第51話 悪役令嬢の取引 2

「───そんなに警戒しないでいい。ただ、ローズに用事があったんだ」


ローズから来てくれて助かったよ、とレイノルドお兄様は廊下の壁にもたれた。

今日のレイノルドお兄様は飢えた狼のような瞳ではない。

昔の、いたずらっ子のような色がなんだか懐かしかった。


「聞いたよ、大好きなレイノルドお兄様をとらないでっ!ってサーラをいじめたんだって?」


クスクスと軽い調子の口調にだんだん肩の力が抜ける。


「そんなことしておりませんわ」


ふぅ、と息を吐きゆるりと笑む。

そこで一拍、間があった。


窓が開いていたのか風吹いた。先ほどまでお二人が隠れていたカーテンがふわりと舞い、カーテンが戻った時にはレイノルドお兄様はすぐそばに立っていた。


パタタ、とモネと護衛騎士が近づく気配はしたものの

レイノルドお兄様はそこから動かず、じっとこちらを見下ろしている。


「───この距離はいけません。レイノルドお兄様を慕う方々に申し訳ないですもの」


ゆっくりと私から一歩後ろに下がると、レイノルドお兄様は一歩大きく近づいた。


「そうだね。婚約者の不在時に庭師から果ては弟王子まで手を出したって、またローズが噂されてしまうものね」

「あら……そのようなくだらないことをお耳にいれるなんて。お友だちは選んだ方がよろしくてよ」

「ふふ。わかる? 戻ってきたばかりの立場の弱い俺に嬉々として寄ってくるのなんて、そんなものだろう」


ジリジリと離れようとしていた足がピタリと止まる。

そろりと視線を上げれば、レイノルドお兄様は捨てられた子犬のような表情をしていた。


「ローズが帰国したばかりの俺の立場だったり、色々とかばってくれたと聞いて嬉しかったよ。ローズだけは昔から───」


寂しそうな顔をしたレイノルドお兄様は身を屈めながら、ゆっくりと手を持ち上げ、わたくしの白っぽい銀髪に触れようとして


「わかったよ、触っていない。触れないから。ローズからも言ってやって」


レイノルドお兄様の視線をたどり振り向けば、忠誠心の高い二人が鬼の形相でジリジリと近づいている。


大丈夫よ! 世間話だから! ね!

どうどうと暴れ馬を落ち着かせるかのように手をゆっくりと振れば、二人は渋々姿勢を戻した。


「あの二人はローズを慕っているらしい」

「ええ、もちろん。わたくしも大切にしていますもの」


侍女のモネは姉のように感じているし、護衛騎士はもう一人の兄だと思っている。

二人から視線をレイノルドお兄様に戻せば、こちらを苦しそうに見るレイノルドお兄様の瞳とぶつかった。


「そうやってローズは俺のことも一人の人間として見てくれる」


小さな小さな呟きだった。

レイノルドお兄様は王女しかいない公国の王配となるため、人脈形成などのために公国の学園へと留学された。


既に出来上がっている人間関係の中、単身で切り開いていくのは苦労があったことだっただろう。

わたくしの人脈は、いわばお母さまから引き継いだ人間関係だ。

知り合いもいない場で将来付き合っていく相手を自分で探し、見極めるなんて自国から出たこともない私には想像もできない辛労があったはずだ。


そして、この度。公国には新しく男児が誕生し王配としての婚約も白紙に戻るとか。

やっとの思いで築いたものは砂の城だったと思い知らされたレイノルドお兄様の心の内はいかほどか。


「リチャード様もですわ」


労わるように思わず返した慰めの言葉も、今のレイノルドお兄様には届かないらしい。

ふぅ、と諦めたように力なく笑った顔がとても寂しそうだった。


少し間を置いて、もう一度大きくため息をつくと

今度はゆらりと妖しい笑みを向けられた。


「リチャードは近すぎる。ローズみたいな距離感の、ちょうど良いのが必要だったんだ」

「それは誉められたのかしら?」

「もちろんだよ。相思相愛だね」


カラカラと軽快に笑うレイノルドお兄様に合わせ、わたくしも昔のように大きく『うんざり』の顔を作った。

レイノルドお兄様の進路が今後どのように決まるかはわからないが、この帰国は人生の休息だと思って心を安らげてほしい。そう思った。


「ハハハ! ローズのその顔、リチャードに見せてやりたい」

「リリリリチャード様の前でだなんて、そんなッ」


急なリチャード様の話題に、ボッと顔が赤くなってしまう。

いけないわ。少し気を抜きすぎよ!


それを見たレイノルドお兄様は、ほー--うと呟き片眉をクイッと上げた。

何か言われるかと身構えたが、今はやめておくらしく『冗談はここまで』とリチャード様の件は流した。


「ここから本題。ローズにだから頼めるんだけど、サーラに色々と教えてやってくれない?」

「色々、ですか」


「あぁ。ローズもサーラはあのままでは危ういと思っているよね? あのままでは我が国に力を分けてくださるはずの聖女様は、人のよさそうな仮面をつけた猛獣にペロリだ」


レイノルドお兄様は演技がかったように頭をゆるゆる振る。

気持ちが表情に出てたようで、「その顔は『なぜわたくしがあんな生意気は女の相手をしなくてはならないの!?』って感じ?」と笑われた。

レイノルドお兄様の中のわたくしはそんなに気性が激しいのかしら。


笑顔を消した子犬は獰猛な狼の顔へと変化する。


「リチャードが言ってたんだ。ローズは人を導く力があるって。俺もそう思う。聖女の力を……面の皮が厚い狸どもにいいようにされては困る」


鼻の上に皺をつくって苦い顔をするレイノルドお兄様は本当に狼のようだわ。

それにしてもリチャード様がわたくしのことをそのように……いえ、別に浮かれてなんて!


すこし地面から浮遊してしまっているかもしれませんが、気のせいですわ。

狼さんの前ですからね。気を引き締めませんと。ええ。


「ンンッ……聖女、と言いますがサーラ様はどのような方なのですか」

「サーラの身元は今は言えない。ただ、貴族と同等の扱いを」


「質問を変えますわ。サーラ様とどこでお知り合いに?」


狼の瞳が逸らされ、外に向けられる。

その視線を追うようにたどった。


「……サーラは突然俺の目の前に現れ、"奇跡の力"で俺を助けてくれたんだ。色んな経緯があり、話を聞けば追われているらしい。だから王宮に連れてきた」

「追われているのであれば身元を言えないというわけですね。追われる理由もまた……秘密なのかしら」


サーラ様にそのような能力があるのならば、他国に渡るより自国で確保していたいと思うのは自然な流れだ。

わざわざ王宮に連れ帰り、客人として匿う理由も理解できる。


でも。


「……なぜ側室などと」


つい非難がましい口調になってしまった。

まだ名前が見つかっていないこのモヤモヤをレイノルドお兄様にぶつけてしまったが、あまり大きい反応はなくレイノルドお兄様は窓の外を見たままだ。


「それが自然だろう。そんな関係でもないのに、まさか俺の恋人と言うわけにはいかない。そもそも俺には帰ってきたら帰ってきたで役割があるんだから。それに、ローズはあと一・二年で婚姻だろう。それから少なくとも三年は側室なんてローズの父の宰相やパトリックがはねのけるだろうし」


バッとつい勢いよくレイノルドお兄様の方を見上げてしまった。

ニヤリと笑う狼の表情を見て察する。

どうやらわたくし、からかわれていたのかしら……?


「あくまでも側室候補として王宮での滞在理由と時間を稼ぎ、聖女の力や立ち位置を含めた諸々の立場や処遇を早急に決める。その間、ローズがサーラを守りつつ教育してほしい」


側室というのは建前だったということなの?

レイノルドお兄様のいつにない真剣な顔に気圧されるように、少しのけ反る。


「で、でもわたくしにはとても荷が重い頼み事ですわ……お勉強で忙しいですし……」


今決めるのは危険だわ。

悪役令嬢としての──いえ。これは経験則から来る勘だわ。


レイノルドお兄様は昔から子犬のような顔で同情をひいて、骨の髄までしゃぶりつくすようなところがあった。

これまで何度も子犬のフリをした狼に煮え湯を飲まされてきたわたくしにはわかる。

これは罠よ!

だてに昔から知り合っているわけではないのよ!


つい弱気なレイノルドお兄様に同情して安請け合いするところだったわ。

いけないいけない。


だいたい、私はリチャード様を幸せにするため日々邁進中なのだ。

いくらレイノルドお兄様の頼みでも、恩を売っている場合ではない。サーラ様の教育と、リチャード様の右腕として公私共に支え・幸せにする力をつけるのとでは優先順位というものがあるのだ。うんうん。



しかし。

私がレイノルドお兄様のことをよーーーく知っていると同時に、レイノルドお兄様も私のことをよーーーく知っているのだった──────



逃げようとした私を見ると、「困ったな」とレイノルドお兄様はまた打ちひしがれたように捨てられた子犬のような瞳で、リヒト様のような困り眉になった。


──そ、その表情は卑怯ですわ!!


ウルウルと傷つきへこたれた子犬が、こちらを見た。


────いえ、違うわ。これは子犬ではなく狼よ。あのふてぶてしい顔を思い出しなさいローズ!


「リチャードが頼りにしているローズにしか、こんなこと頼めないんだ……」


──────ローズ!しっかりするのよ!ローズはリチャード様を幸せにするって目標が、ん?リチャード様が頼りにしているローズっておっしゃいました?


シャラン、シャラン……どこからか音楽が聞こえるわ。


逃げようとジリジリと後退していた足がピタリと止まる。


「リチャード様がわたくしを頼りに……」


リチャード様に頼られているという部分が繰り返し頭の中で繰り返される。


バックミュージックはシャランシャランどころではなく、ワキャキャキャキャと激しいビートでかき鳴らされている。

なにってもちろん私の琴線がかき鳴らされているのだわ!!


「ま、まあそのような事情でしたら協力して差し上げるのもやぶさかではありませんわ」


頭の隅で警報が聞こえた気がするが、勝手に口が動いていたのだもの。しょうがないわ。

そ、それにリチャード様に頼りにされているなら、弱気ではいられません!別にそれが理由ではないけれど!


やはりそんなに困っているなら放っておけないものね!


「やる気になってくれて嬉しいよ」


レイノルドお兄様はまるで私が引き受けると思っていたという顔で薄っすらと笑んだ。

あの狼の瞳で。


もしかして。

またやってしまったかしら


チラリと後ろを振り向くと、遠くの方で昔からわたくしたちを知っている侍女と護衛騎士が頭を抱えていた。


「一旦引き受けた仕事を投げ出すような無責任なことはするなよ」


先ほどまで……先ほどまでは、本当にかわいそうなわんちゃんだったのよ……ッ

悔し紛れにキッと睨み上げるが、話はついたとばかりに颯爽と背を向けて自室へと入ろうとしていた。


「そのような無責任なことはしませんわ! サーラ様はわたくしの顔を見るのも嫌でしょうけど!」

「あれでかわいいところがあるんだ。頼むよ」


扉が閉じる直前に聞こえた”かわいい”は、いつもと違って不思議と温かい温度があった。




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