第36話 血塗れた紅
「僕は……彼女に……彼女を……どうか、姉さん」
言いかけたクラリスの口から、赤黒い血が漏れ、咳き込む。
先ほどの猛攻のせいか、彼は相当弱っているらしい。
「クラリス、もう話さないで。大丈夫、大丈夫だから……」
涙を流しながらそういい続ける彼女の傷も、決して浅いものではなかった。
「……つまらぬな、パリスレンドラーとて、所詮は利用価値のない捨て駒にすぎん」
そう吐き捨てた彼女にガクが言う。
「二人を物みたいに……」
「物? ……そういう言い方もあったか」
彼に気づいた彼女が冷たく言い放った。
反省のかけらもないその言葉に、ガクが何か言いたいことを噛み潰しているのが、あたしには分かった。
「あなたは、いったい誰? ガクと同じ種族なのに、仲間なのに、どうしてこんなことをするの? どうしてみんなを傷つけるの……?」
知らないうちに、そう言っていた。
「結衣菜!」
父の声だ、近づくなと言いたいのだろう。
「もうやめて、お願い」
自分の足が、震えているのがわかった。
「どんな理由があっても、命を粗末になんかしちゃいけない。人を傷つける理由になんかならないよ!」
あたしは彼女を見上げ、彼女の力に対する恐怖なのか、傷ついた人達への悲しさなのか、あたしの目から何か熱いものがポロポロと流れていくのがわかった。
「ユイナ……」
ガクの声が聞こえた、と同時に女性の声が響く。
「そんな綺麗ごと、私には関係ない。……私はミアー。不必要なもの。世界を壊すためだけに、ここまで来た」
彼女の琥珀色の瞳と目があう。 ぞっとするほど冷たいその瞳には怒りが宿っているのが容易にわかる。
この人は一体何に怒っているのだろうか。 人一人が世界を滅ぼす。そんなことを考える理由なんて……。
と、あたしの考えは攻撃によって妨げられた。
寸前のところで飛びのいたあたしに彼女の剣線が迫る。
あの大剣はどうなっているのだろうか、軽々とそれを操る彼女に、あたしはだんだんと追い詰められていった。
このままじゃやられる……。
あたしに向かって振りおろされた大剣を受け止めたのはティリスで、その剣は相当な重さなのか受け止めた彼女の腕が今にも耐えられずに弾かれてしまいそうに見えるほど震えていた。
「なかなかやるわね」
そう挑発的な言葉をミアーにかけたティリスはあたしに目配せをする。
――合図だ。
『いい? 私が合図をしたら、光の魔法を使って。一気に距離を詰めて、畳み掛けるのよ』
それが、今回の戦いであたし達が決めた唯一の作戦だった。
「エーフビィ・ビアーインドュルケンデ・リヒト!」
あたしの手のひらから光が迸る。
鈍い金属音。
ティリスがミアーの剣を振り払ったのだろう。
先ほどの光の魔法を発動させたと同時にミアーから距離をとったあたしは彼女を取り囲むように炎の壁を作り出す。 この瞬間に相手を囲み、一斉に攻撃を仕掛ける算段だった。 と、そのとき、信じられないことが起こった。
炎の壁の中から悠然とその姿をあらわす女性。
あたりまえのように炎を纏いながら歩くその姿に、あたし達はただ呆然としていた。
彼女がこちらに向かって歩いてくる。 と、同時にあたしの体にとてつもない重力の様なものがかかったのを感じた。
突然のことに炎の壁を持続させる力もなく、あたしは地に伏せた。 体が動かない。
どうやらガクも同じ魔法をかけられている様子が伺えた。
「ユイナに手を出すな!」
チッタが金色の毛をなびかせて彼女に突っ込んでいったのが見えた。 ダメ……この人には……。
案の定彼女の攻撃がチッタに浴びせられる。
それを庇って倒れたのは、父だった。
「お父さん!」
返事をしないその体に覆い被さられ呆然とするチッタに追って彼女の攻撃が降りかかる。 彼の体も地に伏した。
双子の御子達は立つ様な体力も残っていない様で、ただ呆然とその様子を見つめていた。 と、その時、動きがあった。
ティリスがミアーに斬りかかり、その剣を振り下ろしたのだ。 ティリスの剣を受けた大剣が暗い炎を宿す。
「宿魔法? ……あなた一体?」
ティリスの驚愕の声が遺跡の冷たい水晶に響き、反響する。
「……剣聖フィリス・バスティード」
「……何故母を?」
言葉を交わした彼女らは間合いを取り、お互いを見据えた。
「私が唯一尊敬する者だ。その娘と戦えるとは」
「そう。あなたも母の剣を……。ならば私は負けられない」
二人の間で何かが通じ合ったのだろうか、ミアーを見つめるティリスの目が、いつもよりも鋭くなった様に感じた。
「容赦はしない」
「……行きます」
剣先を振りかぶって勢いよく駆け出したティリスに、ミアーの大剣が降りかかる。 飛びのいた彼女がいた場所に大剣が突き刺さり、ティリスが一気に間合いを詰めた。
と、ミアーは床に突き刺さった大剣を引き抜きもせず、代わりに腰に携えていた長剣を引き抜いた。 抜刀と同時にティリスの剣が振り下ろされ、金属の音が響き渡る。
何度も鳴り響く金属音。
ミアーの剣筋よりティリスの方が早いとあたしは感じた。
見ると、双子は意識を失っているようで、チッタは目を覚ました様に見えたが、とても戦える様な傷ではないことは確かだった。 依然あたしとガクは身動きが取れない状態で、ティリスを援護することも、逃げることもできないのだった。 と、その時、ティリスがミアーの長剣を彼女の手から弾き飛ばした。
やった! ティリスが勝った!
「……終わりね」
武器を失ったミアーを、息が上がりながらもティリスがゆっくりと追い詰める。 その瞬間、ミアーがティリスに向かって駆け出し、ティリスが崩れ落ちた。
突然のことに何が起こったのか、あたしは一瞬判断がつかなかった。
立っていたのはミアー。
崩れ落ちたティリスの腹からは鮮血が流れ出ていた。
その時初めてあたしはティリスの腹に刺さった短剣を見留めたのだった。
「汚いわ……こんな……うっ」
何かを言おうとするティリスにミアーが答えた。
「これを卑怯というから甘いのだ。母親もそうだった。……生きるために、綺麗事は必要ない」
吐き捨てる様に言った彼女は先ほど飛ばされた長剣を拾い、後ろを振り返った。
そこには意外な人物が立っていた。
「もうこれ以上皆を傷つけるな」
琥珀色の瞳が、合った。
「お前に何ができるというのだ。私には勝てない」
絶対的と思われた言葉に、あたしは震えを隠せなかった。
「やってみないと分からないだろう」
星屑色に輝く髪色のその人は、片手に携えた剣を彼女に向けた。
琥珀色の瞳が、朱色を帯びた様に感じた。
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