参場 下
吉右衛門が襲われたちょうど一時間ぐらい前の事である。
吉右衛門の屋敷の中から美しい笛の調べが聞こえている。その調べに魅入られるように三人の男たちが吉右衛門の屋敷に侵入していた。
「貴族の奥方ってのは昼間っから笛を奏でてるんだな?」
髭面のいかにも悪党ですといった風情の男が感心して言えば、
「うるさいだまって仕事をしろ」
神経質そうな痩せた男が答える。その脇にいた小太りの男は
「ここの奥方はえらいベッピンさんで、この辺りでは有名だぞ。ひひひ」
小太りの男がいやらしく口元を緩めた。
「あぁ。聞いている。だが、今日はそれは目的じゃない忘れるな」
「でもな、何かで間違って、そのな、あるだろ? そういう事が」
「間違ってあるはずがないだろう。はっきり言えば誘拐だ。連れ去って届ける。それが仕事だ余計なことをするな。金がもらえなくなるぞ! わかったな」
先ほどから聞こえていた笛の音が、別の調べにいつの間にかなっていた。三人には違いなどわかりようもないのだろうが。
門は開いていた。そこから人気が無いのを確認し屋敷の中に入り込んだ。とにかく笛の音がする方を目指し三人は気配を殺し近づいていった。探す手間は笛の音を頼りにしているので、そういった意味では面倒が省けて好都合であった。
「この部屋の中だな。」
痩せた男が指示をだす。
障子を開ければそこに奥方が笛を奏でているはずだ。
「いくぞ!」
男が障子戸を開け放った。
「……いない」
笛の音はその奥、庭の方から聞こえていたのだ。
部屋を横断し、もう一枚、庭へと続く障子を開けると、
庭の中央に篠笛を奏でるこの屋敷の奥方が、男たちを背にして立っていた。灰色の小袖を着て背中までの金髪が挿し色として映えている。後ろの立ち姿だけで三人は魅了されてしまった。
「なぁ? あんさんら、部屋が汚れるさかい、庭に下りてぇな」
男達に向き合った奥方は、なるほど今までで、男たちの人生の中で見たこともないような美人であった。大きな瞳にきりっと整った眉を幾分上向きにして、薄い桃色の唇から奏でられた透き通った声色が男たちに向けられている。そして、その声を聞かされた男たちは、靜華の望むままに庭に下りて次の言葉を賜れるのを待っていた。
「それじゃぁ。あんさん」
真ん中に立つ痩せた男を指さして静華が言う。
「あんさんはこの中で一番長生きさせたるさかい、これから起こることをよ~見とってな」
そう言われた男は棒立ちで静華を見ている。
「ほんじゃぁ、あんた」
小太りの男を指さす。
「あんたなぁ。うちの身体の想像すんなや。気持ち悪いねん」
そう言うと手招きして三人の一歩前に歩み出させた。
「今日はなウチの旦那はんおらへんのよ……知ってはるか。そやさかいな、あんさんらの事好きな様にいたぶれんねん。こんな事めったにあらしまへんのやで。だって、旦那はんも見た事ない技見せるんやからな。幸せやなぁ?」
静華の目が厳しさを増し小男をにらむと、
「あんさん。身の丈を知りなはれな。罰として永遠に苦しめるように精にしたる。地虫のごとく地べたを這いずり回って常世に行けずに暮らすんや。苦しいなぁ。考えただけでもこっわいなぁ」
そう言うと右手に持っていた篠笛をクルクルさせ腰に挿し、大きく両手を広げそのまま掌をパンと突き合わせた。
棒立ちだった小太りの男が怪しく小躍りしながら庭の中を動き出した。手足の関節辺りがなにか柔らかくなってきたように見え、その瞬間、すべての関節が外れたかのようにその場に崩れ落ちた。いや陸地にいるタコのようにべちゃっと潰れているようだ。
やがて、小太りの男だったそのタコもどきの穴という穴から黒い霧の様なものがあふれ出てそのままにこぼれ落ちて地面の中へと吸収されていった。残ったのは鎧と服のみだ。
「ほんじゃぁ、次な。なんかつまらんな。うち一人みたいや」
静華は指先を鳴らし髭ずらの男を指した。瞬間。
「た、助けてくれ。お願いだ。俺たちは指示されただけなんだ。助けてくれ頼む。俺には女房子供がいるんだ。俺が死んじまったらどうにもならなくなる。だから」
「そのへんにしときなはれや」
静華が男の懇願を途中で止めた。
「あんさん、しゃべらせたったらそんな感じかぁ? 嘘言うとろくな死に方しまへんでぇ~。女房も子供もおらへんやろ」
静華は少し考えている。
「決まった。あんさんは消滅や。こんなん服とか残されても叶わんしな。片付けるのに気っもち悪いねん触るとか。とりあえず、その服と鎧もってえな」
そう言って男を指で操るようにさっきの小太りタコが残していった服や鎧を持たせる。
「さぁ。後悔の叫びを聞かせておくれやす!」
静華は微笑を湛えて男の反応を待っていた。
「消滅って何ですか?」
「ええ質問やね。けんど、死ぬのにそんなん必要なん? 消滅ってのはな。消えることや。消え去るんや。なんも残らんよ。それじゃあ、ええかな?」
と言って指先をクルクルしている。
「た、助けて。お願い」
「ええねぇ。そう! そう言うの。」
静華が目を細めて微笑んでいる。
「悪い事はもうしません。助けて下さい。」
「あんた、つまらんね。それしかないんか。」
静華は指のクルクルを止めた。
瞬間、命乞いをしていた男の周りに黒い球形の空間が生じた。
「な? 何?」
男がそれを見つめながら叫んでいる。
「それがあんさんを押しつぶして跡形なく消滅するんやよ。直ぐやで。それまで今までの悪さを後悔してたらええわ」
「たすけぇ……」
球形の黒い空間は収縮を起こし、
”プチ”。
そんな感じで最後に音を発生して消滅した。男ともども。
「で、残ったあんさんは……ま、吉右衛門にも残してやらんとなぁ。とりあえず形だけでも縛っておくか」
吉右衛門が屋敷に戻ると靜華が手招きをしている。何が言いたいのかは、わかっているつもりだが……
「あんた、どないしたん着物、血だらけやよ」
黄色い大きな瞳で嘲笑とも微笑ともどちらとも取れる笑顔で言ってきた。
「なに笑ってるんだよ? 新しかったんだぞ。どうすればいいんだ?このイライラ」
「ちょうどええのがおる。そいつに当たったれ!」
「なぁ。靜華。何人来た?」
「三人。そのうち二人は成仏?してはると思うわ」
「で? 何が目的なんだ?」
後手で縛られている男を前に吉右衛門は太刀を抜いて靜華と話し込んでいた。
「三下や。行って、さらって来いぃ言われて来ただけや。誰に言われたのかは、わかっとるからな、今晩、事情を聴きに行ったらえぇ!」
そういうと微笑をたたえていた靜華の唇が右に引き締まり吉右衛門を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます