肆場 下
「ほな、いこか」
靜華がそっと目を閉じ篠笛を吹く。ゆったりとしたリズムのなかに切なげなメロディが流れる。
「何をされているのですか?」
実篤が訊ねている。
「ああ。お化けを呼んでいるんだよ」
吉右衛門は半笑いで答える。
例の屋敷に吉右衛門と靜華が着いた時に実篤と取り巻き五名が屋敷の前で待っていた。退治の証人に任命されたという事だ。
屋敷の中庭で篠笛を吹く靜華の前には池があって今は清らかな清水が流れて二人が侵入したあの日の事を思い起こさせるものは何も無い。月明かりが靜華を照らし周囲には靜華の笛の音とシルエットのみが映し出され浄土を思い描いて造りこまれた庭と一人の笛を奏でる白拍子、屋敷の廊下からその光景を眺めているもの達には美しい風景の一つに見えていた。
靜華の笛の音がまわりの者たちを魅了して自分たちが魑魅魍魎の類を退治しに来ている事すら忘れ去っていたころに庭の奥から何かがうごめくのが見えた。と言っても見えているのは靜華と吉右衛門のみなのだが。しかし、庭の草木にはそれがうごめくさまが見て取れるため実篤達も一様にざわめきだした。
「お前ら下がっていろ」
今まで実篤たちの後ろで座って靜華を見ていた吉右衛門が声を掛けた。
「靜華! 頼む。」
そう言うと庭に下りながら太刀を抜き庭でざわついている何者かに対峙する。靜華が吉右衛門の後ろに回り込み笛を吹くと吉右衛門の太刀が黄金色に輝きだした。視線をうごめいている何かを補足したままの吉右衛門が太刀の光が極大になるのを待って一気に斬りかる。実篤たちには二人が何かと戦っているのか?戦っているのだろうという思いでその動きを見ているのだがどうにも相手が見えてこない。そのうち靜華が実篤たちを手招きしてこの辺り見てと指で指し示している。
靜華がこれから倒したお化けを御霊として常世へ帰すと説明してから篠笛を優しい音色で吹いた。
靜華の指示したあたりから急に光の微粒子が発生し天高く昇って行った。
「これで、ここはもう大丈夫だろう。お前ら確認したな? よしそれじゃあ、明日報酬をもらい受けに行くのでよろしく頼むぞ」
「吉右衛門、今のは、えろぅアコギとちゃいますか?」
靜華は薄笑いを浮かべている。まんざらでもない様子なのだが一応、人として正論を言っている様なとこだろう。帰り道、もうすぐ五条の屋敷というところで靜華が機嫌よく話しかけてきた。
「素人相手だ。実際、地虫のような地縛霊を送ってあげたんだから全部嘘でもあるまい」
返す吉右衛門も半笑いだ。二人は最初からそんなものがいれば対応するし、いなければ適当に呼び寄せて対応しようと話をしていた。
「降天の巫女。お力見させていただきましたよ。ふふふふ」
背後から声を急にかけられた二人はすぐさま戦闘態勢を取った。
『こんなに近づく迄気付かなかったとは。。。靜華、油断するな』
柄に手をかけ声の先に視線を送る吉右衛門。その背後から右手の人差し指と中指をそろえいつでもそいつを縛り付けられる体制を整える靜華。ここまで整えば二人にとって既に決着はついたも同然だ。
「まあまあ。そう答えを急ぎますな」
声の主がさらに近づいてくる。
「止まれ! 動くな!」
吉右衛門は警告を発する。
「ほれ、儂はこの通り丸腰じゃよ」
両手を上にあげたまま、にこりと微笑んだ老人がそこには立っていた。
月明かりの中、表情までは何とか見える。背丈はかなり小さい。装束から想像すると僧侶だろうか?黒の法衣を着ていることからそれが伺い知れるのだが……頭髪は既に無く、所々老人斑が目立っている。顔は日焼けによる褐色を帯びていて、ぎょろっと大きな目が目立ち、笑っている口元には前歯がない。総じて夜更けに会うと陰鬱で不気味。である。
「何用だ」
「すまん。すまん。こんな夜更けに背後から声を掛けられれば当然の反応じゃ。特別、儂はあんたらに害を成そうと言う訳ではないのじゃ。強いて言えば。そうじゃなぁ。見たかった……
降天の巫女の力を……ひひひ。見させてもらったぞ。力の一部を。ひひひ……
今夜はもう遅いでな。また、日のある時にでも続きの話をしようではないか」
そう言うと、老人はくるりと背を向けて二人から遠ざかり小路へと消えて行った。
「まずいな。靜華。今夜は力なんて言えるようなものは何一つ使っちゃいないが、それと知って接近してくる奴は目的があるわけだ。それは、
……お前の力が目当てだ」
「ウチのちから?」
「あぁ。お前の力は使いようによっては大変な力になる。精を退治する様な小さなものではない」
「せやかてなぁ。ウチの力はウチの物やろ? 何でウチが興味のない所で使わなあかんの。あほちゃうか」
「気付いた奴がいるんだよ。お前の力の使いどころに……」
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