_二

 とても美しい声だった。瓶の口に息をうまく吹き込んだ時に鳴る音色のような落ち着きを感じる。

「知らないって、どう言うこと?」

 本当なら、怪物から現れたこの二人を警戒するべきなのだ。だけど、その声が与える安心感と、少年を守る為にその身を盾にして身を乗り出す少女の姿に、僕を殺そうとする意思があるなんて想像できなかった。

「黙れ」

 少女は素早く立ち上がり、身を屈めると、体全体が紙飛行機になった様な身軽さで僕の方に飛んできた。

 やはり、怪物なんだ。とっさに僕は簡易採掘用の刃物を構える。少女は右手を固く握り僕の左のこめかみに拳を沈めようとする。左のこめかみに拳が当たった。簡易採掘用の刃物は少女の頚動脈のあたりに紙一重で当たらない位置で赤く光っている。

 少女の方が早かった。僕の左のこめかみに少女の右手がぶつかり僕は死を覚悟する。

 が、ただ痛いだけだ。ひょっとこの怪物から生まれたとは到底思えない微かな痛みだった。本当に、ただの少女の全力だった。

 僕は赤くなった簡易採掘用の刃物を突き立てているが、突き刺すこどができない。硬い殻を持った生き物を無理やり潰してしまう様な嫌悪感のせいだ。

 赤い刃物は先端から急に黒い色に戻っていく。心臓が大きく、そしてゆっくり動いていた。そもそも殺意なんて持ち出すべきではなかったと、そう思った。少女を殺そうとした判断は正しいはずだったのに。

「君たちは誰?」

 僕は少女を殺そうとした判断の正しさを証明するために簡易採掘用の刃物はそのままに、あくまで毅然とした態度でまた同じ質問をした。

「聞いてどうすんの」

 少女は怯えた様子を隠しながらそういった。声が震えているのが分かった。

「君は突然現れた。しかも怪物の中からだ。あの怪物すら、一体何なのか分かってないのに、そこからさらに君が現れても、キャパオーバーだよ。正直、混乱してるんだ。だから君たちは誰なのか、一体なんなのかを聞きたい」

「このナイフ、どけてよ」

 少女は宇宙へ繋がってるみたいな瞳でじっと僕を見る。僕は何も言わずに簡易採掘用の刃物を腰にしまった。少女は口を開く。

「私たちが何者かってさ、私にもわからないよ」

「わからないってどういうこと」

「わからないの。私たちは気づいたら突然ここにいた」

 突然ここにいた。それは僕も知っていることで、それじゃ何も進展がなかった。質問をさらに投げかける。

「突然ここにいたってことは、その前はどこにいたの?」

「その前なんてない。私は突然ここに現れたみたい」

「記憶は?」

「あるような無いような、あまりに漠然としすぎてわからない」

「じゃあ、君たちはこれからどうするの?」

「知らない」

 行くあてもないのだろう。そこで会話は途切れた。僕は状況を整理する。まず、謎の怪物が現れた。サイモンさんが殺され、その怪物から二人、少年と少女が現れた。そして僕は仕事を終わらせて街に帰らなくてはならない。

 僕らの仕事は坑夫と呼ばれている。チームになって行動するのだが、チームメイトが何かの事故で倒れたり、また亡くなった場合、クロワッサンの荷物を置くスペースにしまい、街まで連れて帰るのがルールになっている。この時点で、クロワッサンは少し重量過多になる。その時には、もともと持ってきている荷物をその場に捨てるのだ。


 何を考えているのかわからない宇宙の瞳を持った二人は、自分の髪の毛や龍木や空を興味深そうに眺めていた。

 俺が仕事を終わらせて街に帰ったら、この二人はどうするのだろうか。一体、夜はどう過ごすのだろうか。こんなところで何を食べて暮らすのだろうか。

 しかし、二人を乗せて帰ることはできない。そのためには、仕事道具を全て置いていくことになるからだ。残せるのは最低限の食料だけだろう。

 だけど、それでも。確実に人の外見をしている二人をここに置いていくことができるわけがなかった。もし置いて帰れば、俺は死ぬまで二人の表情を思い出すことになるだろう。僕はこう声をかける。

「まず服を着て、そして仕事道具をここに捨ててくから。君たちを街まで連れていく。わかった?」

 少女はじっと僕の目を見る。

「あんたって、お人好しね」

 変な言葉を知ってるもんだ。記憶はないくせに。

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