魂取の首飾り

斉木 明天

プロローグ

第1話 生き返った事の意味

 その日は、雨が降っていた。

 遠くで白がかって見えにくくなっている高層ビル群から、その病院は離れていた。かつては真っ白だったはずの病院は時間の経過でくすみがかっている。

 そんな病院の窓から、窓の外の出っ張りに抜け出し、室内から死角の柱に隠れる青年が居た。

 焦り隠れた青年は、ほっと息をつき、頭に生えている獣の耳を垂らした。そう、青年の頭には、犬のそれを思わせる大きな耳が、頭に生えていた。そして、ボロボロのジーンズを履いた後ろからは、かかとにまで届く大きな獣の尻尾も生えていた。

 青年は、自分の体に新しく生えたそれらのものが室内に見えないように気遣いながら、室内を覗く。

 室内は、六人用のベッドが向かい合う形で並んでいるが、窓際の一つにしか人は寝ていない。

 寝ているその人は、目をつむり、目を覚ます様子の無い一人の少女だった。

 今しがた室内に入って来たナースが少女の様態を確認するが、それにも反応する事もない。

 本当に、眠っているようだった。

 でも、頭では眠っているわけでもないことも、青年は理解していた。

 なにせ、ベッドで眠っている妹は、1週間前に青年が殺されるのと同時に、その魂を見たことも無い不気味な連中に持っていかれるのを、死んでいく中、目にしていた。

 どんなに手を尽くしても、声を掛けても、妹が目を覚ますわけじゃない事は、青年にはハッキリと分かっていた。


「時雨……」


 今となっては人間に見つかってはいけないのに、青年の口からは声が漏れてしまった。

 雨が降っているのだけが幸運だ。ナースが窓の外に怪物が居る事に気づく前に、青年はそこから飛び降り、ぬかるんだ地面に着地した。

 そして、濡れたズボンに目もくれず立ち上がると、病院から横手の森の中へと走り去った。




 しばらく走り、青年は森の中でわずかに飛びだした木の根に気が付かず、足をひっかけて転んでしまった。

 全身に泥と水が染み渡る。獣の耳と尻尾も汚れてしまう。どちらも力なく項垂れて泥を払いもしなかった。

 雨の音がしばし続いて、青年はゆっくりと身体を起こす。泥に着いた手は、細くも硬さを感じれるように丈夫になっていて、爪はかぎ爪状になっていた。

 人らしさを残しているが、それでも人間らしさから離れた手だ。力強そうなのに、その手は震えて止まらなくなっていた。


「みじめだ…。俺は、みじめだ。訳も分からねえ事で妹を連れてかれて、何もできなくて殺されて! 人じゃない姿で生き返ったと思ったら……チャンスだろうに、なにもしてやれねぇ!!」


 青年は震えていた手を強く握り、大きく振り上げて地面に叩きつけた。

 拳は深く地面に食い込み、泥が青年の顔に飛び散った。しかし、その泥も頬から流れる涙ですぐに流れ落ちた。

 ふと、雨の音と青年の嗚咽に加え、重い足音が聞こえてきた。

 足音は、泣き続ける青年の前まで来て立ち止まる。立ち止まった者の足は、地面に食い込んだ青年のこぶしより、二回りも大きく、それに続く足も更に太く筋肉質だった。

 その大男は、土砂降りの雨が続く中、傘も持たず青年を見下ろした。


「……妹が入院した病院を、見つけたのだね。白露君」


 静かに青年を見下ろす男の口が開くと、重々しくも穏やかさのある声が響いた。

 大男は肩幅の広いがたいに、古めかしい男性用の着物を着こんでいた。その上には、厚みのある真っ黒な羽織物を肩に掛けるようにして着ている。


「……鬼島さん……」


 青年、白露は耳を少しだけ立たせ、反応する。しかし、顔を上げず声を返す。


「彼らの蛮行を、実行される前に捕捉出来なかったのは、申し訳なかった。我々が居るのは、君と妹さんのような出来事を、人と魑魅魍魎の間で引き起こさないためだと言うのに。私は、それを果たせなかった……」

「……あいつらは? 俺を殺して、目の前で妹の魂を、吸い取りやがったあの野郎どもは」

「……君が言っていた人数と、同じ数が死体で見つかった。肌身に何もつけず、わずかに残った身体的特徴が、君の言っていた事と合ってたから分かった」


 青年は顔を上げる。


「じゃあ、妹の魂は!!」

「……誰の手に渡ったのか。行方も分からないのが、現状だ」


 涙を堪えようにも、溢れてしまいながら、向けた視線の先には、重く静かな目をした鬼島の顔だけがあった。その顔は、訃報を案じるようでもあった。


「……奴らがこの町で非道な事を企て続ける限り、その影が必ず姿を見せる。白露君。それが果たしてどのぐらいの時を掛けるかは分からない」


 鬼島はゆっくりとしゃがみ込み、手を差し出す。


「我々、魑魅境に任せてくれ。必ず、妹さんの魂は見つけ出し、助け出す」


 白露は呆然としたまま、虚ろに差し出された手を見つめる。

 その手の肌は、少し赤みがかっており、童話に出てくる鬼を思わせた。そして、なによりもその手は白露より二回りほど大きい。

 そんな手が、約束をもって白露に手を差し出された。白露は、鬼島というこの男は、怪物に魂をさらわれた妹と、助けるのも叶わず殺されてしまった白露の事を悲しんでくれ、出来る限り最後までやり通してくれるだろうと感じた。

 だが、白露は歯を強く噛み締めた。

 そして、差し出された手の上に自分の手を乗せ、静かに鬼島の手を降ろさせる。


「…白露君?」


 白露はゆっくりと立ち上がり、ずぶ濡れの腕で涙を拭う。


「……鬼島さんの組織、魑魅境でいいんか。鬼島さんのところは、こんな酷い事が起きないように、戦ってるんだよな」

「そうだ。奪われた分、同じ事の繰り返しを止めたい一心でね」

「だったらよ。再びあいつらを見つけられるかもしれないのも、あんたのところで、間違いじゃないんだよな」

「!」

「だったら……鬼島リーダー! 俺も魑魅境に入れてくれ!!」


 白露は目元を抑えるように力を込めながら、雨がいまだ降り続ける空に向かって叫んだ。

 雨は顔に当たり、目元の涙と共に流れ続ける。


「妹の事だけじゃない。リーダーの部下として、どんな仕事でもやってみせる。人間じゃない姿で生き返ったのに、何も変えられないなんて俺は嫌だ!!」


 拳を強く握り、その手に新しい爪が食い込み、血が地面に滲み落ちる。


「頼む! 鬼島リーダー……! 俺自身が何か出来るよう、俺に戦い方を教えてくれ!!」


 か細く、白露の声が雨の中に溶け込んでいく。声が飲み込まれ、雨の音がまた聞こえ始めた。

 鬼島はゆっくりと立ち上がり、白露をそっと抱き寄せた。


「……分かった。私の所には、君と近しい境遇の子達も、たくさんいる。分かり合える子達が、たくさんいる。……君も、新しい仲間だ」

「……ああ。よろしく、お願いします。リーダー……」


 鬼島がそっと白露の体の泥を払う。そして、二人は病院とは反対方向の、白みがかったビル街へと歩いていった。

 今となっては、この日の事も白露には少し昔の、きっかけの話。

 ただ、まっすぐに生きてきたはずの白露に突然降り注いだ出来事は、白露が戦い続ける全ての理由になった。

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