第7話 法は殺人を止められるか

 人殺しというものは、本当に“悪”なのだろうか?


 幼い頃から、目の前で強者が横行し、せせら笑いながら生き延びている世界を見てきた青年には、そんな思いがあった。

 その時代においての力――例えばお金や腕力以上に、人が生き残っていけるであろう、正しい《・・・》正義など存在しない――


 まだ『法』というものが生まれていなかった当時、だれかを殺すということは、自分が生き残るために奪うことであり、それは命をつなぐ、切実な行為正しさだったのではないか。


 『……では、その法というものは、何のために作られたのじゃ?』

 

 彼女は問いかける。

 それにも、青年は難なく答えることができた。

「ときどき、“天によって定められた”などというやからがいるが、結局のところ罪を定めるのは神ではなく人だ」


 たとえば、殺された男のまわりにいた婦女子や老人が乱暴され、その不幸が後世に語られていったからこそ、暴力を早い段階でつみ取るためのルールが生まれたのではないか。


 けど、と自慢げに語っていた青年は、そこで初めて答えをためらう。

 何でも知ったような口をききながら、たった一つ、自分では分からない疑問がそこに生じる。

「――ならば、『死罪』は? 人々が声を荒げて、最もやってはいけない、と叫んできた、人の命を奪う行為『死罪』は、どこから出来上がった法だ?」

 それにあっさりとうなずいたのは、今度は彼女だった。 


 迷いの中にいる青年に、彼女エノーラはあざ笑うように言う。

 ……倫理か。

 それとも、正義のためか?


『いや。ただの報復感情じゃよ』






 ハッと、クルトは視線を前にもどして、首をふっていた。

 ここはハーライン峡谷。


 すでに入り口を越え、山賊のテリトリーに入って一日が経とうとしている。

 思ったより時間がかかってしまったのは、見張りが予想以上に敏感で、夜遅くにならないと、まともに進むこともできないと感じたからだった。


(……地形が利用できる強みもあるだろうが……さすが、討伐隊や、名のある賞金稼ぎなんかを返り討ちにしてきただけのことはあるな)

 クルトは、慎重に後ろをふり返りながら、可能な限りの範囲を索敵しながら進んでいった。


 とにかく、視界が悪い。暗い木々のしげりを抜けて、いきなり現れるいくつもの断崖絶壁に、青年が持っている地図はほとんど通用しない。

 ……ときどき出くわす見張りには、クルトのかるい神経毒が塗られた飛刀か、エノーラの投石魔術が頭を直撃していた。


 くわんっ!


「おいっ!」

「すまん! 今のヤツは兜をかぶっていた! お主の方が適任じゃったな」

 ヒマつぶしに「儂にもやらせい」と主張してきたエノーラだったが、静かに倒せよ、というクルトの命令を無視して、彼女は邪魔しかしていなかった。


「そもそも、ここら一帯を爆撃してやろうという儂の申し出を断ったのはお主だろう。なんでこんな七面倒くさいマネを……」

 ぶつくさぼやいているエノーラだったが、昔の彼女の話を聞いて、その力をクルトは恐れたのだった。


 ――市街を二つほど、壊滅させたことがある――

 それは、青年にとっても聞き慣れた伝説の話だったのだ。

 そのうちの一つは、北の列国としても有名だった、城塞都市ユリウス。

 突如その城下が暗黒焦土と化したのは、ある兵器実験、または凶獣の羽化が原因だったと考えられている。


 ……しかし……

「あれはのう。当時の王妃、シエナ王女がちょっと嫉妬してな。王都の参謀副官に、それは涼やかな風情ふぜいの、頭の切れる女がおったのじゃよ。でもそいつは仕事にしか興味がなく、王に一度抱かれたあげく、『よくあんな下手くそと寝て喜べるもんだ』と後宮からつめ寄ってきた王女に無表情で言ってしまったのじゃ」

 その副官の実家は下町にあってのう……いや、女の嫉妬ほど恐いものはないぞ。


「恐いのはあんたの魔術だろうが」

 クルトはそう言って、また周りの気配をさぐっていた。

 滑稽な自慢話を淡々と聞いていたが、そろそろ、敵のアジトがある場所に着いてもおかしくはない。

 来た時間の、同じぶんだけ反対側に歩けば、ちょうど峡谷の向こうに出るあたりまで、彼らは入り込んでいたのだ。


(……言っとくけど、地形を変えちまうようなとんでもない魔力は使うなよ、エノーラ! 山賊のアジトを使えなくする程度にぶち壊すだけでいいんだ。運が悪ければ、そいつが死ぬこともあるだろうし、俺はそれぐらいで充分なんだ)

 自分がいま、冷静でいるのかどうかは分からなかったが、クルトはとりあえず、一撃離脱作戦を彼女に与えていた。

 ――それが上手くいくかどうかは、まったく見当がつかなかったが……


 内容はシンプルだ。

 エノーラの言う“大魔術”でカチ込みをかけ、反撃をふり切るためにも効果を確認することなく脱兎の撤退。のちにうわさ話や瓦版かわらばんでほくそ笑みながらその惨状を見聞きするという、かなりセコい作戦である。


「……はっ。ビビリがよくやるような手じゃな。儂のようなプロフェッショナルをそんな流儀で戦わせようなんざ、お主は本当に変わっておるよ」


 こんな男に蒼玉の価値が分かるのが不思議じゃのう……とエノーラは真剣に悩んでいたが、まあそれなりに彼女も楽しんでいるようだった。

 何しろ、自分を“たぐり寄せる”人間にはそれなりに強運、妙運があるはずなのだ。


 だが、それでもまさか、クルトが自分にとってどういう主人になるかまでは、この女傑でも完全に予想を外すことになった。


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