へと突進する。
勢いのまま、左から回し蹴りを太ももに一発。
「まだまだだ。神谷嬢あなたの芸術的なまでに美しいその白魚のような手でも」
「私を美しいというんじゃない!」
神谷は怒りのまま言葉を吐き出し、その想いを拳に乗せて吐き出す。
大振りの一撃が朝霧のボディーへと突き刺さる。
「――くっふぅ、いい、いい感じだ、神谷嬢。あなたの攻撃の美麗さには感動しかないね」
「こ――んのっ!」
右足が閃き、吉崎のふとももを打ち、続けざま返しの左の掌底が頬を襲う。流れた頭部を巻き込むように、神谷の左足が頭を刈る。
朝霧はその連撃にも耐え切り、愉悦極まりない表情を示す。
「至福……これ以上の至福はないね。神谷嬢の想いをこの身に一身に受け、天にも昇る気持ちだ。これ程、あなたを愛らしいと思った事はない。やはりKKMを設立したのは間違いではなかった。あなたのその激情、全て愛でるに相応しい」
絶賛し続ける朝霧に対して、神谷は浅く息をつきながら、震える手を握り締めている。
怒りのあまり震えているのだがそれだけではない。
普段、神谷と接している俺だからこそ分かるかすかな違和感。
紅潮した顔に浮かぶ表情の中にもっと心細いものを垣間見た気たがした。
神谷は――傷ついている。
神谷が何故美しいといわれてこれ程、激怒するのかはいまだに分からない。
ただ、神谷は怒りを覚えるのと同時に、心を痛めつけられている。
何故だかわからない。
美しいという事で、ただそれだけの言葉が神谷にとってはとても苦痛で、何においても否定せざるをえない言葉になっている事だけは理解できた。
怒りだけじゃないのだ。神谷は傷ついている。
だから、今、自分の怒りをぶつけても、その事に意を返さない相手に対面した時にみせる表情には怒りだけでは塗り潰せない怯えが見えた。
怒る事もできなくなれば、きっと立っていられなくなるくらい、神谷にとっては深い事なのだろう。
自分が美しいといわれる事は。
一体、本当に暴力を振るわれているのはどっちだというのだろうか。
俺は仮とはいえ神谷の彼氏という事でここに立っている。
だったらこれ以上、朝霧の思うがままに神谷に攻撃をさせる訳にはいかない。
右肩の痛みはひどく、今はまともに腕もあげれそうにない。
ダメージはすでに深い。
けど俺はまだ立っていて、声をあげる事はできる。
「……朝霧、お前はとんだ勘違い野郎だ」
「おやおや、静かにしていたと思えば、なにをいいだしているんだい? 君は」
「神谷の怒りがなんなのかも分からない奴がほざくなよ」
「……なにを言いだすかと思えば、数発、単発で神谷嬢の怒りをその身に受けただけで、ろくに身動きもとれない君がいう事なのかい? それは。神谷嬢の激情を受け止めるには君はもろすぎる」
そう言い捨てた朝霧の中性的な顔に侮蔑がありありと浮かぶ。
観客席にいるKKMも同調するように声をあげる。
他の生徒もその声に異論はないようだった。
朝霧は五連撃をくらっても余裕を残し、相対する俺はもう余力もなさそうに見えるから当然といえば当然だ。
きつい状況だった。
でも、もっときつい時など俺には幾度もあった。
炎天下での完投。
味方の援護もなく、延長を投げ切り、打者の心理を読み、最後までコントロールを駆使して、打者を打ち取る為に、何度も腕を振ったあの頃。
負けたくない一心で、耐えて耐え抜いて、守りに守り抜き、味方の攻撃を待ったあの地獄を。
だからこそいってやる。
「俺の事をお前が勝手に決めるなよ。俺がどこまでやれるか証明してやる。お前になんて負けてやるものか」
俺はそういって誰もが勝敗を決したと思えるこの状況で宣言する。
負けてたまるかと、勝つのは俺だと。
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