ボクと魔女の宇宙戦争
シャル青井
第1話 魔女の席
閑静な住宅街の隅にあるうらぶれた喫茶店の奥の席に、その、現代の魔女は座っている。
そんな話を聞きつけて、貴島エイジは夏休み真っ盛りのある日、こうして勇気を奮い立たせ、噂の店である『喫茶こかげ』までやってきたのである。
魔女の居る喫茶店。
その風評に違わず、店はなんとも近づきがたい雰囲気を放っている。
小綺麗ではあるのだがどこか全体的に古ぼけた佇まいは、まるで街から意図的に忘れられたかのようですらある。
繁華街ではなく閑静な住宅街の片隅という立地もそれを顕著にしている。
誰もこの店に目を向けないし、この店に関わればその人物も同じように忘れられてしまう。
そういったオーラを纏っている。
だが、事態は深刻なのだ。なにしろ地球人類史上初の宇宙戦争である。こんなところで立ち止まっているわけにもいかない。もし自分が忘れられたとしても、今の事態を食い止められるならそれでいい。藁にもすがるとはまさにこのことだ。
ドアノブを握る手に汗が滲むのは、なにも夏の暑さのせいだけではあるまい。
それでもエイジは勇気を振り絞り、ゆっくりとその扉を開いた。
「いらっしゃい」
「ああ、いいのいいの、その子、多分アタシの客だよ」
微かなコーヒーの匂いの向こう、カウンターのマスターと思しき人物がそう声をかけてきたが、それに被せるように店の奥から別の声がした。
それなりに涼しげで明るく保たれている店内にあって、その一角だけがまるで空気が澱んでいるかのように薄暗い。
そこに魔女はいた。
「ほら、突っ立ってないでこっちに来なよ。話があるんでしょ?」
声の主である女性は、エイジの戸惑いなど気にかけることもなく、気さくな感じでそう呼びかけてくる。
雪よりは灰に近い白く長くぼさぼさな髪に、不敵な笑みの張り付いた顔。その中でもひときわ印象的な、未来さえも貫いているかのようなような切れ長の瞳。
服装は日常生活に全く向かないであろう紫色の古めかしい飾り気のないロングドレスなのだが、目の前にはそれに不釣り合いなタブレットと二台のノートパソコン。
チグハグでメチャクチャだ。
だがそんなとっ散らかった印象でありながら、エイジがその姿に最初に抱いた感想は『美人だ』というただ一言であった。
ひと目でわかった。彼女こそが魔女だ。
「あの……」
「ああ、話はわかってるって。あの宇宙戦争のことだよね? ま、とりあえずこっちに来て座りなよ」
エイジの言葉を聞くこともなく、魔女はそう切り出した。
宇宙戦争。
四日前、地球人類はその歴史上で初めて、異星人からの宣戦布告を受けた。
『地球標準時201X年8月1日0時0分、今から二十四時間後、我々は、この地球と呼称する星とそこに支配的君臨をしている人類種に対し、戦争を仕掛ける事を宣言する』
そんな一方的な文言が、世界中のありとあらゆる拡張現実空間、いわゆるAR(オーグメンテッド・リアリティ)上に一斉に表示されたのである。
目的も不明、意図も不明。
そしてなにより最初はそれ以外にはなんの異常もないという事態の推移。
悪趣味かつ悪質な悪戯、あるいはテロの予告かと思われ、その捜査は各国とも警察の範疇で動いていた。
たが、すぐに『彼ら』の意志は明らかになった。
二十四時間後、彼らはあの宣戦布告と同じように、世界中のAR空間にその姿を表したのである。
黒い人型をしたヘドロの塊全体を、無数の付箋で覆い尽くしたような異形の怪物。
それが宇宙人の姿だった。
その怪物がスマートフォンやタブレットの画面の中に映り込み、そこにある情報を侵食し、破壊していく。
色分けゲームの拠点は赤でも緑でもないどす黒い彼らの皮膚と同じ黒紫に染め上げられ、AR上に漂っていた動物たちは無惨に虐殺され、情報を記したタグは引き裂かれ破り捨てられた。
地球人類が拡張してきたARの世界は、またたく間に彼らによって蹂躙されたのである。
「で、貴島エイジくんはこうしてアタシに会いに来たってことは、アイツらと戦争をしに来たってことだよね?」
戦争、という言葉の持つ質感に、エイジはただ息を呑むことしか出来なかった。
地球人類史初の宇宙戦争と言われてはいるが、現状、この戦いは戦争の体をなしていない。
AR上を闊歩する敵に対し地球人類はまだ対抗する術を持ち得ていなかったし、逆に、その拡張現実空間以外には、被害らしい被害も出ていなかったのである。
確かに、拡張現実空間が占領されたことで、様々な面において不便にはなった。
だが、地球人類はまだそこまでARという技術を使いこなしていなかったのもまた事実だ。
そのため、時計の針をせいぜい一~三年戻す程度で、彼らの生活はその水準を維持することができたのである。
それ故に、この侵略者に対する態度も大きく割れた。
早急性が薄さからAR空間を地球人の手に取り戻そうとする人々は少数派にとどまり、現状はあくまで状況を見つつ対応していくという先送り的な意見が主流となっていた。
ましてやAR後進国にとってはほとんど実害のない話である。無理に手を出そうとは思うまい。
それにたかだか三日程度では国家間の足並みも揃うはずもなく、現在の現実世界は、とても異星人と戦争状態にあるとは言い難い有様であった。
エイジには、それが耐えられなかったのだ。
そしてこの魔女は、そんなエイジの心境を完全に見透かしているようだった。
「どうしてそれを。それに、なんで俺の名前まで……」
「まあ君は有名人だからね。なんだっけ、先日のあの新作バトルロイヤル系のFPS大会あったじゃん。あれで中学二年生ながらベスト8に食い込んだ期待の新星。そんな子が地元にいたら、情報なんてどこからでも入ってくるって」
そんな魔女の言葉に、エイジは静かに、だが鋭く不服の視線を向ける。
しかしそれはからかわれたことに対してではなく、もっと彼自身のプライドの根底に関わることが理由だ。
「たかがベスト8です。優勝も出来なかったし、上位陣との差は大きかった。褒められるようなことはなにもないですよ」
「ふーん、君の中ではそういう認識な感じなのか。なるほど、いや若いねー。でも君自身の自己評価ほど、世間は君を放っておいてはくれないと思うよ。まあ、この話は今はいいや。それより、あのクソ宇宙人との戦争の話をしようじゃないの。そのために来たんでしょ?」
宇宙人と戦争、その言葉に、エイジの顔が改めて真剣になる。
「あなたになにができるのはわからない、それでも、俺が頼れる最後の手段はここしかなかったんです、えーと、魔女さん……?」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。アタシはシャドウマリー。人呼んで『真眼の魔女』ってところかな」
思いもよらない答えにエイジが戸惑っていると、助け舟を出したのはマスターだった。
「影山マリカだからシャドウマリーって、それはちょっと安直すぎるでしょマリカちゃん」
「マスターおいコラ、いきなり本名ばらすなって。アタシも魔女らしく色々キャラ作りしてるんだからさーまったく。まあいいや、マリーでいいよ。あ、カは付けんなよ。なんだよマリカって、マリオカートかよ....」
ぼやく魔女にエイジはどう反応していいかわからなかったが、流石に魔女もそれに気づき、機嫌を取るかのような提案をしてきた。
「まあいいや、それで、まずはなんか注文するかい? アタシの奢りだよ」
「えっ、いいんですか……?」
エイジの純粋な反応に、魔女はにやりと口元を歪めてみせる。
「こう見えてアタシは大金持ちだからね。どれくらいって、この店だって買えるくらいにさ。メニュー上から下まで全部って意味じゃないぞ、この店まるごとだ」
「売らないよ」
「いらないよ。だいたい経営なんてアタシのガラじゃない。店まるごと買えるほど金があるってだけの話だよ。どうせ地価も安いでしょ、ここ。そんなことより注文取りなよ、お客さんがモノ頼むんだよ」
魔女とマスターのやり取りを横目に、エイジはメニューを眺めている。
なにしろこういった喫茶店に入ること自体初めてなのである、まったく勝手がわからず、何を注文していいのかさえわからない。しかも目の前にいるのは言動はおかしいが見た目は麗しき『魔女』、年上の女性である。
頭が真っ白になりそうなところで、彼はようやく注文を口に出した。
「えっと、じゃあコーヒーを……」
「あいよ、コーヒーね。アイスでいいかい?」
「あっ、はい」
マスターは相変わらずの表情でそれを受けたが、目の前の魔女はいかにもわざとらしく苦笑いを浮かべて見せている。
「あーあ、やっちゃったね、エイジくん。ここのマスターさ、コーヒー入れるのだけはクッソ下手なんだよね。料理はどれも美味いのにさ。まあだから、ゲロマズコーヒーが来ても見て見ぬ振りをしてやってあげなよ」
「聞こえてるよ」
「じゃあちょっとはマシなコーヒー淹れあげてよ」
魔女はそう言ってマスターを冷やかして笑っているが、エイジはコーヒーを無理に注文したことを見透かされたかのようであった。
おそらくエイジがろくにコーヒーを飲んだことがないのを見抜いて味について言及したのだろう。
なにもかも、この魔女の手のひらの上ということだ。
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