壱場 七

「靜華、しばらく弁慶を置いても良いかな? あいつ主人に暇を出されていく当てがないらしいんだよ」


「この屋敷はあんたんでしょう? お好きにしなはれ」


靜華も別に問題は無いと言った表情である。


そのやり取りを目の前で見ていた弁慶は、


「この場合は天女様もダメとは言いにくいでしょうな」


頭を掻きながら申し訳なさそうに弁慶は静華を見ていたが、弁慶の言葉の中に認識の違いがあるため静華が弁慶の顔を見つめて、


「弁慶、あんな、ウチ天女廃業したんや。やからな、その天女様いうのやめてえな」


サラッと弁慶に取っては大切なことを言った。それを受けた弁慶も表情に狼狽とまではいかないが多少の驚きをもって静華に聞き返した。


「それでは、なんとお呼びしたら」


「何でもええよ」


笑顔で弁慶に静華は答えているが、何か企んでいる顔をしたまま答えを待っている。弁慶も少し考えた素振りのようなものは見えたが、迷いなく言った。


「靜華様でよろしいでしょうか?」


「……弁慶……普通か! しんどいなあ! ほんま。どないなっとんのや。どいつもこいつも」


靜華から聞こえていた透き通るような声色が、弁慶が聞いた事のない低い声で、あきらかに切れた様子を見せている。弁慶は目を大きく見開いて微動だにしなくなった。端的に言えば戦慄を覚えるほどのドスの入れ方だった。


弁慶にしてみれば、なぜ静華が切れているのかがわかっていない。


「そこはな、弁慶。最低でも。“靜華”言うてウチにシバかれる場面や。覚えて置けやあほんだら!」


舌打ちして隣の吉右衛門を見ている靜華。


「おい! 吉右衛門! あんた、どないな教え方してはるん? いっこも使えへんなぁ! 何年やっとんのや!」


行き掛けの駄賃に靜華に怒られる吉右衛門。


「はい、もうし訳ございません。師匠」


弁慶に頭を下げる様に手振りで伝えている。


弁慶に靜華の家でのお約束を一通り吉右衛門が伝えた後、靜華が、


「ま、ええわ。で? なんの集いなん?」


透き通った瞳で聞いて来た。


「え?」


吉右衛門が靜華に聞き返す。


「え?や、あらへんわ。あんたが何の意味なく誰か連れてくるなんぞ、おまへんやろ? そうやなぁ?」


靜華は吉右衛門の顔を更に覗き込んだ。


『まずい。妨害思考だ……』


女の裸を想像する。


「そうやった、今、力無かったんや。忘れとった」


吉右衛門は靜華の表情から、心は読めていないと判断する。目の前の靜華が涼しい顔で吉右衛門を見ているからだ。読めれば、この程度で済むはずがない。


しばらく、吉右衛門の顔を凝視していた靜華が思い出したように弁慶に向き直り


「弁慶、今、何してるん?」


微笑と共に聞いてきた。聞かれた弁慶にとって靜華に報告したい一つでもあった話題を靜華から振られて身体を前のめりにしながら靜華の目を見つめると話し出した。


「はい、靜華様、あなた様に諭されてから、拙僧は正業に就くために色々とやりましたが、簡単には世間は認めてはくれませなんだ。いくつかの職業を転々として今は源氏の御曹司の郎党となっております。やはり、勉学をいたしておりませんし、力だけは有ったので、まぁ、武士の子分でしばらくやってみようと思っています」


靜華が弁慶の瞳を注視していちいち頷いている。


「ほうかぁ。そりゃあ大変やったなぁ。そんで……あんたら何処であったん?」


「え?そ、そこの橋のたもとで……」


目を伏せる弁慶に靜華の目が光った。


「なぁ、あんた暇だされはったん違いますの?」


「え? あ! あぁ。そうでした。はは、世の中上手くいきませんな」


弁慶が俯いて表情を見られない様にしている。しかし、露骨にしまったという顔をしたのを吉右衛門は見ていた。吉右衛門が見えているという事は当然……


弁慶を見ていた靜華が隣の吉右衛門をみてにやりと笑って見せた。


『まずい! この顔は。何か気づいたのか?それとも会話の中に靜華の罠が入っていたのか?』


吉右衛門は、この靜華の表情。血色の良い薄い唇を横に広げて笑う。そして、右の方の口角が上がっている。この時は、靜華の中で何かが繋がった瞬間の事が多い事を知っている。


『おかしい……力はないと聞いているが、この感じは……』


吉右衛門は悪い胸騒ぎを消すためにこの状況を変えたかった。


「靜華、もう遅いから、寝ようか。ね」


このまま、いても良いことはなさそうだ。生存本能がそう言わせる。吉右衛門はいつもの半笑いを出そうとするが、うまく笑えていない気がした。

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