第14話「マジョリティ」

 クレームや意見を寄せてくれる人はとても貴重な存在である、その意見だけを聞くことが、必ずしも大多数マジョリティの意見を反映するものとは限らないが、発言しない大多数消費者の声を代弁クレームしてくれることに感謝しよう。

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 パソコンの上に貼られている言葉に飽き飽きしている。

 慣れない仕事についてから半年、毎日辞めたいと思いながらもこの仕事を続けている。


 クレーム対応するのが私たちの仕事で商品の使い方を間違っているのに理不尽な難癖なんくせをつけてくる消費者。

 散々暴言を吐かれた後に「あんたじゃらちが明かない、上の人を呼べ」

 そんな言葉をなんど言われただろう。


 電話とパソコンの前にいるのは生身の人間で、心だってあるのに。


 12時を知らせるパソコン画面を確かめて席を立つ。


 今朝は寝坊をしてしまいいつもは持ってくるお弁当はない。

 引き出しに入れた貴重品ボックスから財布を持って席を立った。


「あれ、今日はお弁当じゃないんですね」


「そうなんですよ、朝寝坊しちゃって、今日はコンビニで済まそうかと思ってます」


 隣のブースに座っていた前田さんが声をかけてきた。


 その隣にいつもは挨拶程度しかしてなくて、何となく苦手だと思っていた松林まつばやしさんがいる。



「たまには一緒にランチしましょうよ、こんなこと滅多にないし。ねっ」


 コンビニでおにぎりでも買おうと思ってたけど、昨日はお給料日だったし、気がつくと私は頷いていた。


 通りに出るとたくさんの飲食店があるが、どの店も既に行列が出来ている。


 たった一時間の休憩時間、誰しも考えることは同じだろう、会社によっては10分前から休憩を取れる。羨ましいけれど、そんなふうに配慮してくれる会社ではない。


 悲しいけれど100人近い契約社員の中、たったひとつの駒でしかない私たち。


 裏通りに入ると閑静な住宅がありそこにもいくつかの店がぽつぽつとある。


 会席料理『まつき』

 店の前で、着物姿の綺麗な女性が風に吹かれてはためく暖簾のれんを整えていた。


「お昼の定食なんてないですか? 」

 松林さんが、いきなり着物の女性に声をかけた。


「うちは会席料理屋ですからお昼の会席はございますけど、少々お値段が張ります」

 申し訳なさそうに私たちに笑顔を向けた着物の女性。


「そうですよね、すみませんでした」

 通り過ぎようとした時に、「ちょっとお待ち頂けますか」


 そう言って勝手口へと行った姿を私たち三人は待っていた。

 程なくして戻ってきた女性はこう言った。

「本日、ご予約頂いていたお客さまが突然キャンセルされましたので、もし良かったらご用意すると板前が言っておりますが、いかがですか?……お値段も……」


「お願いします」


 松林さんは、すかさず返事をして藍色の暖簾のれんに手をかけた。


「値段も聞いてないのに……」

 私と前田さんは顔を見合わせて笑った。


 店の中には小さな小川が流れていて、高級料亭の雰囲気をかもし出していた。


 通されたお座敷には、床の間に水墨画の掛け軸と勿忘草わすれなぐさのいけられた小さな花器。

 窓から見える中庭には、丁寧に整えられた日本庭園があり。小さな池の水草の下には鯉が気持ちよさそうに泳いでいる。


「ひゃーこんなお店初めて来たし、そして二度と来ないかも」

 キョロキョロと周りを見回す松林さんはそう言った。


「それにしても、高そうなお店だけど、大丈夫かな、いくら安くしてくれると言っても、ここってきっとかなり高級店だよね」


 前田さんの言葉に私は大きく頷いた。


 程なくしてお料理が運ばれて来た。

 たいまぐろのお刺身、山菜の味噌和え、煮魚はメバル、海老や季節の野菜の天ぷら、籠に盛られた前菜。

 茶碗蒸しにはうなぎも入っているし、お吸い物には花が開くようにはもが入れられている。


 最後に出された蜜柑を丸ごと使った甘酸っぱくてさっぱりとしたゼリー、お料理は全て美味しかった。


 最後に煎茶を飲みながら、みんな大満足だったと思う。


今まで話をした事がなかったけれど、会社の愚痴で盛り上がり。たくさん笑ったし楽しかった。




「最低でも一人前5,000円はしそうなのに、いいんですか?」


 お料理を運んでくれていた仲居さんに聞いてみる。


 出された紙に会計金額は3,000円と書かれている。

 一人前1,000円ということだった。


「お女将が良いと言っておりますので、もちろん宜しいですよ、お気に召されたなら、またのお越しをお待ち致しております」


 優しく笑う仲居さんの笑顔にほっとした私たちはいつの間にか顔を見合わせていた。



「はい、また来ます」


 私たちを代表するように松林さんは言う。


 店先で見送られながら、私たちはオフィスへと向かう。

「なんか、この仕事辞めたいと思ってたけど、もう少し続けてみようかなと思った」


 松林さんの言葉に、私も前田さんも同意した。


「夏のボーナスが出たらまた三人で来たいね」


 私の口から出た言葉に、前田さんと松林さんは、「うんうんそうしよう、だから、もう少し頑張ってみよう」


 みんなもストレスを感じる仕事に悩んでいるのだろうなと思ったら、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。


 初夏の風が揺らす暖簾に見送られながら、たまにはお弁当を持って来なくてもいいかも。そう思いながら、新しく出来た友達と肩を並べて歩いた。


(了)



 ※お読み下さりありがとうございます。

 はっ!Σ(´□`;)この短編集は「大人の恋愛小説始めました」なのに━━恋愛要素まるでナシ作品すみませんでした。

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