第44話 悪役令嬢の気勢

───人々の様々な思惑を孕んだ視線が、会場の中心で踊る私達に注がれている。


慣れたリズムとリードに体を預け、滑るように軽やかにステップを踏む。


心が踊る

私も踊る

光が踊る


「ふふ。ローズはご機嫌だね」

「まぁ……おわかりになりまして?」


不意に耳元に顔を寄せられ内緒話を囁かれる。

高揚感でフワフワとしていた心臓がギュインと握られたが、そんな動揺を顔に出したりしない。


そう、修羅場を一つ乗り越え怒涛の成長を魅せた悪役令嬢である私、ローズ・アディールは魅惑の魔王様に心臓を握られようとも動じないのだ。


魔王様の腕の中からするりと抜け出し、クルリと回れば細やかな硝子細工を装飾したドレスの裾がふわりと広がり首元では空色の宝石が煌いた。


そして元の軌道を辿るようにわたくしの体は婚約者である、魔王様……では無く。

我がリベラティオ国の王太子リチャード様の腕の中へと戻るのだ。


リチャード様は今日も顔面が強い。戦闘力が桁違いだ。

こんな至近距離で、あたかも想いを寄せているかのような熱の籠った瞳でこちらを見つめているが、私たちの婚約は政略も政略、ド政略で結ばれた婚約である。

そ、そんな瞳で見つめられては、もし私が名無しの脇役令嬢だったならば光の速さ(その間2コマ)で恋に堕ちているに違いない。まったく罪作りな王子様である。危ない危ない。


そんな罪作りなリチャード様の爽やかな香りが私を優しく包み込んだ。

学園を卒業されたお祝いにリチャード様へコロンを贈ったのだ。


なんて爽やかな香りでしょうか。まるで澄み渡る青空のようだわ。

うっとりと、この特別な時間に酔いしれたように──


中心で踊るわたくしたちへ向けられる、様々な思惑を孕んだ視線を絡め取るように、頬を染め微笑みをつくる。



先日、我が国の第三王子であるリヒト殿下──私の元婚約者である──卒去の報が発表された。

まだ未成年の王族ということもあり、弔いの儀は近親者のみでしめやかに執り行われた。


その直前に発表された【第三王子の元婚約者であった宰相の娘である侯爵令嬢が王太子の婚約者に繰り上がる】という注目の話題と関連を疑わない、おおらかな貴族はこの魔窟である王宮内では生き残れないだろう。


様々な思惑を身の内に抱えながら、それを誰もかれもが綺麗な仮面の下に隠し

中心で踊る私たちを見て、王国の未来を想像するのである。

───どのように振舞えば己の家門の利になるのか。



それはまるで遅効性の毒。

そんな視線の渦にも、おどおどビクビクなんてしないわ。


だってわたくしは完全無欠!史上最高!超絶怒涛!の悪役令嬢として、どんな噂も注目も集めて絡めて魅了して使って差し上げるの。


それがわたくしの悪の流儀ですもの。


そして、敬愛する悪役の師匠ことリチャード様の右腕として!

公私共にリチャード様を支え、幸せにするのが目下の目標である。


その為なら魔窟だろうが地獄だろうが、たとえ業火の中でも踊りますわよ!


フンスと意気込みを新たに気合を入れていると、リチャード様はクスクスと笑い始めた。触れ合う手や体から振動が伝わってくる。


「また何か変なことを考えているでしょう……ローズのことならなんでもわかるからね」


そう呟き、私の瞳の中まで覗くように温かな空色の瞳が輝いた。


変なこととは心外だわ。

状況説明と現在の目標を改めて確認しただけですのに。


まったく、変なこととは何のことだか……なんの…‥まさか!

もしかして何かバレているのかしら……? いいえ、あれは内緒だと厳重に、それはそれは厳重に言ったわ!


それとも、あぁっ

内緒の”変なこと”に身に覚えがありすぎてどのことまで知られているのか目が泳いでしまうわ……!


私の目が泳いだのを見て、リチャード様はふふんと得意げに眉を上げた。


ハッ!

いいいいけないわ、ローズ。これは罠よ。

いつの間にかリチャード様の術中にはまっていたわ。

罠に慌てて尻尾を出すなんて三流の悪役よ。序盤も序盤、プロローグの賑やかし要員よ。落ち着きなさい!


「ふふ。なんでも、ですの?」


リチャード様の視線を受け流すように目を軽く伏せながら、唇を品よく持ち上げる。

──ここはひとまず学園のダンス講師、マダム・テンツァーから技をお借りして『ミステリアスな未亡人の曖昧微笑』で防御よ!


女盛りの未亡人マダム・テンツァーが男性講師たちからのお誘いをコレで曖昧に回避しているのを見たことがあるわ。相手の誘いに対しYESでもNOでも無く、答えを焦らし自分の舞台へ相手を誘い込む見事な技! マダム、使わせていただきますわ!


「おや?隠し事でもあるの?」


リチャード様は形の良い眉をクイッと上げて、少し顔を近づけて私の答えを待っている。

ふっふっふ。かかったわね……! 焦れたリチャード様がわたくしの舞台≪フィールド≫に来たわ!


「女の秘密はアクセサリー、と聞きます。わたくしを彩る秘密があるとすれば……より魅力的でしょう?」


軽く顔を斜め下に流し、視線だけをリチャード様に戻す。

リチャード様の視線はさらけ出された首の方……首飾りへと注がれている。


もう一度リチャード様の視線が私の瞳を捉え、ふっと息を吐くように笑むと

リチャード様の顔がさらに近づき、あの香りがふわっと濃くなった。


「──あぁ……それは秘密を暴いてしまいたくなるね」


魂を震わせる低音の美声が片耳に注がれ、落ち着いていた熱がまた集まる。


わたくしの耳は定位置に収まってるかしら?

驚いて逃げてはいないかしら? クラウチングスタート(@先日の読み物『速く走る7つの方法~風は吹けよ、波は荒れよ、光は置いていけ~』引用)をきってはいないかしら? パァン! というのは空耳かしら?


本体の私も一瞬逃げてしまいそうになりましたが、リチャード様に腰を支えられているので逃げられないわ。

本体を置いていくような薄情な耳でないことを祈ります。


もう取り繕えなくなった本体は真っ赤になって、少し目も潤んでしまったことだろう。

なんたる失態…! なんたる屈辱…!!


そんな私の反応に気を良くしたのか、リチャード様の笑みが更に深くなった。


ちょうど曲が終わり、リチャード様のエスコートで中心から抜ける。

そのまま手を引かれ、熱気に包まれた”王太子様のご卒業を祝う”会場から抜け休憩をすることにした。


今年の卒業パーティーは王太子殿下が卒業されるということで、例年よりも規模が大きいものとなった。

もちろん、先日の舞踏会とは全く違い今度の会場は王宮のホールを使用することになったり招待客も大幅に増えた。


王太子殿下の婚約者である私も、まだ学生の身分でありながらリチャード様の隣に立ち様々な来客から挨拶を受けた。

緊張して倒れそうになるかと思いきや、学んだ外国の言葉を見聞きする機会に恵まれてとても楽しい時間となった。


最後の最後でいつものリチャード様による”戯れ”で精神的に疲労困憊だけれど。



連れられるまま移動すれば、どうやら会場から続くバルコニーへ向かうようだった。

騎士がバルコニーと会場の間にあるカーテンを下ろすと、音楽や人々のざわめきが少し遠くなる。


初めて出席する【大人ばかりの夜会】や、憧れの【喧騒を抜け出し二人だけのテラス】に、もう夢見心地だ。


リチャード様はそんな私に呆れた顔一つせず、優雅な仕草で夢見心地で地上から何センチか浮遊しているかもしれない私にベンチに腰掛けるよう促した。

一つ一つの仕草や行動が王子様すぎて(正真正銘の王子様なのだけれど)悲鳴ものだわ。歓喜の。


「まるで夢のような時間でしたわ。もう帰らなければならないなんて残念ですが……」


まだ学生の身分である私は、挨拶と最初のダンスが終わればお役目御免なのだ。


「先ほど会場で見ていたスコーンとクリームを後で持っていかせるね」


隣に腰掛けたリチャード様が、私の髪にキスを落としながら慰めるようにそうおっしゃった。


「み、見てなどおりませんわ。王宮の菓子職人が作るスコーンとクリームは大変美味ですので、お客様にもお楽しみいただきたいと思っただけで……っ」


もう完全に秘密が暴かれているような気もするけれど、負けを認めなければ負けないのである!


「ふふ。そうだね。ローズがそう言っていたと聞いたら、皆喜ぶよ」


リチャード様はいつもの表情で自然に私の手を握り、自らの方に引き寄せた。


「んにゃ!?」


突然手を握られピシッと固まった私をよそに引き寄せた手をひと撫でし、あぁと一つ頷くと己の指先を軽く噛み片手づつ手袋を引き抜いていく。


にゃ、にゃにゃにゃにゃ!?

何が「あぁ」で何が「コクン」なのか全く理解できず頭の中が大混乱なわたくしの動揺を知ってか知らずか、手袋を外して一層確かに熱を感じる指が私の手の背をゆるりと撫でた。


大丈夫?私、蒸発していない?急な熱(美の新時代エネルギー)を受けて液体に溶けるだけではなく蒸発したのではないかしら。


「それにしても今日でもうローズと学園内で会えなくなるなんて寂しいな」


リチャード様はなんでもない風な声色で話を続ける。

こんなに動揺しているのは自分だけだと思うと悔しく、握られる手のことは意識して考えないようにして平静を装う。


「んんんッ。…‥同じ王宮内におりますわ」


囚われの手は置いておいて、そうなの。わたくし、ローズ。

王宮にお部屋をいただいてしまったのです!


王太子の婚約者ともなると、婚約期間ですのに王宮にお部屋をいただけるのです。

これにはわたくしも吃驚仰天ですわ。


防犯のためやら教育のためやら慣習やら、深い理由があっての待遇なのですがまさか実家からこんなにも早く巣立つとは思ってもいなくて移る前の晩には少し、しんみりしてしまいましたわ。


悲しみよ、こんにちは。ローズと申します……


「そうだね。ローズはここに戻ってくるのだものね」

「はい。わたくしの帰りを待っている者もおりますし」


家族と屋敷の者たちと涙の別れを経て、王宮に来てみれば。なんと学園の裏庭にいたはずのスコちゃんがお行儀よく待っていたのである。


にゃにゃにゃ!にゃんですってー!


まさか王宮に部屋を移すことでスコちゃんと一緒に暮らすことが出来るようになるとは。


悲しみよ、さようなら(その間、二刻)

こんにちは!スコちゃんとの新生活!(スコちゃんよ永遠に!)


「今、スコッティのことを考えているでしょう。待っているのはスコッティだけではない事を覚えておいて」


夜風に乗ってリチャード様のコロンの香りがまた濃くなり、大きな掌が火照った頬を包んだ。

誘われるまま、そちらに顔を向けると


先ほどまでのホールの中で作られていた、人に見られることを意識した表情では無く。

ただ私にだけ向けられた何かを乞うような視線と表情があった。


ぼんやりと魅入られるようにその瞳を見返しているとリチャード様の顔が傾き、近付いてくる。


これは……あれですわね……!!

前回はお兄様の乱入で有耶無耶になってしまったやつですわね!


「ハッ! お兄様……!?」

「パトリックはいないよ。ここにはローズと俺しかない。………こうされるのは、嫌?」


「い……いやでは……」


邪魔者(お兄様ごめんなさい)が居ないと教えてもらえて……ホッとしたような、困ったような!?

あぁあどうしましょう! いいのかしら!


「よかった」

「あっ、あの……っ」


リチャード様の煙ぶるような睫毛が徐々に伏せられる。

それにつられるように、私の瞼も下りてしまう。


瞳を閉じてしまえば、感覚が研ぎ澄まされて鼓動がやけに大きく聞こえてくる。


頬を包み込む熱い手の感触。

夜風に乗って香るコロンの香り。

遠く聞こえる音楽と、人々の争う声───……争う声?


「なんですの」

「……どうかした?」


くわっと目を開くと、超至近距離のリチャード様が壮絶な色気を放ちながらこちらを見ていた。


ひぇぇ………!!


「あぁあのっ、何やら騒がしくて……っ!」

「……騎士が出入り口に立ってるから平気。ローズはこちらに集中しなさい」


いつの間にか腰に回されていた腕によって、更に引き寄せられてしまった!


「で……も……」


今度はリチャード様の瞳は伏せられていなかった。私の瞳をまっすぐ見つめ、捕らえ動きを封じられる。



あぁ。リチャード様は視線一つで私を捕えるのだわ。



リチャード様の白い礼服の襟にそっと手を這わせ、握りこむ。

その仕草にふっと笑われた気がしたが、もうそれには反応出来なかった。


「──リチャード?」


鼻が触れ


「──ねぇ、リチャード?」


二人の距離が


「──リチャード、気付いてるよね?無視は良くないよ。ローズもそう思うだろ?」


ローズ、と呼ばれ今度こそクワッッッと我に返り飛び跳ねベンチから逃げる。


「にゃれッ……誰ですの!??!」


素早く声のした方へ向き直り、リチャード様の盾となるべく前に踊り出る。


「ひどいなぁ。忘れちゃった?ローズの大好きなレイノルドお兄様だよ?」


耳に届いた低い美声には聞き覚えがある。

揺れるカーテンから漏れるホールからの光が来訪者の金の髪を輝かせた。



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