第二十六話「マーカス・エクレストン」

 俺は昔からライル・ブラッドレイという奴が嫌いだった。

 魔導学院の入学式の時、奴は次席である俺の前に立っていた。その時から嫌いだった気がする。


 なぜ嫌いなのか理由はよく分からない。

 確かに首席が取れなくて残念に思っていたが、それでも入学式まではこれからの学院生活に夢を抱き、首席を取れなかったことなどあまり気にしていなかった。

 しかし、奴の顔を見た時、殺意に似た憎しみを感じた。


 それから2ヶ月くらいは苛立つことばかりだった。

 座学では奴に後れを取ってばかりだったし、魔術の実習では簡単な魔力操作の訓練ばかりで差が出なかったからだ。


 しかし、本格的な実習が始まると、奴の致命的な欠点が暴露され、俺が首席になった。

 優越感はあったが、それでも奴のことが憎くて仕方なかった。


 だからエクレストン魔導伯家の力を使い、奴を孤立させた。更に俺のことを慕う連中を使い、奴に屈辱を味あわせてやった。

 それで少しだけ溜飲は下がったが、奴の姿が目に入ると苛立つことに変わりはなかった。


 四年生に進級する時、奴は学院を辞めさせられた。それだけでなく、ブラッドレイ魔導伯家からも追い出された。

 奴が俺の視界から消えたことで、苛立つことはなくなった。

 一度だけ町であったが、その時もいたぶることができ、優越感に浸ることができた。


 それから2年間、俺は魔術の腕を上げ、断トツの成績で首席として卒業した。

 卒業後の進路は宮廷魔術師になるつもりだったが、卒業の半年ほど前に学院長から王国軍に入ってはどうかと勧められた。


「君ほどの逸材ならすぐにでも中隊長になれる。それに宮廷魔術師が戦闘経験を積むことは難しいが、王国軍に入ればレベルを上げることも容易だ」


 それでも悩んでいると、


「もし軍に入るつもりなら、特別にレベルアップをさせてあげようではないか」


「どういうことでしょうか?」


「ベルリックの町にあるレントゥス迷宮に講師たちを派遣する計画があるのだよ。最上級ブラックランク探索者シーカーたちに護衛をさせてレベルアップさせるために。それに同行すれば、君もレベル150を超えることができるはずだ」


 学院長は“パワーレベリング”を勧めてきた。

 その提案は魅力的だった。


 卒業後に魔導伯家の家臣たちと共に迷宮に入るつもりだったが、ブラックランクシーカーほどレベルが高い者はいない。

 その理由だが、父はパワーレベリングに対し否定的な考えを持っており、同行する家臣も俺より少しレベルが高い程度の者で構成される予定だったためだ。


 結局、俺はその誘いに乗った。

 両親は反対したが、学院長から話が行ったのか、翌日にはすぐに賛成してくれた。


 パワーレベリングは順調で、1ヶ月ほどでレベル180になった。もちろん、普通のパワーレベリングでは満足できないから、自ら戦闘に参加しており、戦闘経験は充分に積んでいる。


 そして、学院を卒業すると同時に王国軍に入った。

 俺ほどのレベルの新人はほとんどいないらしく、すぐに中隊長待遇になった。そして、1ヶ月もしないうちにグリステートの守備隊の隊長の辞令を受けた。

 一緒に学院を卒業した連中も同じ部隊に配属されることになっており、仲間がいるという安心感もあった。


 とんとん拍子での出世に、俺は人生で一番幸せな気分を味わっていた。

 しかし、グリステートの町に来て、その幸せな気分が一気に吹き飛んだ。

 奴が、ライルが、いたためだ。


 それから奴のことを調べさせた。

 すると、この町では毎日大物を狩ってくる有名なハンターで、ブラックランクシーカーの娘とも付き合っていると聞かされた。

 その話を聞き、昔の苛立ちが再び蘇ってきた。


 それから以前と同じように奴に嫌がらせを始めた。

 最初は上手くいかなかったが、兵士の中にこういうことが得意な者がおり、そいつの言う通りにすると、上手くいき始めた。


 毎日ボロボロになるライルの姿を見て、留飲を下げていたが、それでもまだ何かが足りない。

 そこでライルの恋人、ローザという竜人の娘も同じように苦痛を味合わせてやることにした。


 しかし、ローザの両親はこの国でもトップクラスのシーカーだ。そして、娘のことを溺愛しているという話で容易には手を出せない。

 そこで部下の兵士にいい手がないか確認した。


「手を出さなければいいんですよ。ライルって奴を痛めつける姿を見せてやれば、自分の無力さに自己嫌悪に陥るでしょうし、対応できないライルを見限るかもしれませんよ」


「しかし、その娘が両親に助けを求めたらどうするのだ?」


「そうさせないように、ライルに言い聞かせるんです。自分と同じ目に合わせたくなければ、訓練だと言い張れと。奴はお人好しですから、他人に迷惑を掛けたくないと思っています。だから絶対に自分から助けは求めませんよ」


 なるほどと思った。

 その手を使い、ライルとローザを苦しめようとした。

 しかし、それは上手くいかなかった。


 その日もライルを痛めつけていたが、ライルの仲間であるアーヴィング・エアハートというエルフの男と、ローザの家のメイド、アメリア・リンフットというエルフの女がどんな手を使ったのか知らないが、訓練場に乗り込んできたのだ。


「部外者を摘まみだせ」と命じたが、兵士たちが動く前にアメリアは俺の目の前に立っていた。


「守備隊の実力が低いと安心できないので、特別に訓練して差し上げに参りました」


 そう言って2本の短剣で僕の軍服のベルトを切り落とした。


「な、何をする!」


「申し訳ございません」と言って頭を下げると、


「以前、奥様の殺気を受けて粗相された方だったと思ったのですが、違いましたか? また粗相されると服が汚れますから、事前に準備して差し上げたのですが」


 その言葉に兵士たちの中からクスクスという笑いが聞こえてきた。


「こいつを叩き出せ! 隊長である俺に剣を向けたんだぞ!」


 兵士たちが動こうとした時、彼らの足元に3本の矢が突き刺さっていた。その矢に驚き、1人の兵士が尻もちをつく。


「この程度で驚くようじゃ、全然ダメだね。急所は外すけど、次は当てに行くよ。いい腕の治癒師がいるみたいだから大丈夫だろうしね」


 そう言いながら、次の矢を番え、殺気を放ってくる。兵士たちはそれで動けなくなってしまった。もちろん俺もだ。


「訓練が終わったようですので、ライル様を引き取らせていただきます。ですが、このことは旦那様、奥様に報告させていただきます。奥様はあなた様に是非とも指導していただきたいとおっしゃっておられましたので、次はご対応いただけると幸いでございます」


「ディアナは一番怒らせちゃいけない相手なんだぞ。手加減なんて言葉を知らないんだからね」


 それだけ言うと、アーヴィングがライルを担ぎ、訓練場を出ていった。

 その後の空気は最悪だった。

 兵士たちは俺に対して明らかに侮るような視線を送ってきたが、何も言わずに指示を待っていたからだ。


 次の日、迷宮管理事務所長が抗議にやって来た。


「今回のようなことを繰り返すなら、管理事務所長の権限で指揮権を剥奪の上、スタウセンバーグ駐留軍の連隊長の下に移送する」


「やれるものならやってみろ」


 事務所長は一介の騎士に過ぎず、魔導伯家の次期当主である俺をどうこうできるはずはない。


「実家の力でどうにかしようと考えているならやめた方がいい。既に君の父上であるエクレストン魔導伯にも上を通じて抗議の文書を送っている。それに連隊長であるオルドリッジ男爵にも話は通している。君がしていることを説明したら憤慨していたそうだ」


 手回しの良さに苛立つが、俺が危機的な状況にあることだけは分かった。


「了解した。今後は手を出さん」


「その言葉に偽りがあれば、必ず更迭するからな」


 その夜、俺は自室で荒れ狂っていた。


 そこに思いもかけぬ方が現れ、俺は奴に対する暴行をやめざるを得なくなった。

 しかし、それでも魂の底から湧き上がる奴に対する殺意に似た感情を消すことはできなかった。

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