プロローグ

プロローグ


「全軍、高度三メートル! 前進せよ!」


 響き渡る号令と共に、鉄の箱舟が滑るように空中を進む。地面から一定の位置を保ちながら。斜面をものともせず。


 一見して巨大な卵にオールを付けたような楕円形。

 金属の輝きは雪の降り積もった山脈の渦中にありながらなお白く、つややかな装甲は日射しすら跳ね返していた。


 人間の主力兵器──《無音船ティファロッド》。


 左右に振れる尾翼が安定した推進力を生み、動力源の魔動石が浮力を生む。これら二つの作用で、この箱舟は空を飛ぶ。その名の通り、動作は全くの無音。雪上にゆらゆらと影を落とすのみだ。


 十四機の船が進む先は、白銀の世界。

 山脈の中で比較的平地の多い場所ではあるが、険しい岩肌がそこかしこに突き出している。人の足では歩くことさえままならない。

 そんな、生存さえ厳しい過酷な土地で、数少ない針葉樹たちがひっそりと春を待っていた。


 雪が降っている。

 静かだった。

 数分後、そこが戦場に変わるなど、誰も予想していなかったはずだ。


『前方、距離三十メートル』


 部隊の指揮を任されている男は警戒をうながした。一つの影が進路上に立ちふさがっている。

 発見がやや遅れた。

 雪が視界を塞いでいたせいだ。



「そこで止まれ」



 人影は言い放った。

 鉄の塊の群れに恐れの片鱗すら見せない。

 その堂々たる様子と、雷のように轟く声音。

 多勢なはずの《無音船ティファロッド》上の人間が逆に肌をあわ立たせる。


 人影はなおも言う。


「この山脈は我らが領地である。──もはや聞くまでもないが、万一のことも踏まえて尋ねよう。お前たちはここへ何をしに来た」


 部隊を率いる男が《無音船ティファロッド》の甲板に姿を現した。何の変哲もない、腰の刀剣を防寒着で隠した人間だった。


「我ら部隊はこの山脈の奪還、および貴様らの殲滅を仰せつかっている」

「奪還か」


 その影は低く笑った。


「お前たちがこの山脈を統治していたことが、歴史上一度でもあったか」

「本来この大陸北部の山脈は我々の統治下にある。不法に占領しているのがどちらであるか、我々は今すぐにでもわからせてやることができるのだぞッ」


 男が腕を左に真っすぐ差し出す。

 人影からは当然見えていないが、その方が都合がいい。

 それは攻撃準備の合図だった。


 《無音船ティファロッド》が一斉に楕円の頭部を開くと、金属によってはりつけにされた魔動石が露わになった。紫色に怪しく光っている。

 石から取れる高密度のエネルギーを熱線に変えて照射する兵装だ。木製家屋なら三軒をまとめて貫くほどの威力を有していた。


 甲板の男がふんと鼻を鳴らす。


「残念だが、貴様一人がいかに強かろうと相手にならん。この兵器は過去に数千の命を奪ってきた。命を落としたくなければ投降するがいい!」

「我らを一人・・と呼ぶか」


 投降の勧告には答えず、人影は雪煙の中から進み出た。




 その顔は──獣のそれであった。




 黄金色のたてがみ

 同じ色の瞳。

 人間の二倍はあろうかという肩幅。


 大柄なライオンの獣人だ。

 くつくつと笑んだ口元から獰猛な牙が覗き、笑い声に合わせて毛並みさえ揺れる。体に纏う防具は人間を否定するがごとき漆黒で。


 《無音船ティファロッド》に乗る人間たち全員が、ひっそりと息を呑んだ。


 音を立てた者から死んでいく。

 そんな暗黙の了解があるかのように。


 やがて──。



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