茅鼠

綿涙粉緒

第1話

茅鼠かやねずみ、というそうだ」


 男はそういうと、器用に釣竿を操りながら煙管の灰を落とした。


 総髪を後ろで無造作に束ねたその男は、四十の坂を少し越えたほどの歳で、粗末な着流しに身を包む体格の良い浅黒い肌の侍だ。


 よく見れば額に面ずれができている、相当鍛えた腕であろうと思われた。


「そう……なの、ですか」


 男の隣で、竿も持たずに手持無沙汰の体で座っていた若侍が、そう答える。


 一方こちらはつるりとした月代も清々しい二十そこそこの男で、こんな朝方の河原に不釣り合いな羽織袴というをして座っている。


「小さい」


 その視線の先には、油紙のような赤茶けた色をした小さな鼠が葦の根方をかじっているのが見える。「そうですか、茅鼠というのですか」若侍はそうつぶやくと刀の柄に手をかけた。


 その手が、小刻みに震えている。


「可愛らしいであろう、そなたの在所には寒すぎて住んではおらぬものだ」


 その言葉に、若侍はビクリと身を震わせ、刀の柄から手を下した。


「知っておられたのですね」


 河原の地面を眺めながら、恐る恐るそうたずねた若侍に「うむ、まあなんとはなく、ではあるが」と小さく呟くと男は竿を置いてゆっくりと立ち上がった。


 思いがけず小さな身体。しかし、その得体のしれない雰囲気に、その場の気温が、ぐんと下がった。


 男の眉間に深く刻まれたしわが、神楽面の鬼の如くに迫って見える。


「そなたの名は木村左右平そうへいで、あろう」


「はい、そしてあなたの名は……」


「ああ、察しの通りわが名は佐々木孝右衛門」


 そこまで言うと男は、口の端をにやりと釣り上げその丸太の如くに太い首をさすった。


 二人の間に冷たい風が走る。


「そなたの探す、仇首、なのであろう」


 男の言葉に、若侍はゴクリと唾を呑み込んでゆっくりと頷いた。

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