第3章 均衡と世界
レイネル編
第30話 光と闇の天秤
昨日もう夜も遅いといったアーロンの一言で、竜の里に一泊したあたしたちは再び竜の背に乗って谷を出発し、北東のぺぺ砂漠へ向けてアグリア平原という場所を歩いていた。
人気があまりないせいか魔物の数が多く、少々皆疲労がたまっているようだったが、そこまで難しい旅ではなかった。
関係のないことだが、ここ最近、歩いている時にふと胸元のペンダントに手をやるのが癖だということに気がついた。
その竜の証は君の力を増幅させてくれる祖先からの贈り物、だから大事にしなさい、と言って祈りを込めてくれたアーロンの言葉が思い出される。
あたしの祖先か……いったいどんな人だったんだろ?
オリゾントの人たちのように翼が生えていたのかなぁ。
と、その時あれはなーにー? といったチッタの声が耳に入った。
彼の指差す方を見るとネコ型の魔物、キャーティアの群れが何かを取り囲んでいる様子だった。
何か、と思ったのは一瞬で、すぐにそれが女の人だということをあたしたちは認識した。
「助けましょう!」
そういったティリスに従い走り出したあたしたちだったが、何匹かのキャーティアが一斉に彼女に飛びかかる。
間に合わないと思った瞬間、飛びかかったキャーティア達の数匹が宙に舞った。
彼女の華奢な体からは想像もつかないほど力強い蹴りが炸裂したのだ。 幾つかの黒い煙が風に消えた。
「エーフビィ・メラフ!」
他のキャーティアに向かって火の魔法を放ったあたしに気づいた彼女は、魔物達が散った場所からこちらに向かってきた。 腕に怪我を負っている様子のその人に声をかけるガクが横目に見える。
魔物達の方は先ほどの魔法の後に飛び出したチッタとティリスによって大方片付けられたようで、とりあえずの事態は落ち着きを得ていた。
「あなた、クワィアンチャー族ね。テーラの服を着ているけれど」
ガクの顔を見るなりそういったその人に、あたしは驚く。 ガクも面食らった表情を見せたが、動かないで、と彼女に言うとその腕の傷を治した。
「ありがとう、助かったわ」
お礼を言ったその人は未だ落ち着く様子もなく、何かを探しているように見えた。 金色の髪に白い衣……瞳と同じ色のリボンをつけているその人はどことなく普通の人とは違う印象を与えていた。 透き通るように美しい緑色の瞳は、どこか見覚えがあるようにも思えた。
「一体何があったのかはわからないけれど、女性がこんなところを一人で歩くのは危険だわ。いくら腕が立つとは言っても……」
先ほどの彼女の身体能力のことを言っているのだろうか、ティリスが怪訝な顔をして言った。
「大丈夫よ。さっきはたまたま数が多かっただけで……」
そうは言ってもあまり大丈夫そうに見えない彼女に、あたしは言葉をかけた。
「お姉さんはどうしてこんなところに一人でいたの?」
「私は……双子の弟を探しているの」
弟?とガクが首を傾げた。
「はぐれたのか?」
「ええ、ちょうど半年ほど前になるかしら、ある日突然いなくなってしまったの」
「そんなに前から……なら他の街に辿り着いているかもしれないわね……あるいは……」
ティリスが不穏な言葉に気づき口をつぐむ。
「それはないわ、私が生きている限り、弟が死ぬことはない。私達は対を成すものなのだから」
意味ありげな言葉を紡ぐ彼女をガクが遮る。
「ちょっと待って。話が全然読めないんだけど……。まず、君の名前は? どうしてそんな話を俺らにしようと思うの? いくら助けたとはいえ信用できるとは限らないだろう」
当然と思われる彼の問いに彼女は大きなため息をついた。
「私はエリス。エリス・ベンチャー。クワィアンチャーの者なら言わなくてもわかるかと思ったけれど、とんだ思い違いだった。私が悪かったわ。あなたがいたから、ただそれだけよ。それ以上も以下もないわ」
なんだよそれ……と悪態をついたガクが居心地悪そうに視線を泳がせる。
「ねえねえ、その弟さんってなんていう名前なのー? ティリスは知り合い多いから知ってるかもしれないよ!」
そういったチッタにエリスは返した。
「弟の名は……クラリスよ」
『クラリス?』
聞き覚えのあるその名にあたし達は同時に反応した。
怪訝な顔をするエリスさんにチッタが何か言おうとしたがガクに口を塞がれる。
「この人の言ってるクラリスが俺たちの知ってるクラリスだったらどうするんだよ。俺の種族にも詳しいみたいだし……」
小声でそういったガクはエリスさんに多少の不信感を抱いているようで、しかしそれには反して彼女はとても必死な表情を見せていた。
「お願い、何か知っているなら教えてちょうだい。大事な弟なの。それに……」
彼女が口をつぐんだことにチッタがそれに? と先を促す。
「私と弟が離れたままだと、この世界が壊れてしまうわ」
いかにも真剣そうにそう言った彼女に、首を傾げたティリスが声をかけた。
「まずは落ち着いてくださいエリスさん。先ほどガクが言ったように私たちにはなんの話なのかさっぱり……最初から順序立てて説明してくれませんか?」
「そうね、ごめんなさい。説明するわ」
彼女の長い髪が、平原の風に揺れた。
その後、あたし達はまず魔物が襲ってこられないように結界を張り、それぞれの簡単な自己紹介を終えたあと、エリスさんの話を聞いていた。
要約すると、こういうことらしい。
エリスさんは、この世界のバランスを取るために、必ず双子か三つ子として生まれてくるパリスレンドラー、という特殊な種族であるということ。
彼らはこの世界の理に精通していて、共に生まれてきたその種族の者はそれぞれ光や闇、炎や水といった属性を司っており、彼らが絶えず一緒にいなければ世界のバランスが崩れてしまうらしいのだが、今まさにエリスとクラリスは離れ離れになっている状況なのだという。
ガクはその話をするのを嫌がったが、背丈や風貌、能力の特徴からおそらくあたし達が出会ったクラリスと彼女の弟は同一人物だろうという結論に至った。 それにしては彼女の語る”優しい弟”像とあたし達が知っているクラリスの”恐ろしい魔導師”像が全く一致していないのが不可解だった。
光の御子であるエリスと、闇の御子であるクラリス、対になる二人を分かつ闇は一体何なのだろうか。
そういうわけで彼女は一刻も早く弟を見つけなければならないのだそうだ。
「そう、そして私はあなたも探していたの」
そう言ってエリスがガクを見つめた。
「俺を? どうして? ここまでの話だと君らの種族と俺は全く関係ないように聞こえるけど」
関係がないと言ってくれとばかりに突き放す彼からエリスは目をそらさなかった。
「どうしてそこまでして自分の種族のことを否定するの? あなたはクワィアンチャー族。私たちパリスレンドラー族と協力関係を為すものよ。あなたもこの世界の理の中で、重要な位置を担っている。たとえシェーンルグドが滅びてたった一人になっても、あなたは世界を救うために行動しなければならないのよ」
その言葉を向けられたガクがいい加減にしてくれ、と小さく言ったのが聞こえた。
「シェーンルグドがなんだ。クワィアンチャーがなんだ。俺は俺の故郷のことも、種族のことも、両親のことすら何も知らない。確かに俺のこの髪は銀色だ、星屑の色だよ。でもそのせいで今まで虐げられてきた。助けを求めても手を差し伸べてくれる人なんて誰もいなかった。なのに突然、お前の種族はこうだ、世界を救えだなんて虫のいい話だと思わないか。いい加減にしてくれ! 俺は関係ない、何も知りたくないんだ!」
淡々と話していた彼の口調は段々と熱を帯び、終いに発したいつもの彼とは全く違う怒声で、皆が静まりかえる。
ここまで彼は自分の種族について思いつめていたのだろうか。 あたしはこれまでの彼に対しての軽率な発言を反省した。
「ごめん。悪いけど今は考えられない」
言い過ぎたと思ったのか、それだけ言うと彼はスイフトの方へと歩いて去り、チッタが心配そうに追いかけて行った。
「ごめんなさい。いつもはあんなこと言う人じゃないのだけれど……」
ティリスが申し訳なさげに目を伏せた。
「あなたが謝る必要はないし、仕様のないことよ。きっと私でもああなるわ。話を聞いてくれるまで待つことにしましょう」
重々しい空気の居心地の悪さが、段々と増しているように感じた。
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