第4話「先輩に癒される」

 勢いで勝負にのってしまったが悲しい事に俺は今まで彼女ができた事はなかった。というより、まともに恋愛をしたことがない。そんな事より面白い事があって、俺はそちらに熱中してたからだ。


 もてない男のいいわけじゃないからな?


 色気のある話が今まであったわけじゃないから、もてないってところは否定しないけどさ……。

 それというのも俺は小学校入学くらいから、中学二年の冬まで野球をしていてピッチャーとして日々汗を流していたからだ。


 朝も昼も夜も野球漬けで、思い出といったら常にグラウンドの中だった。

 ピッチャーとしての俺の成績は我ながら悪くはなく、中学の頃には、県大会でも目立つ存在になっていて、県外の強豪校のスカウトから声をかけられるようになっていた。


 順調だった。

 俺はこれからもこの道をただ全力で走りぬけたらいいと思っていた。

 けど、ある日その道は途絶える。

 事故にあい俺は右肩を故障したのだ。


 ピッチャーを続けることはできなくなった。

 ピッチャーである事が俺の全てだったし、実際大半の時間を野球に費やしていた俺はその後、暫くどうしていいか分からなくなっていた。

 

 途方に暮れて荒れた。

 荒れて回りに迷惑をかけて、ある事があって、なんとか立ち直って今の俺がある。

 けど、俺はピッチャーに変わる俺の価値を見いだせずにいた。


 学級委員になってそれなりに忙しくしていて、友達も多いし、新たな生活はそれなりに楽しい。友達がいるなら、後は彼女なんだろうけど、いまだに俺はよく分からずにいた。


 恋愛というものが。


 どうしてもピッチャーとしてのマウンドでのあの興奮と比べてしまってうまくなじめないのだ。恋愛に対してそこまでの熱を感じられないから。

 いや、多分それはいい訳だ。


 きっと俺は今のなにも持たない俺のような人間が、誰かにとって焦がれるような存在として、求められる自信がない。

 でも、自信がないと消極的になっていても、カップルを見ていると幸せそうで羨ましいなとは思う。だからきっとこれはいい機会なのだ。なにか行動を起こさなくては俺はいつまでたっても変わらないんだから。


 そんなような事を生徒会の連絡会に出席しながら、考えていた。

 すまない。だって暇なんだ。思考も垂れ流すさ。


 小会議室を貸しきって、連絡会には全学年の学級委員が出席しており、議場では生徒会長が事務連絡や行事予定、通学路で起こった事故など、報告がなされている。生徒会長の周りには学級委員たちが座る机と向かい合うように机が置かれており、副会長や書記、経理、各委員長が控えていた。


 その内の一人がこちらの視線に気づいたのか、目元でうっすらと微笑みかけてくれる。

 連絡会は滞りなく進み、生徒会長が最後に話をまとめた。


「えー、では各々のクラスから有志を募り、最低二人以上を選出した後に、近日に予定されている町内の清掃活動を行います。次の連絡会までに参加予定者を報告して下さい。それでは、今日もお疲れ様でした」


 集まった学級委員たちがそれぞれ立ち上がり、がやがやと喧騒に包まれる。集まった小会議室から出て行くそれぞれの中から、こちらに向かってくる人が一人。


「やっほー、孝也くん、お疲れ様ぁー」


 風紀委員長二年生の高梨ちづる。

 身長は小さく一五十センチ程しかない。黒髪を肩まで伸ばしており、前髪を右に流し小さな耳をだして髪留めでとめていた。全てのパーツが小さくできているが、瞳が特徴的で大きく、表情をよくあらわしている。ネイビーブレザーの制服をゆるめに着付けているので、雰囲気とともにふんわりとしたイメージがある。

 

 そんなちづる先輩がにこやかな笑顔とともに俺に話しかけてくる。

 どこかの不機嫌女とはえらい違いだ。癒される。

 小柄なので、こちらを上向くように見てくる。つぶらな瞳に光を湛えて、リスのようなかわいらしさがある。

 

 この容姿や雰囲気のおかげで風紀の取り締まりを行う際にもなんだか、ちづる先輩がいっているならと許されてしまうので、ちづる先輩を困らせるような事をみんなしにくいのだ。

 そんなちづる先輩とは入学当初から、なにかと世話になる事が多い人で仲良くさせてもらっている。


「お疲れ様です、ちづる先輩」

「なんか肩こっちゃったよ。会長の話が長いからさぁー」


 黒板近くで、生徒会長は副会長と何やら話しており、顔をよせながらちづる先輩は話しかけてくる。シャンプーの香りが鼻をくすぐる。


「そうですよね。俺もできたら放課後は早く帰りたいんですが、この学校こういった定例会みたいなの多いですよね?」


「ああ、それはね。生徒会長が結構細かにスケジュールとか全体の工程表作りたがる人でさ。優秀なんだけどねぇー。いい人なんだけどねぇー。優しい人なんだけどねぇー。ちょっと張り切りすぎて周りおいてっちゃうきらいがあるからね。まぁー、でも結局一番苦労してるのあの人だから、みんなついてっちゃうんだけどねぇー」


 いかにも優等生を絵に描いたような学校指定の男子制服に身を包む、シルバーフレームの眼鏡が印象的な生徒会長を見やる。

 こちらも真面目そうなスカートの丈がしっかりと守られた副会長となにやら打ち合わせをしているようで、プリントを指さしながら何か話し合っている。


「……ふーん、慕われてるんですね、生徒会長」

「生徒会のトップだからね。やっぱり人望ないと。特にうちの副会長はいかに今の生徒会長がいいかのろけまくってるよ」


 そう言って、ちづる先輩は副会長を指差す。


「もしかして付き合ってるんですか?」

「その通り。お似合いじゃない?」


 清廉潔白を絵にかいたような二人なので、確かに似合いそうだ。


「……そうですか」

「なに遠い目して、疲れたような顔しちゃって?」

「……いや、もうカップルだらけだなと」

「ん? どういうこと?」


 昼休みの事を吉崎との勝負は除いて、カクカクジカジカと先輩に話す。


「おおう……ちょっと孝也君のクラス青春しすぎじゃないか。お姉さんである私でさえ、彼氏がいないのに、ちょっと憤慨ふんがいだねぇ」

「ちづる先輩はけど、もてるでしょう? かわいらしいですからね」

 プンプンしている姿にも愛嬌があるので、思ったままに言葉にする俺。


「――いや、もうなにいってんのさ、かわいらしいとか、このっ、先輩をからかうんじゃないよ」


 言われ慣れているだろうに顔を少し赤くして、背中を叩かれる。

 いやー、叩かれるといっても、神谷と違ってなんとソフトタッチ、癒される。


「先輩って、本当、いいですよね。彼氏になる人は幸せ者だと思いますよ」


 見てて飽きないし、なにより癒されるしな。


「なんでおだててくるんだよ。この一体なにが欲しいのさ! もう暗くなってきたのに熱くなってきたじゃないか!」


 そういって真っ赤になってパタパタと自分の手で顔を仰ぐ、ちづる先輩。


「そういやもう日が落ちているんでしたっけ、暗くなるのも早いですね」


 太陽は隠れてしまい、先輩の様相とは別に、暗く紫がかった空は見て分かるくらいに外の気温が下がってきているのが分かった。視線を下に向けると、野球部がトンボを持ちグラウンドをならしている。体育館に室内器具がそろっている為か、グラウンドで部活動をしている姿は他には疎らだ。


「ああ、これだと帰り真っ暗だなぁー」


 真っ赤になった顔が今度は憂鬱そうな表情になる。目まぐるしく、見てて飽きない。ちづる先輩のつぶらな瞳が逢魔が時の空を映す。


「ちづる先輩、もう今日はこれで終わりですか?」

「うん。そうだよぉー。後はね、この小会議室の後片付けして戸締りしたら生徒会の仕事は終わりだね」


 ちづる先輩のような愛玩動物に一人夜道を歩かせるのは危険かもしれない。リスのようにポケットに入れて持ち帰られはしないだろうけど、変態に襲われる可能性はあるな。


「……ああ、じゃあ、一緒に帰りませんか?」

「おおっ! 送ってくれるんですか! さすが孝也くん、頼れるねー。一人じゃなく二人で下校だよ! やっほーい!」


 いや、なんかすごい喜びようで、俺なにか芸でもみせながら帰らなくてはならないんだろうか? あいにくとそんな器用じゃないんだけどな……。


「おっ、会長と副会長の話も終わったみたいだし、ちょっと待っててよ」


 その台詞を聞いて、俺は了解する。

 ちづる先輩との会話は楽しいし、なによりかわいい女の子と下校するというのは学生生活を楽しむ上で重要な事のように思う。


「分かりました。じゃあ、教室の外で待って……」


 ピン、ポン、パン、ポン。

 木琴を叩いたような音が黒板上にあるスピーカーから流れ、俺は口をつむぐ。


『一年一組の樋口孝也くん、川村先生がお呼びですので、校内にいましたら、職員室に来て下さい。繰り返します。一年一組の……』


 最悪のタイミングで無情なるアナウンスが流れる。

 俺はなんともいえない顔になり、ちづる先輩は見て分かるくらい残念そうな顔をしている。本当に表情豊かな人だな。どこかの誰かに分けてやりたい。

 短い沈黙を破ったのはちづる先輩の長い溜息。


「……ああ、残念。また今度だね」


 こうして俺の小さな幸せは摘み取られた。

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