やまざくら

秋風遥

第1話

 ―――――その桜は、常に彼のかたわららにあった――――――――――



 緑深い山の中、他の木から離れてただ独り佇む大木。

 毎年春がめぐたび、赤みを帯びた茶色の葉を従え、可憐な花を広げる。




 地方の武士の子であった彼は、山に入ると、いつもその木のそばで遊んでいた。

 長じては、武芸の修行や学問にはげんだ。

 疲れると、木にもたれて休息した。




 やがて元服した彼は都の貴人に仕えることとなった。

 故郷を発つ前の日、彼は馴染なじみの桜の元を訪れた。


 春の日差しに照らされて、雪のような花はまぶしいほどの輝き。

 微かな芳香を含んだ風がさらさらとこずえを鳴らす。


 別れを惜しむように彼は木にもたれ、慣れ親しんだ故郷の山を眺めて過ごした。




 その後長い間、武士の子が姿を現す事は無かった。




 都に住む彼は、多忙な日々を送り、いつしか故郷の山のことを忘れていった。


 道を急ぐ若き武士の目の前に、ひらりと舞い落ちるのは、ひとひらの白い花びら。




 —――あぁ、また春が来たのか―――




 ただ桜の花の季節には、舞い散る花びらを眺めつつ、かの大木に思いをせるのであった。




 長い月日が過ぎた後。


 傷つき疲れ果てた姿で、彼は故郷の山に姿を隠す。

 そこには、あの山桜の木が満開の花をつけ、変わらぬ姿で立っていた。

 その根本に腰を下ろし、壮年そうねんの武士は一時の休息を得た。


 都は戦火に包まれ、武士は一人故郷に逃れた。

 既に仕えるべき主も家族も無く、だたこの桜の木のみが彼に残されたものであった。


 一陣いちじんの風が、こずえを揺らす。 


 舞い散る花弁はなびらが、彼の眠りを見守っていた――――――




 目を開けた武士が、ゆっくりと身を起こすと、たくさんの白い花びらが流れ落ちる。

 すっかり花に埋もれていたようだ。不思議と全身の傷も癒えていた。

 見上げると、花弁はなびらを全て落とし、葉桜となった木がさらさらと風に吹かれて立っていた。


 彼を追っていたはずの敵が現れることはなかった。




 緑の木々に囲まれた小さな山寺。

 朗々たる読経の声が流れて来る。

 経を読み上げるのは、遠い昔、この山で遊んだ武士の子。


 この日はかつて、戦乱の最中多くの人々が命を落とした日。

 かの武士が故郷へと帰還した日であった。

 毎年のこの日になると、彼は亡くなった人々のために経をあげるのだ。


 住職となったかつての武士は、経を読み終えると、庭に目を向ける。

 美しく渦を巻く白い砂の上に、花びらがひらひらと舞い込む。


 住職は寺の外に歩み出て、大きな山桜の元へとたどり着いた。

 彼の長年の友である、その木は満開の花で埋もれていた。

 重たげに枝を揺らし、ふわふわした白い雲のように桜は輝く。


 花を見上げて微笑む彼は、


「今年ははやく散るのではないぞ」


 優しく語りかけるのであった。

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やまざくら 秋風遥 @aki_haru

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