ニセモノ
桂川涼
ニセモノ
「
人の姿も見ずに『暇なんでしょ』とは、なんと失礼な物言いだろう。しかし、図星である。ゴールデンウィーク課題には手をつけていないし、出かける予定もない。窓から差し込む日光が心地よくてベッドの上でダラダラしていた。朝ごはんを食べたあとだというのに。
「あーい」
あくび交じりに返事して一階に下りる。廊下には新聞紙やプリント類が山積みになっていて、その横でお母さんが透明の荷造り紐とハサミを持って奮闘していた。
「ありがと。あした古紙回収の日だから、忘れずにお願いね」
「ええっ、出すのも俺がやんのかよ」
「いいじゃないの、休みのときくらい。お母さん、洗濯もご飯もお掃除も毎日みーんなやってるんだから」
手伝いに来たのに怒られてしまった。これ以上文句を言われないように黙々と紙を束ねていく。ふと、一枚のプリントに視線が吸い寄せられた。
「
ぽつりと呟くと、お母さんがプリントを覗き込んできた。
「ああ、遠足でしょ。晴生も一年生の頃行ったじゃない」
八岡小学校の恒例行事、一年生の遠足では決まって賽池公園に行く。俺のときは六月に入ってからだったが、どうやら今年は五月にあるらしい。大した遊具はないが、学校よりも広いグラウンドではキャッチボールや鬼ごっこをして遊べるし、なにより賽池という大きな池があってザリガニ釣りを楽しめる。釣りがうまかった俺は、当時はザリガニ名人と呼ばれたものだ。遠足は、たしかに楽しかった。
「どうしたの?」
「いや……
「あら、池ならとっくの昔に封鎖されてるよ」
「えっ?」
「笛吹さんとこの子が亡くなってすぐ、柵が出来たでしょ。知らなかった?」
黙って首を横に振る。事故が起こってから一度も賽池はおろか、公園にも近づかなかった。お母さんだって、昔はあだ名で呼んでいたのに今では「笛吹さんとこの子」だ。
休みが明け、終わらない宿題を抱えたまま登校しなければならなくなった。のろのろと支度する俺とは対照的に、幸生は一々動きも声もデカくて元気が良すぎる。バターをたっぷり塗ったトーストを頬張りながら、幸生が尋ねてくる。
「にーちゃんは遠足ないの?」
その質問でようやく、あのプリントを思い出した。そうだ、今日か。
「俺の高校はねえよ。気をつけて行ってこい」
能天気な幸生だけど、遠足なら皆がついている。大丈夫、何にも心配いらない。自分にそう言い聞かせた。
数学の課題は友達に写させてもらったし、英語の授業は明日が最初だから課題はそれまでに終えれば間に合う。今日はなんとか乗り切れた。ふうっと息を吐きながら鍵を開ける。
「ただいまー」
おかえり、は返ってこない。聞こえなかったのかも、ともう一度言おうとして、慌てて口をつぐむ。リビングから話声がした。ドアの小窓から中を覗くと、お母さんは困り顔で「ああ、そうですかー」を繰り返している。なぜかは分からないが、親が電話するのを見ていると緊張する。声の調子からして最悪の事態ではなさそうだが。
「はあー」
大きなため息とともに受話器を下す。すると、ドアを開けてこちらにやってきた。
「晴生、電話聞いてた?」
眉をハの字にしたお母さんが詰め寄ってくる。
「いや、内容までは」
盗み聞きしたことを部分的に認めてしまったが、叱られはしなかった。
「幸生ね、まだ帰ってきてないの。学校にも連絡したんだけど、全員揃って学校に戻ったあとに解散したから、分からないって」
外はもう紫色に染まりかけている。いくら俺が部活に入っていないとはいえ、弟がまだ帰ってこないのは異常だ。
「悪いんだけど、幸生のこと探しに行ってくれないかな」
厄介なことになった。英語の課題は今からやらないと間に合いそうにない。でも、妙な胸騒ぎがして、放っておくことはできなかった。
「分かった。通学路の辺り探せばいい?」
「ありがとう。通学路はきっと先生も探してくれてるから、幸生が寄り道しそうなとこ見てくれる? お母さんはお友達のお家行ってないか電話で聞いてみるし」
「りょーかい」
リュックを下ろしてスマホだけポケットに突っ込む。スニーカーを履き直す背中に、「晩ごはんの時間になったら切り上げてね」と声をかけられた。
寄り道しそうなところ、と言われて一応俺が小学生の頃に侵入したルートはいくつか思いついたが、なんとなくそこにはいない気がする。今まで晴生がこんな時間まで寄り道してくることなんてなかった。なのに遠足の日に突然帰りが遅くなるなら、きっと遊び足りなくてもう一度公園に行ったんじゃないだろうか。だから真っ先に本命へと向かった。
数年ぶりに来る公園は、黒い木々のシルエットが風に揺れるばかりで、がらんとしている。葉っぱの擦れる音がざわざわ、ざわざわと耳についた。
「グラウンドはいねえ、か」
だだっ広いだけが取り柄だ。ここで一人遊びしているとは思えないし、子どもたちの声もない。薄暗いグラウンドに目を凝らし、軽く見渡してから池の方へ向かった。
お母さんの言ったとおり、賽池の周囲は柵で囲まれていて「入るなキケン!」の看板もある。柵は膝上くらいの高さだ。俺なら容易く跨げるだろう。でも小学一年生には難しいか、と柵の外をぐるりと歩き回っていると、何かにつまづく。
「うっ」
転びはしなかったが、打ったつま先がジンジンと痛む。硬い。石だろうか。いや、コンクリートブロックだ。しかも2個積み上げられている。ひやりと背中に汗が伝う。俺は恐る恐る柵の中に侵入した。
辺りはすっかり暗くなったが、黄色い月を浮かべた池だけは全体がぼんやりと明るい。足を滑らせないよう、慎重に池の周辺を探索する。湿っぽく、生臭いにおいが気になった。小学生の頃の俺が気にしていなかっただけなのか、それとも清掃が行き届かなくなったせいなのかは分からない。
ぴちょん、と水の跳ねる音にはっと顔を上げる。音のする方には水紋が数秒おきに浮かび上がり、傍には小さな影がある。細く長い棒状のものを持ち、水面をつつく影。間違いなく子どもだ。駆け寄る間も惜しく、声を張り上げる。
「おい、そこにいるのか!」
小さな影はぱっと立ち上がる。月明りに、うっすらと照らされた顔。幸生! 俺の叫びは、声にならなかった。
小学校の頃は、登校班があった。校区の中でも近くに住む子どもたちが集団で登校する。新一年生は最初の一か月、上級生と手を繋ぐ決まりだ。俺は六年生のとき登校班の班長として先頭を歩き、やっちゃんという一年生と手を繋いでいた。小学校に入ったばかりの子でも地域の集まりで顔合わせしたことはあるから、顔とあだ名は知っている。
「名前、なんて言うの?」
「やっちゃん!」
「あだ名じゃなくて、本名は?」
「やっちゃん言うねん!」
やっちゃんは自分をやっちゃんと呼んだ。あとで判明した本名は笛吹康弘。だけど、子どもも大人も誰もやっちゃん以外の呼び方はしない。どちらかというと頭は良くなさそうな子だったが、小学一年生に似つかわしくない単語を発したこともある。
「やっちゃん、好きな食べ物なに?」
やっちゃんは前歯の抜けた口を大きく開けて即答した。
「ロブスター!」
はあ?と思わず声に出したかもしれない。そんなもの食べたことある一年がいてたまるか、と思った。俺だってテレビのハワイ特集で一度見て知っただけなのに。だから、次の質問は当然こうなった。
「どこで食べた?」
「シンガポール行ってな、おとーさんの会社の人と一緒に食べてん。バターみたいなんかけて食べんねんで」
会社の人と行く、とはどういう意味だろう。小学生の自分には全く想像のつかない状況だった。そのことを家族に話したら、
「同僚の家族と一緒に旅行したんじゃないか?」
とはお父さんの見解。
「えー、会社の人と海外まで行くかなあ? やっちゃんのお父さん、商社マンでしょ。海外出張も多いらしいし、シンガポールの支社にもお友達がいるんじゃないの」
現地の人においしいレストランを紹介してもらったのでは、というのがお母さんの見解だった。どちらが正しいのかは今でも分からない。でも、きっと旅行先で食べたロブスターは格別おいしかったのだろうな、ということは想像がついた。
ロブスターから、話が広がった。
「お父さん、よく外国行くの?」
「そやねん。なかなかお家帰ってこーへんねん」
やっちゃんは唇を尖らせる。妙に人懐っこい子だとは思っていた。四月を過ぎても、積極的に俺の隣に来て手を繋いでくる。もしかすると寂しいのかもしれない。
「はるおくんは?」
「俺? 俺のお父さんはずっと日本かな。帰りは結構遅いけど」
「へえー、ほかの人は?」
「ほかは……お母さんと弟が家にいる。まだ幼稚園入る前だから」
やっちゃんは先ほどまでのブルーさなど嘘かのように満面の笑みで、
「はるおにーちゃんだ! はる、おにーちゃん!」
と世紀の大発見をしたかのように叫んだ。晴生お兄ちゃん、縮めて「はるおにーちゃん」。なんとも単純だが、その日から俺のあだ名になった。
登校中や地域の集まり以外ではめったに会わなかったけれど、俺とやっちゃんはとても仲良しだったと思う。町内の消防団のおじさんに「本物の兄弟みたいだな」と感心されたこともあった。「幸生の面倒も見てよね」なんて毒づいていたお母さんだって、お隣のおばさんから「晴生くん、面倒見がよくて、ほんとにしっかり者ねえ」と褒められたときには鼻を高くしていたのだ。
登校班の子どもたちの大半は集会所に集まって一緒に登校する。でも、やっちゃんの家は地域の集会所よりも少し学校側に歩いたところにある。だからやっちゃんは登校班が自分の家の前に来たタイミングで合流する。いつもやっちゃんは門の前で立って待っている。でも、その日は違った。
やっちゃんの家が見えてきた辺りから、なにか変だった。なんというか、騒がしいのだ。後ろをついてくる子たちのしゃべり声がいつもより大きいだけかもしれない。でも近づくにつれ、後ろの子たちも異変に気付いておしゃべりをやめた。
「誰か泣いてる?」
二年生の頼子が俺のランドセルを引っ張ってきて、騒がしさの正体に気付く。
「やっちゃんだよな、あの声」
「たぶん」
頼子は首を斜めに傾げながら頷いた。曖昧な返事になるのも無理はない。家の中から漏れ聞こえる泣き声は異様で、ここがやっちゃんの近所じゃなければ声の主は推測できなかっただろう。赤ちゃんのような恥も遠慮もない泣き方だった。ぎゃあぎゃあと、体の底から絞り出し、喉が枯れるのも気にしない、そんな声。
「ちょっと様子見てくる。梨香、先にみんな連れて行っといて!」
「ええっ、ちょっとぉ」
一番後ろにいた副班長の梨香に班長をバトンタッチし、俺は笛吹家のインターホンを押す。門の前に立つと中から声が鮮明に聞こえた。おばさんが「いつまでぴいぴい泣いてるつもりや!」と関西弁で怒鳴る。自分が叱られたわけでもないのに肩がビクッと震えた。やっちゃんは一層激しく泣きわめく。ドスドスと荒っぽい足音がしたかと思えば、玄関のドアが勢いよく開いた。
「ごめんね、晴生くん。やっちゃん今叱られて泣いてるの。後で学校連れてくから先に行ってちょうだい」
目を細めてきゅっと唇を上げたおばさんは、よそ様向けの高い声で俺に謝る。それがむしろ妙に怖くて、俺は「あ、ハイ」としか言えず、あとは逃げるように登校班のほうへ走った。
放課後のグラウンドでやっちゃんの姿を見つけたとき、声をかけるのを少しためらった。けれど、左の頬が赤紫に腫れているのに気づいてしまった。
「どうしたのさ」
やっちゃんはグラウンドの隅にしゃがみ、木の棒を握って地面に絵を描いていた。一人でまるばつゲーム? ようやく顔を上げて俺の目をじいっと見たかと思えば、また俯いてしまう。その声はいつもより低く、乾いていた。
「遊んでんの。やっちゃんな、お家帰れへんねん。お母さんに怒られてしもたさかい」
「なんで怒られたんだよ」
「お父さんがな、明日シンガポールにシュッチョー行くねん。やっちゃんも連れてってほしい言うたんやけど、お母さんがアカンって」
シンガポールと聞いてまずロブスターを連想した。大好物に挙げるくらいだから、きっとロブスターが食べたくてゴネたのだろう。そこで俺は、面白いことを思いついた。
「じゃあ、俺と一緒に遊ぶ? いいとこ連れてってやるけど」
やっちゃんは返事をしない。まるを描いて、ばつを描いて……まるが勝った。
「行く!」
やっちゃんは砂上に描いたゲームの跡を足で擦った。
駄菓子屋に寄ってするめを買うと、予想通り「ちょーだい!」とねだられた。
「だめだ。これはエサにする」
「エサ?」
「うん、ロブスターのエサ」
「ロブスターの!」
やっちゃんは目をまん丸にした。次の目的地に向かうまでの間、やっちゃんは自作の「ロブスターのうた」を高らかに歌っていた。
賽池公園に着く。もちろんロブスターなんて釣れない。だけど、大きいザリガニを釣って「ほら、ロブスターだぞ」って言ってみたかった。からかう気持ちが少し。でも、本気で信じて喜んでくれたらいいなと思う気持ちだって嘘じゃない。
するめを糸で木の枝に括り付け、池に垂らす。やっちゃんは落ち着きなく背後をうろちょろしていた。
「じっとしてろよ」
そう言うと、おとなしく隣に三角座りした。
ようやく一匹釣れた頃には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。するめにしがみつく赤い生き物を顔の前につきだす。
「ほらよ」
ロブスターだ、と言う前にやっちゃんは眉をつり上げて叫んだ。
「ニセモノやん! そんなちっちゃないわ、はるおにーちゃんのアホ!」
そのまま公園の外に駆け出してしまった。
「おい、待てって!」
呼び止めてもやっちゃんがこちらを振り向くことはない。どうせ一人で帰れなくて俺の元に戻ってくる。そう思って、俺は大きなザリガニを釣るためもうひと粘りした。
風が冷たくなってきても、あれより大きいものは釣れなかった。諦めて家に帰る。途中でやっちゃんと会うことはなく、無事に一人で帰れたのだと思った。
翌朝、お母さんが硬い声で「晴生」と呼ぶ。やっちゃんが親にチクったかもしれない。叱られる、と身構える。でもそうじゃなかった。
「やっちゃん、亡くなったって」
手足の先から、すうっと血の気が引いていく。
「賽池、晴生も行ったことあるでしょ。あそこで溺れてたんだって」
うそ。うそだ、うそだ。それじゃあ、俺がやっちゃんを死なせたことになる。
「まだ小さいのに、かわいそうにねえ」
もう二度と会えない。その意味はまだ受け止めきれない。でも今日絶対にやっちゃんと会えないってことは、ずしりと胸に響いていた。
しばらく部屋中をうろうろと歩きまわっていたら、お母さんがため息をついた。
「早く朝ごはん食べなさい。悲しいのは分かるけど、学校行かなきゃ」
トーストからバターの匂いと味はしなかった。パサパサしていて喉につっかえる。やっちゃんは溺れた。俺の釣ったザリガニを見て怒ってどこかへ行ってしまったのに、戻ってきたのか。もしかすると、俺の言うことを信じていたのかもしれない。自力で大きなロブスターを釣ろうと思ったんだ。それで、足を滑らせたりして――
「うっ」
パンが喉に詰まって、ゲホゲホと咳き込んだ。
「晴生、なにしてんの!」
お母さんが慌てて背中を叩く。むせて、目尻に涙が浮かぶ。咳が治まっても、涙はあとからあとから溢れてきた。
「はるおにーちゃん!」
幸生の姿をした子どもは、俺をそう呼んだ。幸生がそのあだ名を口にしたことは一度だってない。息を飲み、瞳の奥を見つめる。
「お前……やっちゃんか?」
声が微かに震える。目の前の子どもは、口を大きく開けて笑った。
「だいせーかい!」
幸生の声なのに、イントネーションが違う。信じられないことが目の前で起きていた。ごめん、許して、俺があんなこと言わなきゃ良かったな、なんでここにいるんだよ。言いたいことが洪水のように頭に浮かび、そのどれもが口から出てこない。鼻の先がツンと痛くなって、視界が歪む。
「泣かんとき、泣かんといて」
ポケットからティッシュを取り出して、背伸びして手渡してくる。鼻から垂れてくるものを拭い、ようやく話せる状態になった。
「やっちゃん、ごめんな。色々ごめん」
騙したことも、一人で帰ったことも。それがやっちゃんの死を招いた以上許されることはないけれど、謝らずにはいられなかった。
「ええよ。やっちゃんが先に行ったから悪いねん。はるおにーちゃん、ロブスター釣ろうとしてくれてたのに」
やっぱり信じてたんだ、あれがロブスターだって。本当のことを告げれば今度こそ嫌われるかもしれない。それでもずっと嘘をついたままの方が居心地が悪い。
「そのことなんだけどさ、あれ、実はロブスターじゃなくてザリガニなんだ」
口の形が「えっ」で固まった。二、三度まばたきして、唇を尖らせて「うそやろぉ」と呟く。
「ざんねんやなあ、せっかくロブスターのゆうれいになったと思うたのに」
今度は俺が「うそだろぉ」と言う番だった。
「やっちゃんな、赤いハサミ持ったゆうれいになってん。ずっとこの池の中にいたんやで。柵があるし誰も来おへんのやけど、今日はボール取りに子どもが来てん。はるおにーちゃんに似てた!」
「幸生か。そいつは俺の弟だ」
やっちゃんは自分の体を眺めまわし、誇らしげな顔をした。
「そしたらな、ゆきおくん足滑らせて池に落っこちてん。助けよう思って飛び出したら、こんななった!」
ぱたぱたと両腕を嬉しそうに振り、ふと動くのをやめ、俯いた。
「ロブスターじゃなくて、にせものやったんかあ」
しょげるやっちゃんの両肩に、そっと手を置く。
「偽物じゃねえ。やっちゃんはザリガニのヒーローだ」
「ザリガニもかっこいいん?」
「かっこいいさ。幸生を助けてくれてありがとう、やっちゃん」
やっちゃんは控えめな笑顔を浮かべていた。
「うん。でも、次はほんものに生まれかわりたい」
「本物のロブスター?」
うんとも違うとも言わず、やっちゃんはふにゃっと笑う。そして、ぱたりと地面に倒れてしまった。
「やっちゃん!」
抱きおこし、体を揺さぶる。
「うう……、にーちゃん?」
「幸生か?」
「うん。あれ、もうこんな真っ暗だ!」
きょろきょろと辺りを見渡す姿に、思わずため息を漏らした。
「無事みたいだな。お母さんも心配してるし早く帰るぞ」
幸生は頷きかけて、ぱっと顔を上げた。
「待って、ボール!」
足元に置いてあったボールを幸生は大事そうに抱え、立ち上がった。帰り道で話を聞くと、公園で遊んでいた際に幸生が投げたボールが柵の中に入ってしまったらしい。遠足では先生がいるから侵入する勇気はなかったので、学校に戻ったあと一人で拾いに行ったのだ。
「危ないから、もう二度と入るなよ」
注意すると、幸生は肩を小さくして「はーい」と返事した。
ふとスマホを取り出すと、お母さんからメッセージが来ていた。
〈幸生みつかった?〉
すぐに〈いるよ〉と返そうとして、指を止める。お母さんを安心させるため、返信と一緒に写真もつけることにした。ちょうど電灯の下を通るときに横から幸生の写真を撮る。
「あれ……?」
うまく写らず、フラッシュを焚いてみる。だが何度試しても幸生の姿は全く写らない。スマホが振動し、新たなメッセージが来る。
〈はるおにーちゃんの、ほんもののおとうと〉
ニセモノ 桂川涼 @katsuragawa_ryo
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