第9話 宝の中身

「はあっ、はあっ」


「お主……いつもはヒョコヒョコと卑屈な歩き方をしておるが、それなりにふざけた運動能力をしておったのだな……」

「はあっ、はあっ」

「おう、そうじゃクルト。ありがちな願望を叶えるのにも飽きてきたし、儂の専属運び屋にならんか? それはこうじゃ! 別の持ち主をまず用意して――」


「いいから、そんなことは! 魔術を使うなら、早くここでやってくれ!! この高さならなかなか悪くないポイントになってるだろう」

 野盗たちの洞穴に向かう前に、できる限り近辺の地形は頭に入れておいた。

 青年がいま立っているのは、ややなだらかな隆起の上、敵のアジトの入り口が眼下にうかがえる場所である。


 まさか猛烈な逃走を見せた相手が、すぐ頭上に戻ってくるなどとは、ヤツらも考えつかないだろう。ふつう悪漢は、自分を恐れない人間はいないと思っているのだから。


「……お主もあまいのう、クルトよ」

 そこで、青年が先ほどからかしているにもかかわらず、エノーラはいつものような調子のまま言う。

「《ドクガエル》を飛刀に用いるのはいいが……かなり神経毒をうすめておるか、弱毒種を使っておるな。――“父親”候補の一人が、もう動き出しておるぞ」


「!?」

 言われてクルトも下をのぞいてみたが、確かに仲間に介抱されていた小男が、首をもみながら何かを叫んでいる。

 どうやら、母に“当たり”をつけた親父様は、そこそこの立場の人間なのだろうか。


「……それに、こちらを追いかけているせいで、奴らの勢力の大半は分散している。ここで巣穴を破壊しても、あまり意味があるとは思えんが……」

「いいんだ!」


 それでもクルトは、迷いなく答えていた。

「以前言ったように、俺は親殺しがしたいわけじゃない。ただ、何かしなけりゃこれからもずっと真っ直ぐに生きられない気がしてるだけだ。――それに、あんたもポロッとらしてたろう。どんなに傲慢な欲望を持った人間でも、予想を超えた災厄に見舞われたとき、その思いを改心させることもあると。……奴らが、いくらかまともな神経を持っていることを祈るよ」

 そう伝えて、背中のコンパクトを、バッグごと握りしめていく。


「――ふむ。新たなる、儂の主よ」

 静かに、いつもの煙の姿に戻って耳をすませていたエノーラは、どこかもの珍しそうな、ニヤけたような声音で返事をしていた。

「お主とは、そこそこ長いつき合いができるかもしれんな。下賤の出でありながら、どこでそんな甘っちょろい品性を身につけたのか知らんが、そういう奴は欲望が薄く、代わりに多彩じゃ。スルメくらいには長持ちするかもしれん」


 そう告げるや、彼女はまた先ほどの身体を現わしていった。

 クルトの見た、その後ろ姿は。

「……お前、それ……?」

 敵が迫っていたときは気も動転していたが、あらためて今、青年はエノーラの肉体の顕現に、言葉を失う。


「うん? 何かおかしいか? よく人間どもは儂を見て絶句したり、恐怖に固まったりするのだが、どこが失敗しておるのか分からん」

 そうぼやいて、彼女は魔術の詠唱に集中していった。

 いや――失敗とか、そういう次元ではなく。


『我は凍土の深淵にて、いのち全能たる者なり』


 その、エノーラの身体は。


『我の言葉にて宙は波長し、その音にしてしゅは遠雷を知る』

 目は透きとおった群青――漆黒の絹服ドレスに、映えるような長身。

『今ここに、森羅の導きあり。そのすべてを新たにせんとし、我ふたたび目にと暗黒を生む』


 彼女の燐光する髪は、水流の深蒼ロイヤルブルー――

「少しサービスしておいてやる! 山賊どもが、腰をぬかして人生を考察してみるようにな!」


――“万象崩壊コズミック=バースト”!


 ごぉん!!


 その言葉が手の平とともに下へふりおろされると、クルトは我を失った。

「うおっ! うおおおっ!!」

 見渡す限りの大地に裂溝が走り、足場がいきなり数十センチはへこんだような衝撃に、彼は襲われた。


 そしてすぐに、一番始めの落ちる縦揺れから、マントルに達するほどの五十㎞級の亀裂に林立することになった大地が、横揺れでお互いに崩壊をはじめてゆく。


 それは世界の終わりに思えた。

「エノーラ……! 死ぬ! 俺たちは死んでしまうー!!」

 ゆっさゆっさと不気味にふられる大地の上に倒れ、クルトは彼女の足にしがみついていた。


「あっ、おぬし……! ……あっ」

 そこに、不敵な笑みを浮かべて立っていたエノーラは、己のスカートに巻きついてきた青年に両手をとらされる。


「な、何をしておるのじゃクルト! 淑女の肌に触れるなど……ええい、なっ……」

 無様にもそのまま前のめりに倒れ、術の制御を失ってしまった。

 しばらくもがいた後、


「――ちょっとお主、静かにしておれい! 儂らの足元には、何の変化もないではないか。周囲の緩衝材になって、すこし揺れておるだけじゃ!」

 取り乱しながらそう伝えて、彼女は頬を赤らめたまま立ち上がった。


 この、痴漢でチキンな主め。

 頭を何度か叩いてやりたかったのだが、彼女はどうにか自分の目線をまた山賊たちに向けていったのだった。


 ……さすがに、一人くらいは落ちると思っていたが……

(しぶといのう。いや、それでこそ、というような悪運どもだからこその、我との出会いか)

 変な部分に感心して、エノーラはまだ林立するわずかな地表にしがみついている男たちを眺めていた。

 だが、この魔術はまだ終わりを迎えたわけではない。


 ――ふっ。

 そう力を込めて、彼女は眼下に突き出した右手を反転させていた。

「ぬっ!?」

「なん……ぐおっ!」


 いきなり崩れかけていた地表が砂礫と化し、今度こそ山賊集団は大地へと呑みこまれていく。

 ……それは、実のところ底の浅い受け皿のような地面の変化だったのだが、そんな予測などつくはずのない人間にとっては、阿鼻叫喚の地獄絵図である。


 その場にいた幾人かは、大口を開けたまま砂を飲み込みながら沈んでいった。ほかには、必死に手足をバタつかせる者、着用した衣服や装備のせいか、斬新な泳法をあみだしている者などもいた。

 彼らをよそに、エノーラたち二人は、陸の孤島の上で時間を忘れたように眺め立っていた。


「……」

「くっくっ」

「おい、エノーラ」

 それなりに時間を費やしてしまったが、青年は美しい絹服の背中を見せている女性に、やっと話しかけることができた。

「?」


 くるりと振り向いた彼女は、勝ち気な眉に、驚くほど澄んだ瞳を向けてくる。

(コイツ……まともでは考えられんほどの高貴さを持っていたんだな……。身体は自分で創ったのか、本当に生まれついての“宝”なのかは知らんが)


「――で、どうだった? アイツらの欲望がいくらかでも潰えたのなら、あんたはそれを回収できるんだろう? さっき起こった破壊に衝撃を受けて、身の程を知ったような奴はいたのか?」

「……む。んっふっふ」


 気持ちの悪い笑みを浮かべながら、彼女はふたたび腕を空に向かって広げていた。

「そうじゃなあ。お主の言う通り、確かにここまで思い上がった雑念を抱いている奴らは、そうおらんじゃろうよ」


 今まさに、解き放たれた欲望エネルギーを吸収しているのか、ほのかに身体が魔力光に覆われ、エノーラは至福の表情を見せている。

 それを見て、どこかクルトはほっとしたような気持になっていた。


(そうか……。悪を懲らしめる敵討ちなんて、同類の罪を犯してきた人間がやっていいのか迷ったけど、これで野盗がいくらか減るのなら、間違ってはなかったんだよな……)


 青年の母親は、きっと意趣返しなど望まなかっただろう。

 彼女は、父親などとは別に、ちゃんとクルトを愛してくれたのだ。でも世の中は、それだけで渡っていけるほど、甘いものじゃなかっただけで。


 ――娼婦が、この世界で他人ひとに、何かを望むなんて……

 だからクルトも、一人で生きていくためだけの欲望しか持たないと、彼女が死んだ時にそう決めたのだった。


「ク~ル~トぉ~」

 どこか晴れ晴れとした顔で、白みはじめた山の稜線を見つめていた青年に、そこで声がかけられた。

「先ほどのことじゃが……儂の両足を抱いたこと、ちゃんと憶えておるんじゃろうの~? この《氷獄の女神》の素肌に触れるなど、どれほど罪深いことをやらかしたのか……」


 まるでヘビのようにねちこい語り口で、エノーラはクルトに近づいていた。

 その割には、もう肉体はとっくに消し去っており、いつものふよふよとした黒い塊が彼の周りを飛んでいるだけだ。


「長く一緒にやっていけると感じた矢先だったのじゃが……。とてもではないが、破廉恥な男と旅ができるとは思えん。儂は、お主の願いを次々と叶えてやることにしたぞ。パッと気持ちよくなって、その短命なる命を差し出すがよいわあ!」

 どこか勢いがかったように、彼女はそう宣言していた。

 クルトはしかし、その無理をしているようなエノーラの話し方に、とっくに気づいている。


「いや、すまん。だってあんた美人だし。誰だって欲情すると思うよ」

「ぴっ!?」

 それで、エノーラの声に突然力がなくなっていた。

 ……やはりか。


「あんた、これまでの持ち主が、『絶句したり怯えたりする』って言ってたな。それはおそらく、魔術士はあんたの能力に恐れをなしたんだろう。でも他のヤツらは――」

 そんな姿を見るまでもなく欲望を叶えてもらっていた人間は、もはや彼女の力にひれ伏し、すでに逆転してしまっていた主従関係のエノーラを望むことなんてできなくなっていただろう。


 クルトは、慌てふためくように首のまわりを飛んでいた彼女を、じっとにらむ。

 そして、とどめとばかりに、きっちりと彼女のデレ具合配合過多を見抜き、まっすぐな申し込みをしたのだった。


「――俺にも今日、一つの欲望が生まれた。あんたが欲しい。それが叶えられるなら、たぶん俺はずっとあんたに欲情しつづけるだろう」

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