人生加工アプリ

尾高 太陽

第1話

 いつも通りの朝、俺はスマホの目覚まし時計の音で目を覚ました。これは三度目のスヌーズ、これで起きなければ俺はさぞ安らかな眠りにつけることだろう。

 そんなことを考えながら、俺は重い瞼に抵抗することなく、まどろみの中に沈んでいく。

「二度寝しない。」

 すると、そんな溜息混じりの声と共に、冬の寒さから俺を守ってくれる布団は奪われた。

 犯人は分かり切っている。ヤツだ。

 冬の寒気に耐え切れない身体を丸めながら犯人を睨むと、そこには中年太りで女性らしさを失った母親が立っていた。

「大学生になった息子をいちいち起こしに来るなよ。」

「大学生になったなら一人で起きなさい。」

 布団を没収され、無駄な言い合いのせいで眠気が大学の教室あたりに吹き飛んだ俺は、ベッドから体を起こす。

 準備を済ませ、首を鳴らしながらリビングへと向かうと、そこではいつも通り朝の情報番組の女性アナウンサーに釘付けの父と、忙しなく動き回る母がいた。

 俺は机の上に置かれたコーヒー牛乳を一気に飲み、「じゃあ行ってくる。」と二人に伝えて家を出たのだった。


 大学までは電車で三十分。その間スマホでSNSを眺めるのがいつもの流れだ。ありきたりな友達の投稿にありきたりなコメントを返していると、一つの広告が目についた。

『人生加工アプリ』

 見慣れないその文字列に違和感を抱いた俺はその広告をタップする。

 飛ばされたサイトでは一人の女性の写真のビフォーアフターが写っていた。ビフォーの方では、正直かわいいとは言えない部類の女子が笑っている。それに対してアフターの方はと言うと、ビフォーの方よりも肌は白くなり、眼は大きく、顎は細くなった美形の女子が笑っていた。

 アプリの説明を見てみると、それはビフォーアフターの写真の通り、至って普通の画像加工アプリだった。どうやら画像を加工することで人生を加工するという解釈らしい。

 ただ、「あなたの過去を美しく、あなたの未来を美しく。」というテーマがあまりにも胡散臭さを醸し出している。

 思わず鼻で笑った俺は、そのアプリのインストールボタンを押した。

 いつもならこの説明を読んだところでブラウザバックしていただろう。しかし今日はすこぶる機嫌が良い。何故か、それはいつもなら座ることができない通勤通学ラッシュのこの特急電車で、座席に座ることができたからだ。三十分立つか座るではその日のモチベーションが違う。

 少し長いアプリのインストール時間を終え、アプリを開くと、突然「このアプリでは視覚的な情報を軸に人生を加工することができます。使用には最新の注意を払うことをオススメします。」との文字がデカデカと表示された。

 余裕でテーマを超えてきた胡散臭さに眉を顰めながら画面をタップすると「本格加工技術がある方はこちら。」「初心者の方はこちら。」という選択肢が現れた。

 もちろん本格加工技術などあるわけもない俺は、「初心者はこちら。」と表示されたボタンをタップする。

 そこからチュートリアルのようなものを進めていくと、初心者は加工の方法がほぼ自動化され、ボタン一つで加工できるとのことだった。

 いくつかある加工の種類を見ていくと、その中に「美化」というボタンを見つける。

 やはりよくある加工アプリと同じようだ。しかし俺はふと思いついた。例えば赤ちゃんに「美化」を使えばどうなるのだろう。赤ちゃんらしさを残したまま美化されるのか、はたまた大人のような顔になるのか。

 そう気になった俺はカメラロールから赤ちゃんの写真を探す。

 すると、いつかの授業で使った、一歳の頃の俺の写真が見つかった。それはどこかの道端で今とは似つかないほど若く、細い母親があほ面の俺を抱いている写真だった。

 自分で試すというのもなんだが、俺はその写真を選択し美化のボタンを押す。

 すると俺の顔は、美形の芸能人の子供の頃のような、大きな目やバランスの整った顔立ちの、美形の面影が見える顔へと加工されたのだった。

 思っていたよりも違和感がなく、完成度の高い加工に一瞬喜んだものの、俺は背景を見て落胆した。俺の顔を加工したことにより、そのすぐ後ろに写っていた母親の首元がぐにゃりと曲がっていたのだ。

 加工アプリではよくあることだが、その完成度ゆえに残念で仕方がなかった。

 しかしこれはこれでなかなかいいネタになると思った俺は保存ボタンを押した。すると「このアプリでは上書き保存しかできません。加工が不自然ではないように自動で加工が追加されます。実行しますか?」という注意書きが表示される。

 まあ、この写真はスキャンした物で本物は家にある。それに不自然ではなくなるように自動で加工してくれるのなら、と俺は実行ボタンを押したのだった。


 そして大学に着いた俺は、電車で椅子に座れたという最高のモチベーションで眠りにつき、その日の授業を終えた。


 そして大学の最寄り駅まで歩く俺は、何かが引っかかっていた。今日はいつも通りの一日に思えたが、妙な違和感があったのだ。いつも話す奴らの俺との関わり方がどこか違う感じがした。その上今までなら目も合わなかったようなイケてるグループの女子から挨拶をされたのだ。あとおまけに、今日は一度もトイレに行きたくならなかった。

 朝椅子に座るのと座らないのとでは、ここまで違うのか、などと考えている間に駅に着いた俺は、帰宅ラッシュに巻き込まれながら家に帰ったのだった。


「ただいま。」

 そう言って家のドアを開けたものの、家中の灯りは消えていた。母親はどこかに出かけているらしい。

 いつもなら帰ってくるなりぐだぐだと戯言が止まらない母親がいないのだ、帰ってくるまでの僅かな間でも自由な時間を楽しまなければ損だろう。

 俺はコーラとポテチを装備して俺の部屋のゲームへと向かった。


ん?おっと。

 いつの間にか眠っていたらしく、俺は玄関の鍵が開けられる音で目を覚ました。ゲームの画面は自動的にスリープ状態になっており、気づかない間に室温もグッと下がっている。スマホを見ると二三時を過ぎていた。

 俺はまだ寝ぼけた頭でリビングへ行くと部屋は暗く、俺が玄関に目を向けたと同時に灯りがつけられた。

「お、ただいま。」

「おぉ……。」

 灯りを付けたのは父親だった。


 驚いた表情を浮かべる父親をよそに、俺は周囲を見渡す。こんな時間まで母親に起こされないことなど、めったにあることではなかった。俺が起きなかっただけという可能性もあるが、最近はそれ程疲れていた覚えもない。

 こんな時間に買い物に行くとは思えない。もう寝たのか?いや、それならば少なくとも父親の分の晩飯が机の上に置かれているはずだ。しかし机の上にはみかんくらいしかない。父親の晩飯がみかんになるくらいの夫婦喧嘩をしていた様子はないし、酔っていない様子を見ると父親が晩飯をいらないとは言っていないのだろう。かと言って今日はどこかに出かけると聞いた覚えもない。

 そんな答えの出ないことを考えながら、俺はいつも通り残業で疲れた様子の父親に目を向ける。

「母さんは?」

 すると父親は苦笑いを浮かべて首を傾げた。

「どうした急に。」

 急?いや確かに急か、母親がいなくなったことはまだ伝えていない。

「母さんがいないんだけど。」

 すると父親はさらに首を傾げる。

「寝ぼけてるのか?」

 寝ぼけてる?そんなにめちゃくちゃなことを言ったか?

「いやだから。」


「死んだ人が帰ってくるわけがないだろ。」


 ………は?

「死んだ?」

 あまりに突拍子もないことを言う父親に俺は首を傾げることしかできなかった。すると不審そうに眉を顰める父親は口を開く。

「お前も知ってるだろ。お前が1才の頃に死んだって。」

一才?今日の朝までいた母親が一八年前に死んだ?何の冗談だ。いや、父親がそんな冗談を言うタイプではないことは分かる。

「詳しく教えてくれ。」

 すると足止めを食らった父親は苦い顔をして説明を始めた。

「一才のお前と記念撮影をしているときに、工事現場の事故で飛んできた鉄骨が首にあたって死んだ。あまりふざけて何度も聞くような話じゃないぞ。」

 あまりにも酷い話に俺は目が回るのを感じる。

 珍しく父親が怒っているのも見えているが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

 しかしそんな中で、俺はふと思い出す。

「首。」

 俺は急いで自分の部屋に入り、誰にも見られないようにカメラロールを開く。そこには美化された俺を抱く母親の首に鉄骨らしきものがぶつかり、笑顔のままぐにゃりと首が曲がった瞬間の写真が保存されていた。

「このアプリでは視覚的な情報を軸に人生を加工することができます。使用には最新の注意を払うことをオススメします。」「このアプリでは上書き保存しかできません。加工が不自然ではないように自動で加工が追加されます。実行しますか?」

 写真を見た瞬間。今まで軽視し、無視してきた言葉を思い出した。その言葉の意味を理解していくにつれて鼓動が早まっていくのを感じた。呼吸は早まり、焦点は合わない。全身の力が抜けていき、どうやって持っていたのも忘れたスマホは床へ打ち付けられた。夢であることを望み、そうであると言い聞かせる。


 俺のせいだ。


 このアプリは写真を通して人生を加工する物だったのだ。俺を加工した際に母親の首が曲がり、それが不自然ではないように鉄骨が飛んできた。

 あまりに非現実的だが、どれだけ現実逃避をしてもこれが真実なのだろう。普段は七割方寝ているくせにこんな時に限って俺の脳はすぐに理解する事ができた。

 逆に母親がいるという夢を見ていたという可能性もあるが、どちらにせよ母親はもういない。

「………。」

 違う!そうだ!!加工できるのならこの写真をさらに加工すれば!!

 俺は急いで床に落ちたスマホを広い、人生加工アプリを開く。そして設定から「本格加工技術がある方はこちら。」の方に切り替えてから、母親の首が曲がった写真を選択し、加工を始めた。

 知識はないが様々な機能の単語から何となくの方法は分かる。

 しかしどうやっても母親の首が綺麗になることはなかった。そもそもの技術が無いということもあるが、どうやっても鉄骨が邪魔なのだ。首を元に戻そうにも、戻すべき場所には鉄骨があり、鉄骨を加工しようとすると母の首がさらに曲がる。

 何とか鉄骨を消し、違和感を残しながらも半ば無理やり首を戻すこともできた。

 しかし、それを上書き保存する勇気は俺にはなかった。

 母親は笑顔だった。あの様子なら恐らくは即死だったのだろう。でももしこの中途半端な加工で上書きすれば、この首の違和感が不自然ではないように自動で加工されてしまう可能性がある。そうなれば母親はその苦痛にもがいてしまうかもしれない。それで助かったのならまだいい。だが、もし後遺症が残って一生苦しむことになったら、もし苦痛にもがいた後に死んだとしたら。そんな目に合わせるくらいなら、このまま笑顔の中で死なせた方がいいのかもしれない。

 でも、それだと俺は母親を……。

 そんなことを考えていると、アプリの中で写真を選択するボタンの横に「未来」というボタンがあることに気がついた。

 呆然としていた俺はベッドに倒れこみ、涙目でそのボタンを押す。それは見覚えのない写真で溢れたカメラロールだった。その中で適当に1枚の写真を開くと、そこでは見知らぬ美男美女が笑って写っている。

「なんだよ!!バカにしてんのか!!」

 一人そう叫んだ俺は、迷いなく加工ボタンを押す。

やけになっていた俺は、こんな二人どうにでもなってしまえ!!と心の中で叫びながら「本格加工技術がある方はこちら。」の設定のまま適当に加工を繰り返していく。肩と背景は歪ませ、首は曲げ、顔は原型が分からないほどに崩れさせる。それはもう二度と元に戻せないくらいに、二人の顔をめちゃくちゃに加工してやった。

「は、はは。ははは。」

 完成した写真のあまりの不気味さに一瞬冷静を取り戻したが、今にも心が壊れそうな俺は上書き保存のボタンを押したのだった。


 行き場のない感覚に溺れる俺は、大声を上げた俺を心配する父親を横目に風呂へと向かった。

 ふらつきながらも服を脱ぎ、ふと脇の鏡を見ると、そこにはさっきめちゃくちゃに加工した写真の美男が写っていた。


 ……そうだ、俺は一才の時に加工されたんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生加工アプリ 尾高 太陽 @ODAKATAIYO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る