第5話「担当教師の面談①のろけられても困る」

「樋口君はどれがいいと思う?」


 隣同士で椅子に座らされ、机の上にあるブライダル雑誌を見せられながら、担任の川村ゆきえ先生ことユッキーに披露宴はどこがいいかと問われていた。


「私さ、茶道やってた事あるから、和婚をやりたいなーって思ってるんだけど、やっぱりそうすると神社の方がいいのかなって思いつつ、やっぱりハワイとかでウエディングドレスも捨てがたいし。海外で挙式あげてそのまま、車に乗って新婚旅行にいっちゃうってのもいいよねー」


 放課後の職員室は人気のない教室とは対照的に賑わっていた。先生たちは明日の授業の用意をしていたり、テストの採点を行っていたり、教育委員会からの書類に目を通していたり、忙しそうだ。

 なのに目の前のこの人は……。

 

 幸せオーラ全開でこちらに光線を向けてくるので、正直辛い。俺はあなたの結婚相手じゃなければ、親でもないし、それどころか友達でさえないんですが。俺のつつましやかな幸せを邪魔した上に、自分の幸せをアピールしたいのか、鬼なのか、ユッキー。


「どっちでもいいですし、どうでもいいですし、用件がそれだけなら、もう帰っていいですか」


 今からなら、走ればちづる先輩においつくかもしれない。


「えー、その回答つまらないなー。駄目だよ。女性の質問に無碍むげに答えちゃ。女の子に嫌われるわよ?」


 理不尽極まりないが、現在、彼女のいない俺には名状しがたい言霊を持つな。


「……神社がいいんじゃないですか? 海外もいいですけど、あまり遠いと出席できる人限られそうですし」

「そうか、樋口君は私の和服姿が見たいのね。クラス代表で私の結婚式呼んであげましょうか?」


 誰もそんな事いってない。誰かこの頭の中がお花畑の人をどうにかしてくれ。


「……本当に俺、もう帰っていいですか?」

「もう、樋口くんは天邪鬼あまのじゃくなんだから。先生ともっとお話したいくせに」


 自分の横顔に手を添えながらウインクしてくる。

 

 本当、誰かどうにかしてくれ。

 周りの先生たちは忙しそうに仕事をこなしていて誰もユッキーに注意しないし、俺の大事な青春が担任の妄言で削られていっているのですが。


「そんな疲れたような顔して、もう、そんなに私の気を引きたいの?」

「……ははは」


 乾いた笑いが漏れる。逆だ、俺の事を気にせずにいて欲しい。


「そうそう、疲れた顔といえばね、今日、こんな事があったのよ」


 ユッキーは話題を変え、思い出したかのように今日あった出来事を話しだそうとする。

 

 もう間違いなくちづる先輩には追いつかないだろうな。ああ、どうしてこんなどうでもいい話を今、聞かなくてはならないんだろうか。

 そんな俺の思いを感じ取ってもらえるはずもなく、ユッキーは話を続ける。


「放課後にさ、ちょっと実験室に忘れ物をしてしまったのを思い出してね、私もその時、忙しくて、目の前を通った生徒に取ってきてくれるように頼んだのだけど」

「……ちなみに何を忘れたんですか?」


 俺は先輩の事は諦め、大人しく話を聞く事に決めた。どうせ逃げられないなら、黙って聞いた方が帰るのも早い。


「樋口くんにいうには少し刺激が強すぎるから、いえないわね」


 川村先生は熱い吐息を漏らす。

 教育の現場に何を持ってきてるんだ、ユッキー。というか職員室で何をいっているんだ、ユッキー。頼むから隣の四十五歳、男、古典の先生、反応するくらいなら注意してくれ。


「しばらくしたら職員室にその子がやって来たんだけど、なにも持ってきてないの」

「なんでですか?」


 刺激が強すぎるものだから、手に触れられなかったんじゃないのか? と思ったのは心の中だけに留めておく。


「どうやら実験室の場所が分からなかったみたいなのよ」

「えっ、そんな事あるんですか?」

「そうよね、ちょっとびっくりよね」


 実験室は正面玄関を入ってすぐの教室にあり位置関係上、生徒の目につきやすいところにある。化学を選択していない生徒でも割と公然と知られているところにあるのだ。ただ、普段、よく目にするところ程、意識していない事もありそこに教室があることは覚えていても、実験室だとは認識していないのかもしれない。


 しかし、例えそうであってもやはり実験室の場所を知らないのは不自然に思う。それは最近、実験室が有名になったからだ。正確にいうと実験室を使用している化学部が文化祭の際、揚げアイスを販売し、総合売上二位に輝いており多くの生徒がそこに足を運んだからだ。実験室への案内看板も目立っていたしな。


「樋口くんは揚げアイス食べた?」

「食べましたよ。周りのころもが熱々なのに、中身は甘く冷えてて美味しかったですね」

「そうでしょう、そうでしょう」


 化学部の副顧問であるユッキーは喜色満面で頷く。


「その子は残念ながら、食べた事がなかったみたいでね。その場所を知らなかったみたい」

「まわりに教えてもらったりしなかったんですかね? 一時期、すごい話題になってたのに」


 風邪か何かで休んでいたのだろうか。季節の変わり目で体に変調をきたしやすい時期ではあった。


「いい辛いんだけど、その子クラスにあまり馴染んでないのよ。だからそういう事に疎いのね」


 ああ、そういう理由か。俺たちと同学年か分からないけど、もう今のクラスになって半年以上経つ。その状況だと辛いことだろう。


「なんだかかわいそうですね」

「そうよね、そう思うよね」

「そうですね」


 同意をうながす言葉に俺も素直にうなずく。


 それで疲れた顔か。場所が分からず延々さがしてたんだろうな、きっと。

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