第27話 ラティ


 —— 滅びの森 獣王国第一王女 ラティ ——




「う……」


 ゴトゴトと揺れる馬車の中で、私は目を覚ました。


 馬車に揺られながら眠れるなんて、お父様が友人から譲り受けたというこのマットレスと敷布団という寝具は凄いです。もしもこの寝具とお父様が昔特別に作って下さった馬車が無ければ、馬車に乗って長期間移動するなど私のこの弱りきった身体では耐えられなかったでしょう。


「ラティ、起きたのね? お水を飲みますか?」


 外の景色を眺めていたお母様が、私が起きたことに気づいて優しく声を掛けてくれます。


「は……い……おかあ……さま」


 そう返事をするとお母様は水差しからコップへと水を注ぎ、私を優しく抱き起こして水を飲ませてくれました。


「あり……がとう……ござい……ます」


「いいのよ。もう少しだから。もう少しでフジワラの街に着くからがんばってね」


「は……い……です……が……ほん……とうに……ゆうしゃ……さまが……そこ……に」


「レオはともかく、軍団長のキリルが言うのだから本当にいらっしゃるのでしょう」


「ゆう……しゃ……さま」


 本当に勇者様が滅びの森に……勇者様なら、勇者様なら教会の大司教や枢機卿ですら匙を投げた私のこの病気を治してくれるかもしれない。


 そんな淡い期待を胸に、私は馬車の窓から見える森へと視線を向けながらお父様が森から帰ってきた日の王宮での騒ぎを思い出していた。



 今から二週間と少し前。王宮に戻ってきたお父様がお兄様たちとお母様たちを集め、私の病気を治せるかもしれない人族の人間がいるとそう告げました。しかしその者は滅びの森に住んでいて、そこから動くことはできない。だから私を連れて行くと言い出しました。


 私は幻獣ユニコーンの角が手に入らなくても、この日に日に体の筋肉が衰えて行くという不治の病が治る可能性があるならと、お父様へぜひ連れていってくださいとお願いしました。しかしお兄様やお母様たちはそうはいきませんでした。


 病気で立つことも歩くこともできない。それどころか少しの衝撃で骨折してしまう私を王宮から出すことも、ましてや揺れる馬車に乗せて滅びの森という危険な場所に連れて行くなどとんでもないと。なんとかしてその者を獣王国に連れてくるべきだと。そう言って大反対をしました。


 ですがお父様は何がなんでも私を連れて行くと、寝具を馬車へと移すように侍女たちに指示をしました。そしてそれを見たお兄様たちが無理やり連れて行くことは許さないとお父様に戦いを挑もうとし、お母様たちもお兄様たちに味方しました。私はその光景を見て、私のために大好きなお兄様やお母様たちと争わないでくださいとお父様にお願いしました。


 私が必死に願ったからでしょうか? お父様は深くため息を吐き、これから話すことは他言無用だと。そう真剣な表情でそう告げたあと、滅びの森にいる人族は女神様によって遣わされた勇者様であること。その勇者様が滅びの森の中で、砦と見間違えるほど高い壁に囲まれた場所で宿屋を経営していること。滅びの森の中ということもあり、勇者様は宿屋から離れられないということ。そして勇者様はこの世界を救うためでは無く、この世界を去ってしまった女神様が戻ってきた時に住む家を建てることが使命であることを知らされまいした。


 私はそのお話を聞いてとても驚きました。女神様がこの世界からいなくなっていたこともそうですが、幼い頃からお伽噺で聞かされ続けていた私たち獣人の恩人である勇者様が再び遣わされたというのですから。


 もちろん驚いていたのは私だけではありません。お兄様やお母様たちも皆が目を見開き驚いていました。そして口を揃えて信じられないと。教会からそんな布告はなかったと、私を救おうと必死になって心が弱っているところを悪い人族に突かれて騙されているのではないかと。


 しかしお父様は遣わされた勇者様が、伝承にある勇者ロン・ウー様とまったく同じ黒目黒髪の人族であること。なにより三種の神器を持っていたと話し、それをお父様と行動を共にしている軍団長のキリルが間違いありませんと同意したことでお兄様たちも信じざるを得ませんでした。お父様は自分の言葉よりもキリルが同意したことで、お兄様やお母様たちが信じたことに愕然としていましたが……


 最終的にお兄様やお母様たちも、勇者様なら私の病気をなんとかしてくれるかもしれないと。そう考えて第二王妃であるお母様が同行するのを条件に送り出してくれました。


 それから通常なら王都から馬車で6日ほどで着く東街へ、私の身体に負担が掛からないようにと十日ほど掛けて移動しました。そしてそこから滅びの森の中を3日ほど進み、いよいよ今日の夕方には到着するという距離にまでやってきました。


 滅びの森に入ってからは魔物の襲撃が絶えずあり、その都度お父様と親衛隊。そして護衛の兵士たちが討伐してくれました。そんな皆の姿を見て、お父様たちと一緒に戦えないこの弱った身体を恨めしく思いました。3年前にはお兄様たちと肩を並べてオークと戦っていたのに……


 そんなことを考えていると馬車の窓の外に馬に乗ったお父様が現れ、窓をコンコンとノックしました。それを見たお母様が窓を開けると、お父様が満面の笑みを浮かべながら口を開きました。


「ラティ! もうすぐだ! もうすぐ勇者のいる街に着くぞ! 見たこともない魔道具や飲んだこともない甘い果実水がたくさんあるから楽しみにしておけ!」


 旅の途中で何度も聞かされた、見たこともない魔道具に甘い果実水の存在。それがどのような物なのかは教えてくれませんでしたが、間違いなく私の生活が楽になる物だと。そして美味しい物だとお父様は言っていました。もしかしたら勇者様の宿屋には、帝国の新しい魔道具が設置されているのかもしれません。帝国は獣王国には古い魔道具しか売ってくれませんから。


 でも私は魔道具や果実水よりも、私を元気付けるために一生懸命言葉をかけてくれるお父様の気持ちが嬉しく、精一杯力の入らない頬と口もとを動かし笑みを作って答えました。


「はい……たの……しみ……です」



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「おーい! リョウスケ!」


「こりゃまた大所帯だな」


 俺はダークエルフ街区の北門の前で、馬に乗りながらこちらへ手を振って向かってくる獣王へと手を上げて答えながらそう呟いた。


 獣王の後ろには2頭引きの少し箱の部分が長い馬車と、その後ろに普通の箱馬車。そしてその2台の馬車を金属鎧と革鎧を着た大勢の兵士が囲んでいた。


 病気の娘を滅びの森へ連れてくるんだから気持ちはわからなくはないが、それにしても兵士の数が多すぎじゃないか?


「こんなもんじゃないか? 獣王は娘のために幻獣ユニコーンを探しに森の奥地に行っていたくらいだ。これくらいは連れてくるだろう」


「それもそうなんだろうが……」


 クロースの言うこともわかるが、どう見ても500人以上はいるぞ? もし泊めてくれって言われたらどうしよう。


 そんなことを考えていると獣王が外掘りに架かる橋の手前で馬を降り、橋を渡って歩いてきた。


 橋の手前では2台の馬車が停まり、その周囲を隊列を整えた兵士たちが警戒している。その中には獣王のパーティにいたキリルの姿も見えた。


「おうリョウスケにクロース! 出迎えてもらって悪いな!」


「病院はダークエルフ街区の中にあるからな。俺が付き添わないと色々とな」


 基本的にこのエリアは来賓館以外はダークエルフしか住んでいない。獣王もこの中には入ったことがないし、獣王を見たことがない老人や子供も多い。変に警戒されないよう俺が付き添うことにした。


「あーそりゃそうか。まあ安心してくれ。中に入るのは俺と娘のラティと、その母親で側室のメレサとお付きの侍女だけだ。兵士たちは一旦国に帰すからよ」


「そうしてもらえると助かる」


 俺は内心で安堵しつつ、獣王に門の中に入るように促した。


 すると箱が長い馬車が橋を渡り、その後ろから普通の箱馬車から出てきた侍女と思わしき3人の獣人女性たちが続いた。その女性たちは丈の長い黒のメイド服を着ており、頭から茶色の狐耳を生やしていた。


 狐耳もいいななどと思いながら馬車と侍女たちが門の中に入るのを見届けると、獣王が馬車の扉を開けた。すると中から真っ白な髪と狐耳を生やした30代半ばくらいの女性が出てきた。


「紹介するぜリョウスケ。女房のメレサだ。んで中で寝てるのが娘のラティだ。今年で17になる」


「獣王国第二王妃のメレサです。勇者様とお会いできたこと、光栄に思います」


 そう言ってメレサさんは深く頭を下げた。


「ラ……ティ……で……す……ゆう……しゃ……さま」


 馬車の中からは布団の上に寝ているメレサさんと同じ白い狐耳をした痩せこけた顔の女の子が、途切れ途切れになりながらも挨拶をしてくれた。


「初めましてこの街の代表の藤原涼介です。で、獣王? 勇者って?」


「悪い。ラティを王宮から連れ出すのに猛反対されてよ。家族とラティの身の回りの世話をしている侍女にだけはリョウスケが勇者だってことを話しちまった。きつく口止めはしたから外に漏れることはねえ。勘弁してくれ」


「……まあ反対はされるよな。まだ俺の出自は教会に知られたくないからその辺は頼むよ」


 両手を合わせて頭を下げる獣王にため息を吐きながらそう答えた。


 魔王もアルメラ王と王妃も知ってるしな。まあ獣王が口外させないと言うなら信じよう。


 それにたとえ俺の出自が広まってたとしても、前と違ってこっちには聖女クリスとローラがいる。教会が俺を利用しようとしても対抗ができるから、そこまで深刻じゃない。


「わかった。勇者の不利益になるようなことをする奴は獣王国にはいねえから安心してくれ。それじゃあ病院ってのに案内してくれ」


「ああ、付いてきてくれ」


 そう言って俺はダークエルフ街区を横切り、獣王と馬車を連れて病院の入口までやってきた。


 そこからは馬車が入れないので獣王がラティを抱き上げ、ラティに負担がかからないようにするためか牛歩と思えるほどゆっくりと歩いて病院まで運んでいた。


 獣王に抱えられているラティの身体を見ると、骨と皮しかないのではないかと思えるほど痩せ細っていてとても17歳の女の子には見えなかった。


 隣で歩いているクロースも痛ましそうな目でラティを見ている。


 そうして王族や貴族が入院した時のために用意した広い個室にへ案内すると、獣王はベッドへとラティをゆっくりと寝かせた。


「ふう……時間が掛かって悪いなリョウスケ。ラティは3年前に減筋病という、筋肉が徐々に弱まっていく病気を患っちまってな。これは獣人族が稀にかかる病気でよ。治療法はユニコーンの角で作られる万能薬以外にねえんだ」


「筋肉が……」


 確か地球でも不治の病でそんな症状の病気があったな。昔有名な科学者がその病気で死んだとかなんとか。確か2年から5年で心臓を動かす筋肉が弱まって死んでしまう病気だったはず。


「そうだ。ラティのような子供は2年で心臓が止まると言われてよ。教会の生臭坊主どもにはさんざんボッたくられた挙句に匙を投げられちまった。だからユニコーンを必死になって探してたんだよ。その間は上級治癒水でなんとか失った筋肉を復元して今まで保たせてきた。だがユニコーンは見つからねえし、上級治癒水を使っても現状維持は難しかった。半年前まではラティは普通に話せていたんだが、今じゃ話すことも一苦労だ。このままじゃあと1年保つかどうか……頼むリョウスケ! 娘を! ラティを助けてくれ!」


「お願いします勇者様! 女神様のお力で何卒!」


「「「お願いします!」」」


 獣王が俺に頭を下げると、第二王妃のメレサさん。そして三人の次女がそれに続いた。


「できる限りのことはしますが、なにぶんここまでの大病ですと確実に治るとはお約束はできません。1ヶ月俺に時間をください。1ヶ月後に治療をします」


「その……すぐには治療をしてくださらないのでしょうか?」


 ん? メレサさんのこの反応だと獣王は俺のギフトまでは話してないみたいだな。さすがにそれはマズイと思ったか? でも俺のギフトのことを説明しないでよく連れて来れたな。勇者ったって万能じゃないだろうに。俺のギフトなんて基本的にはマンションを建てるのに使うのばっかだぞ? それを応用して戦闘に役立ってはいるけどさ。


 そういえば獣王国では、フローディアと同じくらい勇者を神聖視している地域があるって聞いたことがある。その関係もあって勇者ならなんとかしてくれると思ったのかもしれない。勇者は神じゃないんだけどな……


 どうする? 原状回復のギフトを説明するか? 初めての大病の治療だ。治せなかった時のことを考えると、聖女が治療しますというのは、治せなかった時のリスクが高い。なら俺のギフトのことをラティとその母親だけには話しておくべきだな。


 そう考えた俺は侍女たちに席を外すよう獣王に頼み、現状回復のギフトのことを王妃とラティへと説明した。



「か、家具を修復するギフトで人間の四肢や病気をですか?」


「ええ、俺は確かに700年前の勇者と同じように、女神によってこことは別の世界から遣わされた人間です。ですが目的が大きく違います。俺は世界を救うためではなく、女神の家を建てるためにこの世界に遣わされた大工みたいなもんなんですよ。確かに戦闘に役立つ神器はもらいましたが、それはこの滅びの森で生き延びるための物であって、ギフトに関しては家を建てるのに使う物ばかりなんです。ただ、応用することによって家を建てる以外にも使えたりもします。怪我や病気を治せるのもその応用です。そう、あくまでも応用なんです。確実に王女様の病気を治せるとは言えない理由はここにあります」


 原状回復のギフトの説明を聞き、愕然がくぜんと。それはもう愕然としている王妃のメレサさんを前に、俺は頭をかきながらそう説明した。そりゃそうだよな。勇者なら娘の病気をなんとかしてくれるかもしれないと聞いて滅びの森に来てみれば、その勇者が持つギフトは本来は家具を修復するギフトときたもんだ。不安にならない方がおかしい。それでも俺にとって初めての大病の治療だ。あまり期待されると、もしも治せなかった時の絶望感は相当なものになる。過剰な期待を持たせないよう、原状回復のギフトのことは話しておかないといけない。


 ただ、母親と違いラティは潤んだ目で俺のことをじっと見つめているのが気になる。泣きたいのか? ごめんな、確実に治してやると言えなくて。


 そんな微妙な空気となった病室で、それまで黙って事の成り行きを見ていたクロースが口を開いた。


「獣王国の王妃よ、なんという顔をしてるのだ? まさか私の婚約者であるリョウスケの力を疑ったりしてないだろうな? リョウスケは両腕を失い絶望していた私の兄上を治したのだぞ? 安心していいぞ。大病だろうがなんだろうがリョウスケが治して絶望から救ってくれる。それが勇者というものなのだからな!」


「ガハハハ! そうだな。リョウスケは勇者だ。だからメレサ、心配すんなって。勇者に任せておけば大丈夫だ!」


「ちょ、クロース! 獣王!」


 四肢の欠損を治すのと大病を治すのは違うからな? 風邪しかまだ治した実績がないって知ってるよな!? ハードルを上げないでくれ! もし治せなかったらどうするんだよ!


 そう2人に言おうとした時だった。


「そ、そうでした。勇者様を一時でも疑うなど愚かな真似をした私をお許しください。女神様の御加護と、使徒である勇者様の祝福を信じてお待ちしております」


「しん……じ……ます……ゆう……しゃ……さま」


「……全力を尽くします」


 俺はその場に跪き両手を胸の前で組み祈り始めたメレサさんと、か細い声で必死に俺を信じると口にしたラティへそう答えることしかできなかった。


 クロースに獣王。恨むぞ……


 これはなんとしてでも治さないとな。頼むぞ原状回復のギフト。信じてるからな?


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