第五十九話「連隊長オーガスト・オルドリッジ」
私がグリステートのパーガトリー迷宮で
最初はあまりに衝撃的な事実に耳を疑ったが、すぐに我に返った。
「グリステートへの援軍を大至急編成せよ! 王都に伝令を送れ! スタウセンバーグ駐留軍はグリステートの救援に向かうと伝えよ!」
私の指示に部下たちが走り出す。
(しかし、不味いぞ。カーンズ所長はともかく、守備隊の指揮官は奴だ。リンゼイに一時的に指揮権を移すことも考えた方がよいかもしれんな……)
そう考えたものの、それを実行に移す余裕はなかった。
グリステートへの援軍の派遣に加え、ここスタウセンバーグの防衛計画を王都とすり合わせ、更に住民たちの脱出の計画を立案しなければならなかったためだ。
余裕ができた時にはグリステートの転移魔法陣は破壊され、命令を送るタイミングを逸していた。
しかし、エクレストンは無能であろうと、王国から正式に中隊長に任命された者で、この国難にカーンズやリンゼイの助言を聞かぬということはないだろうし、王国貴族として最後まで戦うはずだと思い直す。
4月22日の早朝、私は1個大隊500名と共にグリステート救援に向かった。
本来なら3個大隊1500名で向かいたかったのだが、スタウセンバーグは王国中部の主要都市であり、ここの防衛を疎かにするわけにはいかないためだ。
また、スタンピードの場合、人数が多いことが有利になることは少ない。敵のレベルが高いため、少数精鋭の方が柔軟に対応できるためだ。
今回、500名にしたのは避難民の収容と護衛を考慮したからだ。
エクレストンはともかく、カーンズなら即座に住民の避難を決めるだろうが、6千人という住民を逃がすのは至難の業だ。そして、それだけの人数の避難民を受け入れることも容易なことではない。
そのため、現状の計画ではグリステートまでの中間地点で避難民を収容し、スタウセンバーグにピストン輸送を行う。そのためにある程度の人数が必要だった。
翌日の正午頃、スタウセンバーグから40キロの地点で、最初の避難民と遭遇した。
思いの外、スタウセンバーグに近い場所であったことに驚くが、カーンズたちが上手く手配してくれたのだと安堵する。
避難民の中に見知った顔があった。それはドワーフの鍛冶師グスタフ殿とエルフの魔導具職人アーヴィング殿、それに流れ人のモーゼス殿だ。
15年ほど前、まだ20歳になるかならない頃、私はグリステート守備隊に配属されていた。
その際、この3人に世話になった。武具や魔導具など仕事のことはもちろん、なぜか気に入られ、酒を飲みに何度も連れていってもらったこともいい思い出だ。
「オーガスト君、久しぶりだね」とアーヴィング殿が昔と同じ調子で声を掛けてきた。200歳を超えるエルフにとっては35歳の私はまだひよっ子のままのようだ。
「皆さんがご無事で安堵しました」
「少し話をしたいのだけどいいかな」
いつも通りの軽い調子に苦笑が漏れる。
「申し訳ありません。私も旧交を温めたいですが、今はこの部隊の指揮官。時間がありません」
そこでグスタフ殿が会話に加わる。
「グリステートで起こっていることについてじゃ。儂らの考えをぜひとも伝えておきたいと思っておる」
いつになく真剣な表情に頷くしかない。
「私としましても、高レベルの元シーカーのご意見はぜひともお伺いしたいところです。では、こちらに」
そう言って部下が立てた天幕に案内する。
天幕に入ったところで「儂やアーヴィングよりモーゼスから話した方がよかろう」とグスタフ殿がいい、モーゼス殿が頷く。
「今回のスタンピードですが、恐らく
「セブンワイズが……」
「はい。2ヶ月ほど前に黒の賢者の配下の魔術師が町の周囲に魔法陣を描き始め、一ヶ月ほど前に完成しています。説明では魔物除けということでしたが、魔物が減ったという情報はなく、逆に迷宮内で魔物が増えたという話を聞きました」
「魔物が増えた? 確かに今までなかったことですが、偶然ということも考えられます。黒の賢者様が関与しているというには根拠が薄くありませんか?」
自分でも偶然ということはないだろうと思っているが、セブンワイズはこの国の重鎮、安易に決めつけるわけにはいかない。
「おっしゃる通りですが、他にも黒の賢者が関与していることがあります」
「それは?」
「守備隊の隊長にマーカス・エクレストン氏が抜擢されましたが、この件に黒の賢者が関与しています」
王国軍の人事にセブンワイズが介入したという話は聞いたことがない。
「証拠はありますか?」
「エクレストン隊長が自らそう言っていました。実際、一度黒の賢者が町に現れ、彼に会っています」
あの若造を重要な拠点の隊長にしたことが事実なら許せない。しかし、そのことをここで論じてもあまり意味はない。
「事実なら許せんことですが、もっと重要なことがあります。お話はそれだけでしょうか」
「黒の賢者が何を狙っているのかは分かりませんが、意図的にスタンピードを発生させたのなら、彼らに終息させる義務があります。すぐにでも王都に伝令を送り、セブンワイズにグリステートを救援させるべきです」
「証拠がない状況では……」
「ならば、黒の賢者が推薦したエクレストン隊長が流れ人である私を襲わせたと告発します。取り下げてほしければ、セブンワイズの総力を挙げて救援に向かってほしいと王都に伝えてください」
「モーゼス殿を……それは真なのだろうか? 流れ人を保護するという王国の方針を蔑ろにしているのだが?」
「本当です。魔術至上主義者に襲われました。幸い、能力が低い貴族の子弟ばかりだったので返り討ちにしましたが。その捜査をリンゼイ隊長がやっていただく予定だったのですが、恐らく……」
リンゼイが生き残る可能性は皆無だと気づき、モーゼス殿は声を詰まらす。
「分かりました。あなたが嘘を吐く理由はございませんし、黒の賢者様が何らかの関与をしていることは分かりました。それにこれは国難なのです。セブンワイズの方々が立ち上がってくださらないはずはありません」
そう言った瞬間、モーゼス殿とアーヴィング殿の表情が曇る。
「王宮に情報を伝えた後、この手紙をノーラ・メドウズ殿に渡すようお願いできないでしょうか。彼女ならセブンワイズに直接情報を伝えられると思いますので」
モーゼス殿が一通の封書を渡してきた。本来なら転移魔法陣を使う伝令に個人的な手紙の配達をさせることは公私混同と非難の対象となるのだが、今回はそうしなければならないと思った。
「分かりました。あなたはセブンワイズと関係があったと聞いています。その方から直接連絡が行った方が賢者方も動きやすいでしょう」
そう言って封書を受け取った。
その後、彼らはスタウセンバーグに向けて出発した。
■■■
オルドリッジと面談したモーゼスは馬車に揺られながら、セブンワイズのことをぼんやりと考えていた。
(セブンワイズは動くまい。彼らは自らの目的以外に興味はないのだから……しかし、あの手紙を受け取れば動かざるを得まい……)
彼が渡した手紙には黒の賢者がある実験のために意図的にスタンピードを起こしたという噂が、避難民たちの間で広がっていると書かれている。
実際、モーゼスらが避難中にその話を広めており、魔法陣を設置していた時期と相まって、多くの人が信じ始めていた。
また、ある実験については住民たちを生贄にして強力な悪魔を召喚するという噂を流した。暗黒系の魔術を操る黒の賢者が関与していることから、これについても信じる者が多かった。
(我々がスタウセンバーグに到着すれば、この噂は王国中に広がるはずだ……)
この状況でセブンワイズが積極的に動く姿勢を見せなければ、彼らは王国の守護者という名を捨てるしかない。
(問題は証人が存在しないことだな。救援にいったが既に全滅していたから戻ったと言われたら反論しようがない。それでもライル君たちが生き残るために援軍は必要だ。ただ、間に合うかどうかは……)
セブンワイズは王国最強の魔術師集団だ。彼の思惑通り、グリステートに向かえば、ライルたちが助かる可能性は上がる。しかし、既にスタンピード発生から2日経ち、更に王都に連絡が行ってからセブンワイズがグリステートに到着するには2日は掛かる。それだけの期間、ライルたちが無事でいられるとは考え難い。
彼は黒の賢者がスタンピードを引き起こしたと信じていた。
(いずれにせよ、黒の賢者には報いを受けてもらわないといけない。ライル君やローザ君、ラングレーさんたちの仇は必ず討つ……)
そう考えたところで、持っているM16ライフルを強く握った。
■■■
モーゼスたちがスタウセンバーグに向かった2日後、オルドリッジは疲れ切った兵士やシーカーたちの集団を受け入れ、スタンピードが危機的状況にあると憂慮していた。
そんな中、一輌のゴーレム馬車が到着した。
そこにはいるはずがない人物、マーカス・エクレストンがいた。
「逃げ出してきたのか!」と一喝するが、マーカスは平然とした表情で反論する。
「我々は最後の一兵まで戦い、脱出してきたのです。情報を届けるために」
「嘘を吐け! 貴様が途中で逃げ出したことはプラチナランクのシーカーたちから聞いているのだ!」
「彼らは知らないんですよ。私はミスリルランクの指揮を執るためにギリギリまで休息していたのです。その証拠に彼らより後で脱出しているではありませんか」
「ならばなぜ、リンゼイやミスリルランクのシーカーたちがおらぬのだ! それにカーンズはどうした! 文官である彼が情報を伝えるべきだろう!」
「そ、それは……」とマーカスは口ごもる。
「貴様のことだ。逃げ出した後、この近くで出てくるタイミングを見計らっていたのだろう!」
「心外です! その証拠がどこにあるんですか! 勇敢に戦った私に対する侮辱と受け取ります!」
厚顔なマーカスはそう言ってオルドリッジを睨みつける。
オルドリッジも示すべき証拠がなく、それ以上追及できなかった。
「貴様が最後まで戦っていたのなら、これ以上避難してくる者はおらんということだな。ならば、明日、グリステートに向けて出発する。無論、貴様にも同行してもらう」
その言葉にマーカスは初めて動揺した。せっかく拾った命を捨てることになるからだ。
「我々はデーモンから何とか身を隠してここまで来たんです。もう一度死地に向かえと言うんですか!」
「当然だろう! 貴様はグリステート守備隊の責任者なのだ。生き残りがいるかもしれんのに逃げるつもりか!」
「生き残りなんていません! だから……」
「これは連隊長としての命令だ。明日の朝までに戦いの様子を報告書にして出せ。それをスタウセンバーグに送れば、お前が命懸けで持ち帰った情報は無駄にならんのだからな」
マーカスは更に言い募ろうとしたが、オルドリッジはそれを無視して部下たちに明日の出発を指示し始めた。
マーカスは呆然とその姿を見ていることしかできなかった。
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