勇者が僕を異世界に召喚した理由
上総
1章 召喚(1)
父親は人を殺して刑務所から出て来ない。
母親は世間の重圧に耐えながら生きてきたが、子供が高校に入学したのを見届けてから、遺書を残して自殺した。
――あなたはもう一人前だから、一人で生きていけるでしょう。
――私は先に行っています。
こうして唯一味方だと思っていた肉親もいなくなった。
味方といっても中学を卒業するまで育てるという義務を果たしてくれただけで、人殺しの血を引く子供のことを、たまに異分子を見るような目で見ていた。
きっと父と結婚したことも、その血を引く子供を産んだことも、後悔していたのだろう。
父が罪を犯して以降、親子は母親の旧姓を名乗り、各地を転々とした。何度引っ越して転校しても、家の事情を誰にも話さなくても、過去のことを嗅ぎつけた者が出てきた。
人殺しの子供扱いされ、人間扱いされることがない日々が続いた。父の罪が露見すると、新しい地で親しくなった人も手のひらを返してきた。
人の情も善性も未来も信じられなくなった。もう、すべてがどうでもよくなった。
母が自殺したことが契機となった。きっとこの世界のどこにも人殺しの血を引く人間の居場所などなくて、生きていても事態が改善することなどないのだろう。
生徒が登校して来る前の早朝。入学して一ヶ月ほど経った高校の屋上の柵の外に出て、少年は躊躇せずに屋上の縁を蹴った。
落下のスピードが出る直前、視界を白い光が焼いた。浮遊感とは別の、なにかに引き寄せられるような感覚。光に包まれて、息を呑んだ。
こうして死とは別の形で、一人の少年がこれまで生まれ育った世界から、消えた。
気づいたときには知らない場所にいた。校庭に叩きつけられることはなく、手足の骨も折れていない状態で、地面にへたり込んでいた。
光が薄れて周囲の様子が鮮明になっていく。これまで住んでいた街とは明らかに違う、広々とした草原が視界に広がっていた。遠くには森が見える。人工的な建物や山は見えない。
「――ここは」
そして目の前に、少年が立っていた。
「君は……」
少年は同年代か少し年上だろうか。陽の光に透ける白金の髪。襟足を伸ばしていて、一つに結った髪が風になびく。顔立ちは西洋的で、身にまとう服も中世の旅装束か、はたまたRPGの登場人物のような格好に見える。腰に剣を下げているのが、そうした印象に拍車をかけた。
水色の瞳がこの場に出現した人物を捉え、彼は満面の笑みを浮かべた。
「やった、成功した!」
「あ、あの」
「ああ、俺はラズ。別の世界からこの地にお前を召喚した」
召喚。現代日本ではフィクションの中くらいでしか聞かない単語が、ごく普通に飛び出してきた。
「召喚って……君は魔法使いかなにかか?」
「いわゆる魔術師じゃねえけど、魔術ならいくつか使えるぞ」
「それで、なぜ僕を?」
召喚と聞いて連想するのは、戦いの手助けになる魔物や精霊などを呼び出して使役することだ。残念ながらこれまでただの高校生だった身では、炎や氷を操ったり怪我を回復させたりなどという芸当はできない。
なにかの間違いなのではないか。あるいはいまの状況は、死に際に見ている夢や幻なのだろうか。
しかし周辺に広がる自然豊かな光景も、目の前にいるラズと名乗った少年も、確かにそこに存在していた。
「お前にやってもらいたいことがあるんだ」
「僕にできることなんて……」
「俺と一緒に世界を旅して、この世界で起きている異変をどうにかする手助けをしてくれ。お前ならそれができる」
断言されてしまった。
「待って、そんないきなり――」
「いきなりじゃねえ。お前をずっと探していたんだよ」
身を屈め、ラズは手を差し出してきた。
「お前の力が必要なんだ。一緒に来てくれ」
父親の罪が発覚してから、そんな風に誰かに言われたことなんて、一度もなかった。
その手をじっと見つめ、戸惑いながらも自分の手を伸ばした。手をつかむと、ラズは満足そうに目を細めた。
「お前の名前は?」
「……
「カタミネセツナ?」
「セツナでいい」
「わかった、セツナだな」
父親がつけたこの名前が、あまり好きではなかった。父親の件がなくても、女の子のような響きだとからかわれたことがあった。だけどラズが呼ぶと、別の響きを持つかのように思えた。
手を差し伸べられ、笑顔で名前を呼ばれたことが、じわじわと心に沁み込んでいった。
自分になにができるのかわからないけれど、やってもらいたいことがあるというのなら、期待に応えたかった。ラズの言葉を信じてみたいと思った。
誰かに必要とされたことは、なかったのだから。
それに抜けるような青空の下で出会った少年は、言葉も表情もきらきらと光り輝いているかのように見えた。
助け起こされるような形で、手を引かれた。それと同時にセツナの足元に一瞬魔法陣が広がって、光に照らされる。握られた手から感電したかのような痺れが走った。
セツナの鼓動が跳ねた。
心の中に扉があり、これまで一度も開けたことがなかった鍵穴に鍵を差し込まれたような感覚。
心、精神――あるいは魂に、だろうか。
奥底にある自分でも見たことがなかったものが、わずかに滲み出てきたかのように思えた。その全容はわからない。即座に理解することなどできはしない。
それでも、扉は開いた。鍵は消えてしまい、閉ざされていた状態には戻らない。
一瞬、知らない光景が見えた気がした。
いま目の前にいる少年が、同じように笑って手を差し出してくる。
それを躊躇いがちにつかんだ。
周囲は薄暗く、血の匂いが漂う中で、光が差したかのように思えた。
はっと我に返った。白昼夢のような光景は、もうない。内容すら、起きたら夢の内容を忘れるように、薄れていく。
立って並んだ状態だと、少し上に位置するラズの瞳が目に入った。セツナはつかまれたままだった手を、振り払うように引っ込める。
「……いま、なにかした?」
「お前の力を引き出した」
さらりと告げられた言葉に瞠目する。
確かに戦う力も特殊能力も持っていなかった普通の高校生では、世界の異変をどうにかするなんてできないわけだが。
「力ってどんな……」
「やってみりゃわかる。実践あるのみ、習うより慣れろだ」
「そんな無茶苦茶な」
ひとまずラズが詳細な説明をしてくれないタイプということは、短い会話の中から察してしまった。
「じゃあ、行くか。近場だからこれでいいよな」
ラズが手をかざした先で魔法陣が描き出され、馬よりも一回り大きいサイズの竜が出現した。背中には鞍がつけられていて、手綱もついている。
「竜……」
「はじめて乗るにはきついかもしれんが、まあなんとかなるだろ。竜騎士が乗り回してるようなのに比べたら、騎獣の中でも大人しいほうだ」
ラズが竜の顔を撫でると、竜は主に慣れているのか顔を摺り寄せた。
鼓動が脈打つ。不安よりも期待によって。
ファンタジーの小説や映画、これまでにプレイした数少ないRPGで見聞きしたような剣と魔法の世界が、目の前に広がっている。わくわくしないはずがない。こんな状況はあり得ないと否定するよりも、現状を楽しみたかった。
先に竜の背に乗ったラズが、手を差し出してくる。セツナがその手をつかむと、強い力で引っ張り上げられた。
竜はすごい速さで草原を駆けて行き、やがて街道に入り、その先を目指した。近場といってもこの竜の速さで走るから短時間で済むというだけで、結構な距離を走っているように思える。
乗り心地は鞍があって後ろからラズが支えてくれているから思ったよりも悪くないが、それでもバイクや自転車とは違って上下に揺さぶられ、速さによる風が吹きつけてくるのがきつかった。
「……飛んでいくのかと思った」
竜に揺られながら、セツナはぽつりとつぶやく。竜の背中に生えている翼は畳まれたままだ。
「そのほうがよかったか? この距離なら走りで十分だと思ったけど、俺も最近飛んでないし、次移動するときはそうしようか」
セツナの素人考えを否定せずに、ラズは楽しそうにそう提案した。
「大陸を移動するときは飛んでくか。結構長時間――下手すりゃ何日かかかるだろうけど。海に落ちたら大変だな」
「……落ちる危険があるなら船でお願いします」
その言い方では、かなりの長い距離を移動するのは大変そうだった。竜に乗るのに慣れているラズならともかく、セツナがその移動方法についていける自信はなかった。
竜に乗って向かった街は、黒い霧に覆われているかのように見えた。
まだ日中だったはずなのに、街の中は薄暗い。この世界に召喚されたときに出現した草原では、頭上に青空が広がっていたはずなのに、空には暗雲が広がっている。
「これは……」
「闇の被害が色濃い街はこうなるんだ」
「闇……」
「魔王の残滓、って言えばいいか?」
「魔王って――」
この世界は現在魔王による被害を受けているのか、と危惧して反復した言葉だったが、ラズの返答は予想とは違うものだった。
「かつていたんだよ。世界を闇で覆い、滅ぼそうとした存在が」
ごく普通のことを説明しているような言い方だったが、ラズはどこか遠くを見るような瞳をしていた。
街を進んで行き、中心部にある立派な屋敷にラズは入っていった。セツナもそれに続く。
「おお、来てくれたか、ラズ殿」
応接室で出迎えてくれた困窮した様子の壮年の男は、この街の領主だと名乗った。彼はラズの後ろにいるセツナをまじまじと見ると、訝し気な顔になった。
「そこの少年は従者かね?」
「いや。この事態をどうにかできる力を持った、れっきとした協力者だ」
「それはそれは、すまなかったな。闇の処理に赴くには軽装――というか見慣れぬ異国の服のようだから、荷物持ちかなにかかと」
領主の言葉で、高校の制服であるブレザー姿のままではこの世界に馴染みそうにないことに思い至った。それにしたって、従者や荷物持ちと思われるとは。どう見ても屈強な戦士には見えないだろうけれど。
「装備が整っていないのなら、我が屋敷にある鎧でよければ――」
「結構だ。それより闇の発生源について、詳しい話を聞かせて欲しい」
「ふむ。では説明しよう」
領主と同じ部屋に控えていた使用人の説明によると、数日前から街の一角が闇に蝕まれているという。
闇が色濃い場所は人間が足を踏み入れても二次被害を起こす可能性が高く、闇が晴れない限り救出には行けない。
闇は人間の身体と心に悪影響を及ぼす。診療所は満杯で、入院する金がない者が街にあふれている。仮設の休養所を各所に設置しているが、怪我や病気の治療法を知っていても、闇は取り除けない。
大元の闇を祓うしか、対処法は存在しなかった。
「それだけ聞いたら十分だ。行くぞ、セツナ」
「あ、ああ」
「待たれよ。ラズ殿、せっかくだから我が屋敷に伝わる武器を持っていきなされ」
「俺には剣があるし、闇を祓うのにこの屋敷の武器は必要ねえよ」
新しい武器防具を入手できる提案をことごとく蹴って、ラズは領主の屋敷をあとにした。
「武器、もらわなくてよかったのか?」
「あれは俺に使わせて武器に箔をつけたかったんだろ。くれるんじゃなく一度使わせて、その後で他の貴族連中に街に広がる闇を祓ったすごい武器だって自慢するために」
「そうなんだ……」
現実はゲームの新装備入手イベントのようにはいかないらしい。世知辛い世の中だ。
「街が大変なときなのにそんな提案をするなんて、余裕があるんだね」
「俺が来たからには解決するだろ」
現状にそぐわない提案をする領主の言葉以上に驚いた。あまりにも自信満々な発言を聞いてしまった。
「あ、でも、今回から解決するのは俺じゃねえか」
そう言い、ラズはセツナのほうを見てにやりと笑った。
闇が広がっている地域、平民の家々が建ち並ぶ辺りへと二人は進んで行った。
比較すると領主の屋敷近辺はたいした被害ではなかったのがよくわかる。進むほどに闇は濃くなっていき、広場に闇が濃い場所から避難してきた者たちが集まっていて、道行く人々の顔は暗かった。
「この街も、かつて魔王に滅ぼされた地のように闇に侵食されてしまうのか」
「人が住めない地になってしまったら、我らはどこへ行けば……」
簡素な服を着た者たちが、寄り集まって嘆きの声を上げていた。
テントが張られ、そこに入って行く顔色が悪い人もいる。闇の影響を受けた人が休む場所だろうか。
広場から駆けてきた子供が、ラズの前で立ち止まった。
「お兄ちゃん、領主様が呼んだ闇を祓ってくれる人?」
「おう」
「友達があっちに取り残されてるの。お願い、助けて!」
闇が濃いほうを指さして、子供は涙目で訴えた。
助ける。誰かを救う。そんなことが自分にできるのだろうか。ずっと集団から弾き出されてきた、世間から異分子扱いされてきた人間に。
しかしセツナの迷いを断ち切るかのように、ラズは子供に笑いかけた。
「任せとけ。なあ」
ラズに話を振られ、セツナも思わず頷いていた。
「う、うん」
なにができるかなんでわからないけれど、この子の願いを無碍にしたくはなかった。
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