第52話 悪役令嬢の相違

本日の王都は雨。

シトシトと降り続ける雨は大地に恵みを与え、動物に癒しと休みを与える。

王都に住まう人々も、雨の日は家で過ごす者が増えるのではないだろうか。


雨だからといって休みにはならない王宮の中。

公務から帰還した王太子は婚約者と共に、国内外の文献が集まっている王宮の書物庫……の、隣の部屋で。


会えなかった時を埋めるように語らいをしている。


雨雲を見下ろす天界の雲のようにフワフワで上品な長椅子に腰掛け、ゆったりとした時間がそこにはあった。

いつもは雨だと気分も落ちてしまうが、今日の雨の音は軽快なリズムに聞こえてしまう。


───だって、やっとリチャード様が戻られたのだから!


不在だった間の出来事などなど、他愛もない話がほんとんどだというのに、リチャード様は楽しそうに聞いてくださっている。

婚約者の鑑を通り越して、乙女の夢が具現化したのではないのだろうか。


リチャード様に見つめられながらお話しするのは……なんだかこう、少し気恥ずかしいものがある。


それにやっぱり、なんだかリチャード様が近いわ。物理的な距離が。

久しぶりだからそう感じるのかしら?

留守の間と現在の近距離の急な寒暖差で風邪をひいてしまうわ!


三人ほど腰掛けられるはずの大きな長椅子なのにも関わらず。話している途中で、大地に落ちた種が芽吹くように自然に引き寄せられ、膝が触れ、指が絡み握られ、リチャード様の方へ頭を寄りかけてしまっているのだ。


ハッと正気を取り戻し、驚きでプルプルと震えてしまう。


いやいやいやいや。これでは近いのはリチャード様では無く私ではないか。

いくら会えなかった間さみしかったとはいえ、なんという体たらく……!


一体全体どうしたのかしら。わたくしの悪役令嬢としての魂が師匠に共鳴しすぎてドロドロに溶けているのかしら! 

いけないわ、ローズ。しっかりしなさい。こんなにも情けない醜態を晒す悪役令嬢がありまして?いいえ、ありえません。


正気を取り戻しリチャード様をわなわなと見上げれば、蕩けるような甘い瞳と「ん?」と心地よい声の響きが触れ合う肩を伝わって来た。


少し喉から「きゅいん」と内なる乙女声が漏れたかもしれないわ。

堪えるのよローズ。抗いがたい何かが心の中で暴れるわ!


これはもしかしたらリチャード様に黒魔術か何かをかけられたのかもしれないわね。

強力な黒魔術に抗おうと姿勢を正し、お忙しいはずなのに今日もキラキラと余裕たっぷりにほほ笑むリチャード様(顔が良い)から距離をとると、クスクスと笑われ「どうかしたの?」とリチャード様の手が私の頬に添えられた。


操り人形と化した私の頭部は、添えられた大きな手にすり寄るようにコテンと傾いてしまう。


ぐっ……!! なんて強力な魔術なのかしら!!

抗うことができないわ!


「留守の間の出来事はもういいの?」


クスクスとリチャード様が笑うと振動が伝わってくる。

もう報告は完了しましたわ!と、魔術に身を任せていたのだが。


「でも、まだもう一つあるよね」


お祭り騒ぎだった脳内に、突如としてピーンと嫌な予感が走る。

ソロリとリチャード様を見上げると、そこには真っ黒く微笑む魔王様がいたわ。



「───なるほど。レイノルドの口車に乗せられたわけだね」


部屋に残ったのは先日レイノルドお兄様との取引現場にいた、侍女のモネと侯爵家から来た護衛騎士のみだ。


魔王様には洗いざらいお話ししました。

嘘や誤魔化しは身を亡ぼすもの。ええ。


事情を聞いたリチャード様は、長い足を組むと「レイノルドの言ったことは気にしないで良い。もちろん客人に構う必要はない」と言った。

話はそれでおしまいとばかりに、また私に黒魔術をかけようと手を握って来るが、本件はまだ始まったばかりである!


「ででですがっ、聖女の力は国のためになると……」

「それらは私がなんとかするから。ローズはただでさえ忙しいのだから、余計なことはしなくていい」


余計なこと、という単語にムッとして握られた手を取り返す。

まだ真剣なお話しの途中ですからね! 黒魔術は遠慮させていただきますわ!


「お忙しいのはリチャード様ですわ。何か、わたくしにできることがあればお力になりたいのです。こうして合間をぬってお会いするお時間をつくってくださっているのですもの……。こうしてわたくしとの時間を大切にしてくださるリチャード様を、わたくしも大切に思っているのです。ですから……」


って真剣にお話ししているのに、リチャード様は真顔で固まってしまったわ。

何やら小声で「これはいつものか?」「まてその判断は早計だ」「いつのもだ落ち着け」と聞こえますが、ちゃんと聞いてまして?


よし、と一つ頷き

真顔から花開くように微笑むリチャード様。切り替える掛け声が聞こえましてよ!


「嬉しいよ。ローズにできるのは、そうだな。ローズの限りある時間を、客人やレイノルドじゃなく、俺のために使ってくれることかな。こうしているだけで心が癒えるよ」


キラキラ王子様笑みを浴びせられ、ギュインと心臓が何者かに掴まれたわ……ッ

黒魔術、恐るべし……!

息も絶え絶えだが、ここでリチャード様の肩にコテンとすり寄ってしまえば敗北を認めるようなもの!


「わ、わたくしは、リチャード様の右腕として……ッ」

「もちろんもう既に未来の王太子妃として十分やってくれているよ。ローズが今、俺の隣でこうしているだけで十分だよ」


魅惑の魔王様の攻撃の手は緩まない。

黒魔術で従わせ、弱った心の隙間に甘い言葉でつけこみ、堕落させようとしているのだわ!


「そういうことではないのです!!!」


スワッと立ち会がり、魅了の魔術大放出のリチャード様に正面から向き直る。


「リチャード様ったらなにもわかっていないのですから! もう知りません! わたくしはわたくしのことに専念いたしますわ!」


ズバッと宣言したのにリチャード様はやれやれ顔で、先ほどまでの定位置に戻るよう座面をポンポンと叩いている。

ムムム。冗談などではないのですよ!


「~~~っ、もう、もうリチャード様のお戻りを今か今かと指折り待ったりしませんからねッ」

「は……………?」


ピシリとリチャード様の動きが止まりましたが、知りません!

クルリと身をひるがえし、視線で部屋に下がることを侍女と護衛騎士に合図する。


なんですの、その『恋人たちの戯れを見守る通行人』のような生ぬるい視線は!


まだ足りない、そういうことなのね!?

キッと振り向き、何やら思考している分からず屋のリチャード様に追い打ちをかける。


「まだありますわ! もう眠る前にリチャード様のことを考えたりなんてしませんので、夢に現れても遊んでなんてあげませんのよ!」

「な……ッ!?」


リチャード様はなぜか顔を赤くし、手で顔を隠した。

ふっ。絶句、といった様子ね。


ファサッと髪を払いながら侍女と護衛騎士の方を再び見れば、二人はなぜだか何か言いたげな顔でこちらを見ている。


なんですの、これでもまだ足りませんの!?

えっと、では、あれよ!


「あ、あと、寝具にリチャード様に贈ったコロンと同じものを振りかけて眠るなんてことも、昨夜でおしまいですわ!」

「ローズ!?」


引き留められてももう知りません!

つーんと今度こそ、なぜだか頭を抱える侍女と護衛騎士を連れ自室に戻った。


わたくしはわたくしのしたいようにするんだから。

今に見てなさい。リチャード様が認めざるをえない成果をご覧にいれて差し上げますわ!

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