第29話 悪役令嬢の婚約者-リヒト-
「リヒト様、ご覧ください。
こちらがわたくしの大切な宝物ですのよ。取り扱いにご注意くださいね」
今日はアムレットストーンを受け取る約束の日だ。
朝から憂鬱だったが、執務室に既に揃っていた兄上もローズもいつも通りの様子だった。
兄上の従僕が慎重な手付きで、机の上に繊細な紋様が美しい白い飾り箱を置いた。
箱の留め具には王家の紋章が刻まれている。
俺の顔を直接見ないようにしつつも視界でこちらの指示を待つ良く出来た従僕に、頷き合図を送り箱を開けさせる。
箱の中央に座る青い宝石。
窓から差す温かな日の光を反射させ、見事に輝いていた。
これがアムレットストーンか。
想像していたよりも小振りな指輪だったが、指輪としては立派な大きさの宝石だった。
早くこれをソーニャに見せてやりたい。
あの、蜂蜜色の瞳にこの宝石を映したい。
この宝石を見た時のソーニャの顔を想像して、頬が緩みそうになる。
綺麗だと惚けた顔をするだろうか
まさか本当に持ってくると思わなかったと驚くだろうか
遅いと怒るだろうか
ほっと…安心するだろうか
「確かに確認した。ありがとう、ローズ」
「あら…持って行かれるのですか」
思わぬローズの引き止めるような声に、胸が…少しだけ苦しくなった。
「あぁ…」
「そうですか」
ローズは軽く微笑むと、またいつもの扇で口元を隠した。
その扇を使い始めたのは、いつからだったろうか。
扇から覗くローズの菫色の瞳を見ていると、なんだか責められているような気分になってくる。
何を考えているのかいつの間にかわからなくなった。
いつの間にか表情を隠し、本音を話し合う機会も無くなった。
いや、遠ざけたのは俺だったか。
ローズの瞳から逃げるように、兄上へ辞去の挨拶をする。
「兄上。お時間頂き、ありがとうございました」
「リヒト」
早くこの場から去りたいのに、黙ったままだった兄上に呼び止められてしまった。
自然と自分を守るように体を堅くしてしまう。
子どもの頃はローズとローズの兄、そして兄上と一緒に遊ぶことが多かった。
兄上とは、仲の良い兄弟だったと思う。
俺が勝手に劣等感を抱き、避けるまでは。
「今度、学園のホールで舞踏会を開こうと思うんだがどうかな」
「舞踏会…ですか」
「あぁ。実は今年度の卒業パーティーは規模が大きくなるのでね。学園の生徒はまだデビュー前だろう。経験も無いのに急に大きなパーティーに参加は少し心配でね。実践形式の予行練習だ」
王太子の卒業パーティーともなれば、そうなるだろうな。
しかも現在、王太子の婚約者の席は空席のままだ。
「……もう決まっているんでしょう」
兄上は俺に相談している訳じゃない。必ず来るように念を押しているんだ。
そして
「……その期日までに戻せという意味ですか」
「今日は冴えているな。もちろん、もう招待状は配ってある。実践形式、だからね。本格的な舞踏会にしよう。楽しみだね、ローズ?」
兄上の視線が、ローズに流れる。
「はい。夢のような時間になりますわ」
ローズはその視線を受け、自然に、先ほどよりも柔らかく笑んだ。
俺は、その婚約者でもあり幼馴染の表情を見て
雷を受けたような衝撃を感じた。
弾かれるように立ち上がり、今度こそ兄上たちに向かって辞去の挨拶をする。
執務室を後にし、逃げるようにアトリエへ足を動かした。
そうだ、俺は逃げたんだ。
上手くいかないと諦め、努力し立ち向かうことから
兄上から
ローズから
俺は逃げたんだ。
*
「すごいわ…なんて綺麗なの…」
「あぁ。俺もそう思うよ」
蜂蜜色の瞳が潤み、アムレットストーンをじっと見つめている。
その表情を見て、少しだけ苦労が報われたような気がした。
そのままソーニャの方へと、アムレットストーンがよく見えるように白い箱を近付ける。
「ねえ。今度、舞踏会があるでしょう?これを付けて行っては駄目かしら」
無邪気に俺の腕に体を寄せ、強請るソーニャの冷えた肩を温めるように手を添える。
「…それはダメだ」
「どうして?ローズ様に返すから?」
「……それはローズに…侯爵家に渡したものだ。それを一時的に返してもらっただけで」
兄上に知られてしまっただけでもまずいのに、アディール侯に知られたら大変だ。
しかし、頭の片隅ではどうしたらソーニャの願いを叶えられるか考えてしまう。
「…これを付けて、みんなに見せたかったな…。私はリヒトのもので、リヒトは私のものよって、皆の前で堂々とダンスを踊るの」
「……ソーニャ」
舞踏会に侯爵は来ないだろうし、皆アムレットストーンがどんな形の宝石なのかは知らない。
母上の装飾も、父上の瞳の色の宝石ばかりでどれがアムレットストーンなのか教えてもらったことは無い。
どの宝石か知られてしまえば、盗まれた時に悪用される危険があるからだと言っていた。
だから、ソーニャが舞踏会に身に着けて行ってもわかりはしないだろう。
……ローズ以外は。
ローズの菫色の瞳を思い出し、逃げるように頭を振る。
「ほら、似合うかしら」
「……あぁ。似合うよ」
ソーニャはいつの間にか箱から取り出し、指輪をはめていた。
その指を二人で見つめたのは、どれほどの時間だったか。
「ローズ様に返すまででいいの。私にリヒトの"心"をちょうだい」
「いや、ダメだ」
ダメ、とは口だけだった。
「お願い…お願いよ…」
「ソーニャ……」
その、ソーニャの懇願する顔が見たいだけだった。
俺を騙すつもりで、全身で頼り、運命を俺に握らせるソーニャ
「ちゃんと返すわ……だから…」
ソーニャの手が震えていた
蜂蜜色の瞳の奥が恐怖に染まっている
「……来週までだよ」
「…っ、ええ、来週……来週には返すわ!ありがとうリヒト!」
ソーニャに対する仄暗い、支配欲なのかもうわからなくなったドロリとした気持ちを隠すように笑みをつくりソーニャを安心させる。
抱きついてきたソーニャの小さな体を抱き締め、ピンクブロンドの髪に頬を寄せ目を閉じた。
婚約者であり、幼馴染にどうやって言い訳しようか考えながら
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