壱場 五

「おい弁慶。お前、どこから、話を聞いていた?」


「どこからとはどういう意味だ?」


「さっきの屋敷の中の話だよ」


吉右衛門は鎌田の言う通り、弁慶を連れて帰る事にした。夜道のなか、背の高い男と、それにも見劣りすることなく、むしろ恰幅のいい大男が鴨川の河原沿いを川の流れに沿う様に歩いていた。


「話などは何も知らん。声がかかるまで向かいの部屋にいたからな」


「そうか。なら良いが……」


吉右衛門は目を伏せてしばし微笑み、いつもの半笑いを浮かべている。吉右衛門にすればもっぱらの心配事……静華に今夜の行為がバレることを一番恐れていたのだが、弁慶の言によれば、可能性の一つが消えたことを確認できたようなものだから、つい表情に漏れてしまっていた。


「ああ、何か女の喘ぎ声の様なものが聞こえていたが、あれはお主が関係しているのか?」


弁慶が前触れなく確信にいきなり触れて吉右衛門を涼しい目で見ながらニタリと笑っている。

吉右衛門は弁慶の表情から全てを知っている、いや、知られている事を悟り、左隣にいる弁慶を素早く睨みつけると、


「まったく関係が無い。そんな事は今すぐ忘れろ。それと、屋敷に帰ってもこの事は内緒だ。四条橋でお前に会って、行き場所が無いからしばらく屋敷に置いてやる事にしたという設定だ。いいな?」


言い訳とも脅しともどちら付かずな態度で、返すのが精いっぱいであった。


「設定? 知らんが、儂はどうでもかまわん。それよりも天女様にお会いできるとは、今まで頑張ってきて良かった」


弁慶が天を仰ぎながら、満月を見つめている。吉右衛門の行為などどうでもいいようだ。既に心が一人遠くに行ってしまっている。


「お前、あれからどうしてたんだ?」


「あ? それは天女様に報告するのでお主なんぞに言うつもりは無い」


と言って、川の方に視線を移している。


「ああ、そうかい。それよりもその義経とかいう奴は何処にいるんだ?」


……蛙があちこちで鳴いている。


「ああ、そのことか……」


弁慶は少し考える様に相槌を打つと、


「九郎様、俺たちは御曹司と呼ばされているんだがな。御曹司はついこの間まで平泉におったんだが、京の方がいいとか言って飛び出してきたらしいぞ。そもそもな、京のどこぞの寺に預けられていたが、坊主になるのが嫌でそこを逃げた。問題は、その預けたのが平家でな。本来はそこの寺で坊主になって生涯を送るはずだった。ところが、寺を逃げだして源氏を名乗っちまった。その時に手引きをしたのが、鎌田殿だ。平家としては、源氏の血を引く御曹司を自分たちの見えるところに置いておきたかったのだろうな。当然、平家は追手をかけたが、奥州の平泉だ。そう簡単には手が出ない。はずなのだが、いつも、見張られていたんだろう、平泉を出た矢先に、捕まった。と言ったところだ」


「とすると、相手は平家で平泉のそばにいるのか?」


「一つは当たりで、一つは間違いだ。捕まえたのはおそらく、平家。捕まっているのは京の近くだ。ひっそりと運ばれて来ている」


「弁慶よ。こりゃあ、参ったな。真正面から奪いに行けば、以降、俺達は平家の敵だ。京で生活など出来なくなるぞ」


「ああ、そうだ。だから、お主に声を掛けたのでは無いのか?」


「ふざけるなよ。この先、どうやって生活すりゃいいんだ? そもそも靜華にどうやって説明するんだよ」


「それは、お主の仕事であろう」


不敵に微笑んで弁慶は遠くを見ている。


蛙の鳴く河原沿いを街へと折れ大通りから下ると五条の屋敷が見えてくる。

屋敷の門をくぐり、ほぼ正面にある行燈で照らされる玄関の前に、華やかな美人が外の通りの様子を伺って立っているのが見えた。

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