第七十三話「焦るマーカス」

 4月29日午後3時頃。

 俺はグリステートの町に戻ってきた。

 戻りたくはなかったが、オルドリッジの命令で仕方がなかった。


 それでも俺は楽観している。

 最後まで前線で指揮を執っていたリンゼイも、管理事務所長のカーンズも死んだ。つまり、俺を告発できる者はこの世に存在しないということだ。


 迷宮から出てきた探索者シーカーたちの視線が厳しいことには気づいている。しかし、奴らはスタンピードが終わるまで迷宮の中にいたはずで、俺が逃げたことは知らないはずだ。


 そのことを一緒に逃げた部下たちに話すと、


「生き残りがいたのかもしれませんね」


「さっき聞いたが、リンゼイは死んでいたそうだぞ。奴が生き残れなかったのに、他の連中が生き残れるとは思えん」


「だとすると、何かメモが残されていたのかもしれませんね。カーンズは文官でしたから結構マメでしたし」


「そういうことは早く言え!」


 使えない部下に怒りをぶつけるが、充分に考えられることで、早急な対応が必要だ。

 何といってもカーンズの残した記録は証拠として充分だ。組織上、奴は俺の上司に当たるし、スタンピード対応の責任者だったのだから。


「そいつを見つけ出して処分する。まずは所長室にいくぞ」


 所長室に着くが、そこにはオルドリッジの部下2人が入口を守っており、俺が入れろと言っても、無表情なまま拒否する。


「連隊長の許可がなければ入室はできません」


「報告書に付け加えるために所長の作ったメモを見るだけなんだ。少しだけ入れてくれ」


 そう言って下手に出るが、扉の前から動こうとしない。


「連隊長より誰も通すなという命令です。無理に通ろうとするなら拘束しろとも命じられています」


 埒が明かないので強気で押してみる。


「グリステートでは守備隊長である俺がここの責任者だ。連隊長といえども、俺の指揮権を侵すことはできん」


「それは違う」という声が後ろから聞こえてきた。


 振り返ると、そこにはオルドリッジの副官が立っていた。


 相手は中隊長待遇で俺と同格だが、向こうの方が先任だ。しかし、「どういうことだ」と強気で聞く。


「確かにグリステート守備隊はスタウセンバーグ駐留連隊の独立部隊だ。連隊長がこの場になければ、君に指揮権がある。しかし、連隊長がいらっしゃる今、連隊長の命令が優先されるのだ。更に言えば、スタンピード発生時点で、連隊長には国王陛下の代行者としての権限が与えられている。ここに将軍がいようと、オルドリッジ連隊長の命令が最優先されるということだ。このことは王国軍の指揮官なら当然知っていることだぞ」


 確かにそんなことを聞いた記憶があった。しかし、真面目に聞いていなかったので失念していた。


「そんなことは分かっている」とだけ言って、その場を離れた。


 それでもまだそれほど焦ってはいなかった。


(オルドリッジが俺のことを疑っていることは間違いない。だが、カーンズの報告書があろうが、俺より後に救援部隊に合流した奴はいない。この事実を盾に実家の力を使えば、何とかできるはずだ。問題は証人だ。それも発言力のある生き残りがいるとまずい……)


 懸念は生き残りの存在だ。特に最後まで戦っていた魔銀級ミスリルランクのシーカーは最上級ブラックランクに上がっている可能性があり、その証言は王国も無視できない。


 ブラックランクは平民であろうと強い発言力を持つ。迷宮の魔物を間引くために必要な人材であり、どの国でも最上級の待遇が受けられるため、我が国としても優遇せざるを得ないのだ。

 金や権力で抑え込めればいいが、正義感が強い奴だと厄介だ。


「生き残りがいないか確認しろ」と部下たちに命じたが、俺たちが話しかけても誰もまともに答えようとしない。


 どうやら俺たちが逃げたという話は思ったより広がっているようだ。

 話が聞けそうな奴を探すしかないと思い、管理事務所内をうろつく。

 そこで信じられない光景を目の当たりにし、我が目を疑った。


(ライルが生きていただと……)


 俺の目に飛び込んできたのはオルドリッジと話しているライルの姿だった。


(奴は俺が脱出する時も最前線で戦っていた。つまり、俺が戦っていないことを知っている。奴と竜人の娘だけなら何とでもなるが、他にも生き残りがいるとまずいことになる……)


 ライルは白金級プラチナランクだったはずだ。ブラックランクなら別だが、プラチナランク程度のシーカーが告発しても、魔導伯家の力を使えば揉み消すことは難しくないと安堵する。


 しかし、奴らが生き残っているということは他のシーカーや兵士が生き残っている可能性がある。

 調べさせると、何とか話を聞いてきた部下が報告する。


「生き残ったのはあの3人だけのようです。レベル700を超える大物を倒したそうで、ちょっとした英雄という感じでした」


「あんな出来損ないが英雄だと! 笑わせるな」


 そう言ったものの、俺が脱出するまでにも奴は多くの魔物を倒していた。それにそんな大物を倒したのなら、ブラックランクになっていてもおかしくはない。

 そうなると、まずいことになる。

 奴は俺を憎んでいる。これを機に復讐してくる可能性が高い。


(奴を殺すしかない……)


 ライルを殺せば、すべてが上手くいく。と言うより、これ以外に助かる方法などあるわけがない。

 しかし、いい手が思いつかない。


「魔銃のお陰で英雄か。魔術もまともに使えないくせに……」


 部下の一人がそう呟いた。

 その言葉で奴を殺す方法を思いついた。


 俺はオルドリッジと話をしているライルに近づいていった。

 竜人の娘、ローザは俺のことを睨みつけているが、奴は俺のことに興味がないとでも言うように無表情で見つめている。

 その目を見て、更に殺意が強くなった。しかし、それを抑えて、奴に話しかける。


「生き残れてよかったな。どこに隠れていたんだ?」


「貴様! どの口が言うのだ!」とローザが声を上げるが、ライルはそれを抑えるように前に出る。


「移動しながら戦っていたからね。どこに隠れていたと言われても答えようがないよ。君のように町を捨てて逃げたわけじゃないことだけは確かだけどね」


「俺が逃げたと言ったのか」と低い声で確認する。


「それ以外に聞こえたのなら、君の耳がおかしくなったんだよ」


 そこで大声で反論する。


「俺は最後まで指揮を執っていた! お前もそれを見ていたはずだ! どうして俺を嵌めようとする!」


「君が最後まで前線に立たなかったことは多くの人が見ているよ。脱出したプラチナランクの人も知っているはずだ。それにカーンズ所長が作っていた報告書にもきちんと書かれている」


「俺が前線に出たのは魔銀級ミスリルランクからだ。そのことはお前も知っているはずだ! カーンズは俺のことを嫌っていた! お前もだ! だから、俺を嵌めようとするんだな!」


 ライルは俺の主張に肩を竦め、呆れたような表情を見せる。


「じゃあ、レベルはいくつ上がったんだい? 前線に立っていたなら、10や20は上がっているはずだよ。確かレベル180くらいだったと聞いた気がするんだけど、それなら200は軽く超えているはずだよね」


「その通りだ! エクレストン魔導伯家の名に誓って間違いない!」


「なら、測定してみるかい。ここにいる人たちが全員納得できると思うんだけど」


「貴様は魔導伯家の嫡男である俺の言葉が信じられんというのか! これはエクレストン魔導伯家への侮辱だ!」


「測定したら済む話じゃないか。それとも見られると困ることがあるのかい」


「レベルの話などという矮小なことではない! 俺が魔導伯家の名に誓った言葉をお前は否定したんだ!」


「エクレストン! 貴様は最後まで戦っていた英雄を侮辱する気か!」


 オルドリッジがそう言って割り込んできた。


「連隊長には関係ない。これは俺の名誉に関わることだ!」


 そこでライルに向き直る。


「貴様に決闘を申し込む! 貴様も魔導伯家に生まれたのなら、魔術師らしく勝負しろ!」


 俺が考えていたのはこれだ。ライルに決闘を申し込み、魔術で勝負させる。奴は大した魔術が使えないから、俺の勝ちは揺るがない。


「魔術師らしく? 僕の魔銃が怖いのかい?」


「あのような汚らわしい魔導具を魔導伯家に生まれた者同士の決闘に持ち込ませるわけにはいかん」


「あれほど出来損ないとか無能とか言って馬鹿にしてきたのに、都合のいい時だけ魔導伯家に生まれた者って認めるんだね」


 と言って、ライルはウンザリとした表情を見せるが、「それでもいいよ。魔銃は使わない」すぐに認めてきた。


「魔銃だけじゃないぞ。魔術のみで戦うんだ」


 奴はラングレーに近接戦闘を習っていた。実際、半年前に部下を使っていたぶった時も侮れない実力を見せている。


「自分が有利な条件でしか戦う気がないということか! それでも貴族なのか!」


 ライルはそれまでの余裕が嘘のように怒りを見せる。

 当然だろう。

 奴が使える魔術で、攻撃に使えるものはない。精々、転移魔術で逃げ回るくらいだ。それも場所を限定して範囲攻撃を加えれば、封じることは可能だ。


「魔導伯家の者同士の決闘で、殴り合いをしたいのか? それでも栄えあるブラッドレイ家の男なのか」


 俺の侮蔑の言葉にライルは更に激昂する。


「ブラッドレイ家とは縁を切った! そのことは知っているだろうが!」


「そんなことは関係ない。決闘は受けるのか、それともさっきの言葉を取り消して、謝罪するのか。まあ、卑怯者のお前なら尻尾を巻いて逃げるだろうがな」


「貴様!」と殴りかからんばかりの勢いで詰め寄り、


「分かった! 受けてやる!」と叫んだ。


 ライルは我を忘れて俺の策にはまった。

 これでこいつを始末できると内心で笑うが、ローザが何も言わないことに違和感を覚えた。こいつの性格なら、ライルの代わりになると言いそうだが、何も言わないのだ。


 違和感はあるが、奴の手は封じている。万が一に備えて、他の手を打てば、ローザが何をしようが問題はないだろう。

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