第10話 暗闇の中の痕跡

 雪がいまだ降り続ける夜の町中。

 白露は町中を歩き、昼間に白紙賊と争いを繰り広げた、建設途中のビルを目指していた。

 その服装は、普段のラフなジャケットにジーンズの格好の上から、トレンチコートを羽織っている。その下では、尻尾が表に出ないように、腹回りで尻尾をそれ専用のベルトで縛っている。

 仕上げに頭には深めのハット。一通り変装が出来たところで白露は、自分がそれなりに人間社会に紛れやすい恰好である事に感謝した。


「さて……一日でまた来るとはなぁ」


 眼前に現れたビルを見上げ、白露は白い息を吐いた。

 周辺のビルより高い、建築途中のビルは、まだ照明が付いていない段階では、一番上の方は本当に見えているのかが分からない程暗い有様であった。

 視線を降ろし、ビルの入り口を見る。そこには、大きな正面玄関に新しい立ち入り禁止のテープが張られている。


「窓も割れたし、さすがに警察の手も入ったか」


 そう言いながら、白露は裏口へと歩く。歩きながら周囲の様子を見たが、一通り警察による調査は終わった後ならしく、未だに彼らが居る様子はなかった。

 そうこう確認していると、白露は裏口にたどり着いた。ここもまた、立ち入り禁止のテープが張られている。どうやら、昼間に白紙賊のリーダーがぶつかり、割れた窓はこっち側なようだ。


「さて……と。どうすっかなぁ~……?」


 白露は顎に手を付けて、上と下を交互に見る。

 上に見えるは、暗闇に続くビルの側面、そして窓。そして下に見えるのは裏口となるドア。


「…………階段昇りたくない!」


 白露はそう言うと、ビルの壁に向かって高く跳びあがった。

 3階程の高さだろうか、底の窓の淵を掴むと、白露は力いっぱいに引っ張り、自分自身を更に上へと飛ばした。

 数十階もの高さを誇る高層ビル。輝かしい町の中に一か所出来た暗闇の中を、白露はまるで肌を添う小さなテントウムシのように駆け上っていく。

 窓の淵を掴んでは上へ跳び、勢いのままに白露は壁を駆けて登っては、また窓の淵を掴み跳ぶ。それを繰り返し、白露はあっという間に、割れた窓を目にした。


「うしっ、おっけー!!」


 目の前にそれを確認した白露は、割れた窓の階の一個下の階の窓の上淵に、手をひっかけた。

 付いていた勢いのまま、白露は姿勢が逆さまになり、静止した。足の裏のあと一歩先には、割れた窓の破片が刺さる寸前に迫っていた。


「ヒュー……」


 白露は安堵の息を漏らす。そして、割れた窓の階の淵に、自分の足を乗せると、手でビルの壁を押し、柔軟な体のままに割れた窓の淵に自分の身体を引き上げた。

 無事態勢を戻し終え、白露は足元に広がる、広大な街並みを見下ろした。


「うわっ、こわぁ……足すくんじゃいそう」


 頬に冷たく冷えた風が吹くのを感じる。

 そして、白露は割れた窓の淵から室内へと入っていった。


「いよしっ、潜入成功」


 両こぶしを握り、白露はガッツポーズをとる。

 それから、部屋の周囲を見直す。部屋の中は、白紙賊が陣取っていた時のように、壊れた資材に、部屋の中央に血の血痕と、無残な様子を残していた。

 白露はゆっくりと部屋の中央に近づき、地面の血痕の前でしゃがむ。


「指紋も、血の跡も。警察はみんな取っていったんだろうねぇ……。でも、残念。指紋をとっても、血をとっても。俺たちゃ、もう人間社会に存在しない、居ない故人なんだ」


 白露は下唇を柔らかく噛み、ハットは耳が垂れるのに合わせて、前側へ傾く。


「調べても、人間の仕業じゃない、ぐらいしか分からない。個人の特定なんて、できない……もう、死んでるからね……」


 黒く変色した血痕を見て、白露は静かに首を振った。


「……俺たちにとっては、こっちが問題だ」


 白露を顔を上げ、部屋の横に転がっている、割れた木箱の破片を拾い上げた。

 そして、静かに呼吸を整え、自分の中に立ち籠っている妖力を、目と手の先に集中させる。

 すると、白露の視界は暗い紺色のような世界に包まれた。あたりが暗く沈んでいる中で、手に持っている木箱の破片は、赤く燃える炎のようなオーラを立ち込めている。

 それと合わせ、白露の手には、ちりちりと、自分自身が流す妖力に合わせて別の妖力が反発するような感覚が感じられた。


「昼間の、白紙賊のリーダーの気だな。たしか、えーと……消炭総長、だっけ?」


 白露は首を傾げつつ、木箱の破片を握りつぶす。すると、破片に宿っていた妖力は煙のように霧散し、それから緩やかに部屋の中に一本の線を引くように流れ始めた。


「人間が行方をくらませた相手を探すように、妖怪にも行方を捜す手っていうものがある。こんな些細な破片でも、消えた相手の場所を指示してくれる」


 これは、魑魅境にとっては基本的な追跡方法の一つだった。以前も、変な噂に惹かれ、行方不明になった人間を、失踪場所に残っていた妖力から、本拠地を割り出した例もある。

 そして、これを使えば、敵からしてみても、こちらの居場所を知る手がかりを得られるということでもあった。


「最も、残した痕跡との繋がりを絶ち切ったり、濁したり……結構複雑な攻防があるもんだが……」


 白露は破片を捨てると、部屋の扉を開け、建物内を散策し始めた。


「こういった痕跡を隠蔽する部隊が、俺たちの魑魅境には居る」


 白露は胸元のポケットから一枚の写真を撮りだした。

 それは、魑魅境内のお祝い事で集まった記念写真で、白露や卯未にエリカを始めとして、数十人の一員が映っていた。

 その写真の片隅。俯き、つまらなさそうに口を固く結んだ、着物の女性が映っていた。


「痕跡回収班の築炉ちくろ。あいつはこのビルに、居る」


 白露はハットを取り、尻尾を抑えていたベルトを外し、先へと進んだ。

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