第3話 悪役令嬢と悪役

と、史上最高の~と大見得きったのはいいけれど……


澄み渡るほどの気持ちのいい、ある昼下がりの中庭。の、庭木の影から私はターゲットたちをアンブッシュしている。

先日読んだ”ハンターの心得 入門編”に『アンブッシュとは、敵を待ち伏せること。茂みや草木に隠れること』と書いてありましたので、これはアンブッシュしている、という表現で間違いないわ。待ち伏せというか、いそいそとどこかに歩いていくリヒト様の後をつけて来たのだけれど……!


”ハンターの心得 入門編”を読んだ成果が出ているのか、ここまで見つからずに来れた。読んでて良かった入門編。基礎は大事ね。無事に帰還出来たら”挑戦編”に進もうと思……いえいえ、今は目の前のターゲットに集中よ。


──身を引くし、葉の陰から対象物を目視。

一時の方向にターゲット一、二をとらえた。


順調ですわ!


ターゲットその一のリヒト様と、その二のご令嬢は噴水の前に座り何やら楽しそうにお話ししているようです。噴水の跳ねる水音で、お二人が何を話しているのか聞こえないわ……。


しかしリヒト様は表情を緩ませ、普段より口数が多い様子だ。お相手のご令嬢──男爵令嬢のソーニャ様も頬を染め、幸せそうに笑んでいる。


──さて。問題はここからよ。

思わずリヒト様の後をつけてきてしまいましたが、どうしましょう。


周りの人の目が少ない今、悪役令嬢として初めての”ご挨拶”をするのに相応しいタイミングとロケーションなのではないでしょうか。


普段はリヒト様も私の周りにも他の高位の貴族子女が多くいる。そんな時にソーニャ様に”ご挨拶”なんてしては空腹の獣の巣に小鹿を置いていくようなものである。私の頭の中で小鹿さんがウルウルとした瞳でこちらを見た。大丈夫よ置いていかないわ小鹿さん!


今ね。今しかないわ。そうしましょう。


どうやって登場しましょうか。ここは堂々と二人の前に出て行って「あら殿下。そちらの方は?」なんて圧倒的存在感をひとまずアピールした方がいいかしら?


それとも、わざとソーニャ様が見えないふりをしてから「あら、いらっしゃったの? わたくしが殿下の婚約者ですけど何か?」というような、あなたは私の視界にすら入らない存在なのよ! と暗に伝えるじわじわいやらしい感じを出す方がいいかしら?


先日読んだ物語の悪役令嬢はわざとヒロインを噴水に落として「あらあら。大丈夫? これではお風邪を召されますわ。体調を崩す前にお帰りになった方がよろしいわね」と優しくするふりをしてヒーローとの時間を邪魔する強引な手を使っていたけれど。さ、さすがに噴水に突き落とすのはやりすぎよね……! 天気が良いとは言え、まだ肌寒いわ。風邪をひいてはいけないし、何より美しくないわ。そんな真似、悪の美学に反するわ!


「──史上最高の悪役令嬢とは、何をしたらいいのかしら……」

「あくやくれいじょう、とは何だい?」

「何ってそれは……」


まるで一緒に潜伏していた相棒のような声に振り返ると、ごくごく近距離にいらっしゃったのは──


王家特有の美しい金の髪に、輝きを内包した宝石のような空色の瞳を持ち、リヒト様によく似た──いえ、この方にリヒト様が似ているのである──リヒト様の兄であり、我が国の王太子殿下であった。


「ひぇ」

「ローズ、久しぶりだね。今はかくれんぼ中かな?」


殿下の美麗な声は低く潜められ、耳元で囁かれた。

──悲鳴ものだ。喜びの方の。私が圧倒的で完全無欠の超絶怒涛の悪役令嬢で無かったら卒倒してしまっていただろう。悪役はちょっと……だいぶ……! 神の力作のような美形にも! 動じないのだ。


「ちが!……失礼いたしました。ご無沙汰しております、王太子殿下」

「はは、やめてくれ。もう”リチャードお兄様”とは呼んでくれないの?」


そう爽やかに微笑む”リチャードお兄様”こと、王太子殿下は私の兄と同い年の十八歳。兄と仲が良く、私もリヒト様と一緒に遊んでもらっていた。

──まあ、子どもの頃の話しだ。

仲の良い幼い日々は過ぎ、私は次期王子妃として日々研鑽を積み大人になった。いくら昔、仲良くさせていただいたとしても、今は違うのだ。立場も、何もかも。


「──殿下は、殿下ですもの」

「そうか……もうローズは”小さなレディ”では無いのだね」

「はい。もう立派な淑女(レディ)ですわ」


「そう。で、その立派な淑女はこんなところで何をしているのかな? リヒトと……あぁ。アレを見ていたのか」


随分と察しがよろしいですわね。


殿下はターゲットたちを射貫くように確認した。

その横顔はとても冷たく、思い出の中の爽やか正統派王子様の”リチャードお兄様”とは随分違って見えた。


「ひぇ」

「──ローズはアレを見て……隠れて泣いていたの?」


それは先ほどの声とは違って、とても厳しい声で。私が怒られているわけでもないのに、泣きそうになってしまう。


「いいいいえ! 泣いてなどおりませんわ! ターゲットを観察していたのですわ!」


初めて見る殿下の恐ろしい表情に恐れをなした私は、全て洗いざらい白状することとなった。悪役としては情けないけれど、賢明な判断だったと思うわ。志なかばで討たれるよりは良いわ。ええ。



「なるほどね……。ローズは悪役として、二人を応援したいんだね」

「はい……」


殿下はふむ、と腕を組んで何か考え込んでいる。木漏れ日と物憂げに目を伏せる美形。行っているのは弟の浮気現場の監視なのだが、絵になるのは殿下が神に愛されし美形だからだろうか。


「──ローズは、それで後悔は無いんだね? リヒトのことを諦められるの?」


無自覚に引き寄せられ目が離せなかった、殿下の伏せられていた空色の瞳がユラリと持ち上がり、私の瞳を、その奥を覗くように見た。その瞳に見つめられ、心の隅で今の今まで迷い戸惑っていた心が、今決まった。


「……わたくし、決めましたの。お二人を……リヒト様を幸せにする、史上最高の悪役令嬢になる、と」


私の言に、心に、嘘や迷いが無いか見極めるような視線が注がれる。

その視線に負けないよう、私も殿下の瞳から目を逸らさなかった。


ふわりと二人の間に風が吹いた。

殿下の金の髪が風を受け、揺れた木漏れ日をきらりと跳ね返した。その光景に何かを思い出しそうになって、風になびいた自分の白に近い銀色の髪が視線を途切れさせた。


落ちてきた髪を耳にかけ視線を殿下に戻すと、そこに居た殿下は先ほどまでの”爽やかな王太子殿下”では無かった。


「──ふぅん。おもしろいね。では、私もその計画の仲間に入れてくれるかな」


そう言って微笑んだ殿下は、私よりよっぽど”悪役”だった。



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