一章 3-2

    *     *     *



 彩葉の後もお化けは何体か出たが、ホラー映画の殺人鬼の仮面を被っておもちゃの斧を振り回す者や、やたら素早いゾンビ、どこかで見たような吸血鬼など、肝試しというよりは仮装大会のようだった。インパクトがあったのはなまはげ、一番それらしかったのは彩葉の扮装だ。

 譲はボール紙を八つに切って、太いマジックで「お札」と書かれただけの札で顔を仰いだ。頂上の広場で暇そうに待っていた担任の織田とクラス委員の常陸から、これを持って東口へ下りろと渡されたのだ。

「手抜き過ぎじゃねえか?」

 笑いながら雪が譲の手元を覗き込む。

「まあ、所詮クラスのイベントだし」

「だからって、これはどうなんだ。これこそ演劇部の小道具借りればいいじゃん」

「さすがに演劇部もお札は持ってないんじゃ?」

 東口への遊歩道は上ってきた道よりも狭いので、数歩先を行く壱矢が肩越しに振り返って言う。

「いいじゃない、変に凝ってたり、本物だったりするより」

「そうだけどさ。それにしたって、もう少し怖そうに演出……っ」

 不意に左足が引っかかり、バランスを崩した譲は咄嗟に地面に両手をついた。石段を転がり落ちることだけはなんとか防ぐ。隣を歩いていた雪が驚いたように足を止めた。

「佐瀬? 大丈夫か?」

 壱矢も気付いたらしく、立ち止まって身体ごと振り返る。

「どうしたの?」

「痛って……危ね」

 両手を払い、譲は悪態をつきつつ立ち上がる。見れば、石段の間から木の根が飛び出していた。これに引っかかったらしいと顔を顰める。壱矢が懐中電灯を持ち替えて片手を差し出した。

「歩けそう? 負ぶっていこうか」

 本気とも冗談ともつかないことを言い出す壱矢へ、譲は強く首を左右に振った。

「平気だ。歩ける」

「無理しちゃ駄目だよ」

 頷きながら壱矢の手を借りて立ち上がり、譲は服に付いた土を払った。左足をついてみて、痛まないのを確かめて歩き出す。

 石段を歩き出しながら壱矢が大袈裟にぼやいた。

「んもー、これだから肝試しは嫌だ。ただでさえ足場の悪いところに暗くなってから来ることないじゃんね」

「佐瀬が転んで怪我したって先生に言えば、少なくとも向こう一年は肝試し却下されんじゃないの?」

 笑い混じりで言う雪に、譲は首を左右に振る。

「やめてくれ、クラスの連中に恨まれたくない。転んだのは俺の不注意だし」

「恨むまではいかないっしょ。この先、クラスの行事で肝試しやる機会なんてないだろうしさ」

「たしかに肝試しよりは焼き肉とか芋煮とかの方がいいね。お腹減った」

 雪に同意する壱矢の言葉で、そういえば夕食がまだだったと思い出した途端に空腹を覚え、譲は肩を落とした。

「言うなよ、せっかく腹減ってんの忘れてたのに」

「肝試しの嫌な思い出に一つ追加だ。もう参加しない」

「腹減った。肉食いたい」

 それぞれ勝手なことを言いながら三人は石段を下った。出口の街灯の下には、先発組が集まって好き勝手に喋っている。

 名簿を持った月子が近付いて、チェックを入れた。

「鷹谷、佐瀬、神倉の三人帰還、と」

 月子は入り口にいたはずだがと、三人は顔を見合わせた。壱矢が問う。

「月ちゃん早いね。瞬間移動?」

「そんなわけないでしょ。最終組送り出してから外側回ってきたのよ。―――あと一組で終わりね。もう少しだから待ってて」

 言い置いて月子は離れていった。クラス委員も大変だとそれを見送りつつ、譲は時間を見ようとしてポケットを探り、スマートフォンがないことに気付いた。

「あれ」

 裏山を見上げていた雪が振り返る。

「どうした?」

「スマホがない。さっき転んだとき落としたかな」

 肝試しが始まる前は確かにあった。途中で写真を撮ったが、下り道に入ってからは出していないので、可能性があるのはそれくらいだ。

「鳴らそうか?」

「いや、いい。ちょっと見て来る」

 壱矢に返して、譲は今し方出てきた遊歩道へ戻った。地面を注視しながら石段を登っていくと、思った通り張り出した木の根の傍に見覚えのあるスマートフォンが落ちている。失くしたのでなくて良かったと右手を伸ばし、突然真横から伸びてきた手に手首を掴まれて譲は凍り付いた。

「……な」

 己の手首を掴んでいる手指は異様に白く、腕の角度からして立っている人間のものではあり得ない。寝そべっているか、地面の下にいるかだと考えてしまい、ぞわりと全身が総毛立つ。

(なんで、こんなときに……)

 譲は祈るような気持ちで強く目を閉じ、開いた。それでも幻は消えてくれない。これは幻覚なのだ、本当は何もないのだから腕は動くと己に言い聞かせ、譲は無理矢理手を引き抜こうとするが、掴む力が増すばかりで一向に外れない。

 石段の上の方から後続とおぼしき声が聞こえてきた。このままでは変に思われる、早く戻らなければと気ばかり焦る。放せ、と叫びそうになるのを堪え、動く方の手を衝動的に振り上げる。

「力抜いて」

 思いの外近くで聞こえた声に息を飲んで顔を上げると、傍らに膝をついた雪が険しい顔で譲の手を見下ろしていた。そして、口の中でぶつぶつと呟き始める。

「―――…」

 呟きが止まり、雪は譲の手首を掴んでいる手の上で強く両手を打ち合わせた。空気を切り裂くような乾いた音が響き、瞬間、手は宙に溶けるように消える。

「消えた……?」

 思わず口に出してしまい、譲は思わず口元を押さえた。そして、右腕が動くようになっていることに気付いて雪を見る。

 雪は目を伏せたまま低く呟いた。

「この間……嘘ついてごめん」

「……え?」

 なんのことだと問い返す前に、追いかけて来たらしい壱矢が首をかしげた。

「スマホあった? 何やってんの、せっちゃん」

「でかい虫がいた。―――佐瀬、やっぱり足挫くじいてたみたいだ」

「うん?」

 ぶつけた場所はおそらく痣になるだろうが、足を挫いたとは一言も言っていない。不思議に思って雪を見ると、彼は話を合わせろと全身から無言の圧力を発していた。察知してしまった譲は、曖昧に頷く。

「ああ……うん……」

 頷き返し、雪は続けた。

「うち近いから寄って手当してけよ。もう病院閉まってるだろ」

「……わかった。頼む」

 雪の強引な物言いに戸惑いながらも、譲はもう一度頷く。壱矢は雪の言葉を疑う様子もなく、譲のスマートフォンを拾い上げた。

「なんだ。無理しないでって言ったのに。はい」

「ありがと」

 差し出されたスマートフォンを受け取り、譲は立ち上がる。

「さ、戻ろ。負ぶっていこうか?」

「いいってば。歩けるから」

 笑い混じりでさっきと同じことを問う壱矢へ、譲は片手を振った。六番目のグループが降りてきたので、三人もぞろぞろと石段を戻る。

 譲はそっと振り返ってみたが、妙な物が見えることはなかった。

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