頬袋探偵スクワーロウ

橋本ちかげ

さらば愛しきリスよ

第1話 頬袋のハードボイルド

 女はなぜか、とても悲しそうな目つきをして、いつまでも私を見ているのだった。


 伏し目がちにしたまつげが、私の声がするときだけ、なぜかぱちぱちとせわしなく動くのだ。


 淡い栗色の毛に覆われた頬袋ほおぶくろに、女は食べ物を入れてもいないのにぷっくりと太って膨らんでいた。


 この街の冬は足が早い。今のうちに詰め込むのが一番だ。そうか、冬眠が近いのだ。


 彼女は私に対して何か悲しいと思っているのではなく、冬眠が近いし、お腹が一杯だから眠たいのだ。そこで、私はさりげなく室温を下げた。


「スクワーロウさん、それで…なんとか探し出して頂けるのかしら?」


 あくびをこらえているのだろう、女はとろりと甘い声でささやいた。


「問題はないでしょう。あなたが冬眠するまで一週間、こんな気がかり、春にまで持ち越そうと言う方がどうかしてる」


 外では悲しげな高音で、木枯らしが吹き始めていた。


「でも心配だわ。スクワーロウさん、あなただって間もなく冬眠するのでなくって?」

 女の心配そうな声に私は、肩をすくめてみせた。

「冬眠しないリスもいるのですよ。高いところに住んでいる連中なら、特にね」

 と、私は窓を外を眺めた。


 通りの果てにカジノ付きの大きなホテルの灯りがきらめいている。


 女が探しているのは、弟だそうだ。北部の高い山から出てきたその男は、モモンガに憧れて都会に出たらしい。


「連れて逃げた相手はまさに理想の相手だった。そのモモンガのショーガールが、ヴェルデ・タッソの女だった、てこと意外はな」


 強欲な狸、ヴェルデ・タッソは、このリス・ベガスの目抜き通りにあるドロンパレスホテルを牛耳るマフィアの大立者だ。


「一週間はみて頂きましょう、リスバーンさん」


 契約書にサインしている依頼人に、私は調査費の内訳うちわけを説明した。彼女は相変わらず眠たそうだったが、私の説明に不満はないようだった。


「それで…あの、一つうかがっておきたいことがあるんです」

「どうぞ、何でも」

 サインを書き終わる前だったが、私は言った。

「事件とは関係ないことですわ。でも…聞かずにはいられなくて。スクワーロウさんはどうして頬袋ほおぶくろがそんなにいつも満杯まんぱいなんですの?」

「いけませんか?」

 私が逆に聞くと、ミズ・リスバーンは長い睫をぱちぱちさせた。

「いや、いけないってことはないですけど…なんて言うか、まあ冬ですし。でもスクワーロウさん、この物語はその、ハードボイルドなんですよ。邪魔じゃないかしら?…そのう、これからタフな台詞を言ったりダイ・ハードな行動に出たり、洒落乙シャレオツなトークで女の人とお話しするときとか」


 なんだそんなことか。私はクールに肩をそびやかして言ってやった。


「…タフな台詞を吐くばかりが、ハードボイルドじゃありませんよ。それに私は慣れていますから、口の中のものを吐き出さずに女性と洒落乙トークが出来ます」

「そうですか…えっと、じゃあいいですわ、もうどうでも」


 ミズ・リスバーンはさらに何か言いかけたが、何か面倒くさくなったようだ。


「リス・ベガスは眠らない街です。当然、冬眠もない」

 私はカーテンの外の景色に向かって、あごをしゃくりながら言った。

「眠らないリスは冬、食いだめしないと生きてはいけないのです。この街では食べておかないと生きていけない。頬袋ほおぶくろがいっぱいでなくては生きていく資格もない」

「あ、そうですか。ではお願いします」


 カッコいい台詞を言ったはずだが、彼女は完全に私のスルーしてさっさといなくなった。なぜだろう。理由が分からない。この物語は、ハードボイルドだって、あの女自分で言ってたじゃないか。


 ここはリスもクマも眠らない街、リス・ベガスだ。


 それでも追う者と追われる者、厄介な問題を春に持ち越したりなどはしない。

 ハードボイルドな私の伝手が、とあるダイナー(食堂)に私を赴かせた。


 マフィアが幅を利かせるこの街じゃ、逃げる手段は限られている。モーテルを転々として国道を行っても、砂漠の真ん中で奴らに見つかるのがおちだ。その前にすっ飛ぶに限る。


 そいつは、いつもこの店で朝掘りの人参をかじっている。どうせ人参なんだから、わざわざダイナーで食べないで産直とか特売で安く買って自宅で楽しめばいいじゃないかと言う理屈は通用しない。だってハードボイルドなのだ。


「やあ、厄介ごとが来たみたいだ」

 バーニー・ローズは筋肉に鎧われた大きな耳を揺すって、青筋の浮いた両腕を拡げてみせた。

「その人参、全部ジュースにしてくれ。そうだ、キャロットジュース、プロテイン割りで」

「相変わらずか?」

 私の言葉にバーニーは片目をつむると、かすかに首を動かした。

「生憎、休職中なんだ。腰を痛めちまってな」

 私はカウンターに向かってナッツを頼むと、奴に言った、

「飛べないウサはただのウサだと言ってたの、あれは嘘か?」

「馬鹿言え。飛行機バードの方はいつでも飛べるさ」


 こいつは、元空軍の飛ばし屋だ。ハードボイルドな経験上、リス・ベガスから逃げるのなら、国境越えに限る。


「リスとモモンガの二人連れ?さあな。俺のところには来てない」

「(おもむろに時計を見つつ)もう四十八時間経ってる。相手はタッソだ。あの狸野郎がこの街を生かして出すと思うか?」


 そのときだ。タイミングを待っていたと言うように、店にダークスーツを着た二人連れの狸が入って来た。


「おい!この店は、なんでハイカラ(関西でたぬきそばのこと)置かんのんじゃい!?」

「いや、ここダイナーなんで」

「立ち食いと違うんかい?立ち食いそばと違うんかい?ほな、なんでうちの天かす置かんのんじゃい?」

「おそばやってないんすよ」

「おどれ、なめとったらあかんど!」


 あの有様だ、と言うように、バーニーは肩をそびやかした。

 まったく、どいつもこいつもハードボイルドな展開が台無しだ。

 いやとりあえず、こてこてのいんちき関西弁はまあいいとして、どうしてリス・ベガスに立ち食いそばがあるのか。

 そんな説明がつかない事態になったのも、あの緑の狸ことヴェルデ・タッソがここいらを仕切り出してからだ。


「おう、おのれら、なあに洒落たもん食うとんのんじゃい!?男やったら、朝はソバやろ!ハイカラ頼まんかい」

 ちっ、矛先がこっちに来やがった。

「ハードボイルドだって言ってるだろ」

 私とバーニーはゆっくり立ち上がると、二人に向き直った。

「それとな、狸野郎に伝えろ。無料の天かすでみかじめとろうなんて、せこいしのぎをするんじゃないとな」


 普通、いけない薬とか、そう言うものだろ。なんだよ天かすって。ベガスだぞ。こてこてにもほどがある。


「やかましいわい!わしらだってなあ、もっとベガスっぽくメリケン風にしゃべくりたいんじゃい。お前らにわしらの気持ちが分かってたまるか!」


 奴が銃を抜く前に、私は出来たばかりのキャロットジュースをそいつの顔にぶちまけていた。悲鳴を上げて顔をかばった狸の腹に、私は拳を突き込んでやった。


「ひっひいい…堪忍やあ!おっ、おがあちゃん!」


 もう一人のチンピラは、仲間を助けもせず逃げていく。辺りはジュースまみれだ。ちなみに床は掃除しない。なぜなら、ハードボイルドだから。良い子は真似をしてはいけない。


「やれやれだ」

「おい!おれのジュースだぞ」

「お詫びに、後で仕事を頼むよ」

 私はドル札をカウンターに置いていくとコートの裾をひるがえした。


「見てみい、これ」


 ヴェルデ・タッソなのに、やっぱり関西弁である。まあしょうがないとして、ヴェルデがまん丸の手で、ぽんと出したのは油揚げだ。一瞬、いけない薬のパケか偽札の原板かと思ったがこんがり狐色の油揚げである。


「トニオの奴。わしの預けた金でこないなしょうもないもん、縄張シマに流しくさって」

 トニオと言うのは、ミズ・リスバーンの弟だ。

「奴はあんたの女と逃げたんじゃないのか?」

 狸はない首をめぐらせた。

「トビー(モモンガの方だ)も共犯やろ。今頃、狐野郎のところや」


 狐野郎と言うのは、北の都、ニャーヨークを仕切るマフィアのことだ。赤い狐こと、ヴォルペ・ロッソが街を仕切っている。


「あん餓鬼がき。満座でわしに恥かかせよってからに」


 赤い狐と緑の狸。二人の抗争は、すでに二年にさかのぼる。


 発端は、一家ファミリアの長老会で出された狸そばである。タッソは最高の職人を雇い、手打ちでそばを作ったのだが、あいにくと職人が江戸前だった。


「なんやこれ。こないな真っ黒けのつゆのそばが食えるかい!」


 狐は定番の関西人トークを展開した。だが間の悪いことに狸は自分も関西弁の癖に、江戸前のそばが大好きだったのだ。当然大ゲンカになった。


「そばで悪いんかい!?ハイカラ美味いやろがい!?」

「ハイカラて、天かすのっけただけやんけ!貧乏びんぼくっさ!それになあ、けつねうろんのが美味くて腹にたまるんじゃい!」

「ぬあにがけつねうろんや!だっさ!ハイカラのが洒落乙やろがい!」


 もはや関西人のおっちゃんが喧嘩してるだけだが、二人は一応マフィアなのである。こんな人物が二人ながら権力を持ってしまうと言うしょうもない事態で、今、南北街を挟んで、ハイカラそばかけつねうろんか、血で血を洗う抗争が展開中なのだ。しょうむない。


「狐野郎の裏切り者が、のうのうと生かしてこの街を、いや、この国を逃がすつもりはないわ。それをな、邪魔をする人間も同様やで」


 狸は意味ありげな視線を、私に投げかけてくる。やれやれ、脅迫か。私が返事をせずに小さく肩をすぼめると、


「おい。ボスはよ、お前のためを思って言ってやってるんだぜ?」

 と、やけにドスの効いた声がした。


 ダークスーツに目線の分からないサングラス、小柄な狸はランスキー・ラスカル、最近、ヴェルデの殺し屋として頭角を表わしているいちの武闘派だった。


「生憎だが、私も仕事でね。それにトニオが裏切り者と、決まったわけじゃないだろ」

「てめえ、ボスの言うことに逆らう気か?」

「そんな気はさらさらないさ。ただ、裏切り者を探せばあんたは満足だ。その期待に私は沿ってやろうと言うんだよ」


 今度は私が、ヴェルデを見返す番だった。ヴェルデは片目を引き攣らせると、肩をそびやかし、


「ええやろ。あんたが裏切り者の泥を吐かしてくれるんやったら、わしはそれで構わん。世話になった先代の面子に免じてな」


 ヴェルデは脅しは辛いが、頭は冷静だ。私の読みは間違っていなかった。


「あんたが慈悲深い性格で助かるよ」

「わしは人の恩は忘れたことはない。だが、裏切り者は許せん」

 狸は傲然ごうぜんと、腕を組んだ。


「てめえ、命拾いしたな」

 ランスキーが怒りに満ちた声で、私に毒を吐く。私も思う存分、毒を吐いてやった。

「何かお前だけ、しゃべり方違くないか?ぶっちゃけ組織で浮いてるだろ?」

「なっ、なっ!?」

 図星を突かれたのかランスキーは、目を白黒させた。

「あっ、兄貴はしゃべくり苦手なんや!」

「でもでもっ、怒らしたら怖いで!せっ、繊細せんさいな性格やぞ!」

 すかさず子分衆のフォローが入る。確かに繊細な性格のようだ。

「リス野郎。後で、ほえ面掻くなよ」

 ランスキーは目を剥いた。

「リスは吠えたりしないぜ」

 やれやれ。私は、ランスキーを睨み返すとこれみよがしに肩をすくめた。

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