第九話「訓練」

 午前中の魔導具製作と魔術の補助スキルの訓練を終え、次は戦闘訓練の番になる。

 2ヶ月間の剣術の訓練で多少体力は付いたけど、学院時代を含め、肉体を鍛えることはあまりしていなかったから、少し憂鬱だ。


 昼食を摂った後、戦闘訓練を行う場所に向かう。

 場所はモーゼスさんの店に近い広場の一画で、数人の探索者シーカーらしき人たちが思い思いに身体を動かしていた。


 案内してくれたアーヴィングさんに「あなたが教えてくれるんですか?」と聞くと、


「仕事をしなくちゃいけないから僕じゃない。もうすぐ来るはずだ」


 その直後、僕たちの方に歩いてくる人物がいた。


「お待たせした」と言って現れたのは、何とローザさんだった。


 彼女は昨日と同じような侍風の着物を着ているが、上着の袖の部分が邪魔にならないよう紐で押さえている。そして手には二本の木剣があった。


 同い年の女性に習うということで、僕が戸惑っていると、アーヴィングさんが笑いながら説明する。


「これでも“剣聖”の称号を持っているんだ。それに人に教えるというのは自分を見つめなおすことになるから、教える方にもメリットはあるんだよ」


「その通り。それがしが責任を持って指導させていただく。まずは某の技を見てもらおう」


 半信半疑だったが、ローザさんの素振りを見て思わず目を見開いてしまう。

 美しい所作からの斬撃は鋭く、空気を斬り裂く音が彼の耳を打つ。


「壱の型……」と言って、横薙ぎの斬撃を繰り出す。不思議なことに剣から水が噴き出していた。


「あれは気にするな。無駄に魔術を組み合わせているだけだからな。だが、剣捌きは凄いもんだろ」


「確かに……」


 素人である僕にも無駄のない動きであることが分かる。


「ローザ! 後は任せた!」と言ってアーヴィングさんは店に戻っていった。


「承った」と答えると、僕の前に立ち、


「基礎体力を付けねばならぬが、まずはどれほど剣が使えるか確認させていただく」と言い、木剣を渡してきた。


「習った型で素振りをしてくれぬか」


 言われるまま、シャンドゥで習った型の素振りを始める。

 一分ほど振り続けたところで、「そこまで」とローザさんが声を掛けた。

 美しい顔の眉間にしわが寄り、厳しい目つきで僕を見ていた。


「それにしても酷い。ライル殿の師は何を考えておったのだ」


「どういうことですか?」


「そもそも剣の握り方からおかしい。ライル殿は右利き故、今の持ち方とはまるで逆。今の握りは左利きのものなのだ。それに刃筋が立っておらぬ。このように持ち、刃が当たるように振り下ろさねば、どれほどの名剣であっても何も斬れぬ」


 ローザさんと同じように木剣を持ち、軽く振ってみた。


「振りやすい……」


 その違いにそれ以上言葉にならない。


「でも、師匠はこれを繰り返せと……どういうことなんだろう……」


「今は考える時ではない。とりあえず、武術の素養が全くないわけではないことが分かった。だが、基礎体力がない。まずは体力をつけねばならん」


「何をしたらいいんでしょうか?」


「走り込みだ。某と一緒に町の周囲を走るのだ」


 そういうといきなり走り始めた。

 慌ててその後を追うが、すぐに息が上がる。


「その程度で音を上げておっては父上たちの訓練には付いていけぬぞ。全集中で呼吸をするのだ」


 全集中で呼吸をするという意味は全く分からなかったが、息を大きく吸い込むことが大事だと解釈して走り続ける。


 それから30分間、休むことなく走り続けた。

 これほど走ったのは生まれて初めてで、肩で息をしながら何度も転びそうになった。

 噴き出す汗が飛び散り、目の前が暗くなっている気がしていた。


 スタートした広場に戻ったところでランニングは終わりを告げた。


「よし。それでは一度休憩する」


 そう言われた瞬間、僕は地面に大の字になって寝転がる。

 僕を見下ろすローザさんの息はほとんど乱れておらず、汗すら掻いていない。


「迷宮では戦闘を行いながら、一日に10キロメートル以上歩く。強敵に出会えば、全力で逃げることもあるそうなのだ。足腰を鍛えることはシーカーにとって最も重要なことと心得た方がよい。他にも身体の柔らかさも重要だ」


 そう言って足を開いて地面に座るように言われた。


「某が背中を押す故、限界まで身体を前に倒すのだ。ではいくぞ」


 ローザさんが僕の背中を押すが、なかなか前に倒れていかない。


「ライル殿は身体が硬すぎる。全力でいくので息を吐きながら身体を前に倒すのだ」


 そう言って僕の背中に乗るように密着する。

 甘いような匂いと背中に柔らかいものを感じ、驚きのあまり身体が動かなかった。


「何をしておるのだ」と言われて、先ほどと同じように身体を前に倒すが、背中が気になって集中できない。


 30分ほどそれを続けた後、腕立て伏せや腹筋運動、広場に生えている木の枝を使った懸垂などの筋力トレーニングを行う。

 密着しなくてよくなったので少し気は楽になったけど、どれも満足にできず、気分はドンドン落ち込んでいった。


「うむ。これは毎日、某が指導せねばならんようだ」


 その日の夕食はあまり喉を通らなかった。


「ずいぶんしごかれたようだね」とモーゼスさんは笑うが、僕としてはシーカーとしてやっていけるのかと不安になっていた。


 夕食後、ドワーフの鍛冶師と顔を合わせた。

 名はグスタフ・ドノヴァンさんといい、アーヴィングさんと飲むためにやってきたらしい。

 とりあえず挨拶だけして、その日は泥のように眠った。


 町に到着してから五日が過ぎた。

 その間、午前は魔導具作成と補助スキルの修行、午後はローザさんと基礎体力作りを続けている。


 初日は死ぬほど辛かった基礎体力作りだが、今では少し楽しみに思っている。それはローザさんと一緒にいられるからだ。

 しかし、嬉しさの反面、悪いとも思っていた。


「僕の相手をしてくれるのは助かるんだけど、ローザさんの修行の邪魔をしているんじゃないかな」


「そのことであれば問題はない。某も午前中は師から学んでおるゆえ」


「アーヴィングさん以外にも先生がいるっていうこと?」


「うむ。我が家のメイド、アメリアは腕のいい剣術士でもあるのだ。父上がいない時には彼女から指導を受けている」


 彼女の両親ラングレーさんとディアナさんはローザさんが18歳になるまでは実戦に出さず、訓練によってステータスとスキルを向上させる方針を採っているらしい。


 レベルアップによってステータスが上がるが、初期値が高ければ高いほどレベルアップ時の上昇率は大きくなるためで、低レベルのうちはできるだけ魔物を倒さず、基礎トレーニングに力を入れるのだそうだ。


 この方針は比較的一般的だそうで、短命種である僕たち普人族ヒュームでは15歳、ローザさんのような長命種である竜人族ドラゴニュート森人族エルフでは18歳から20歳まで実戦に出ず、ステータス向上を目指すことが多いと教えてもらった。


 午後の訓練を終えた頃、珍しくモーゼスさんが広場にやってきた。そして、ローザさんに話しかける。


「今日はラングレーさんたちが迷宮から出てくる日ではなかったかね」


「予定ではそうなっておりますが?」


「すまないけど、ラングレーさんに話があると伝えてくれないかな。ライル君のことで相談したいことがあるのだ」


「承った。そろそろ迷宮管理事務所に戻っておるはず。今から迎えに行ってまいります」


「なら、ライル君も一緒に連れていってはどうかな。一度も管理事務所を見たことがないだろうから」


「なるほど。では、ライル殿。一緒に参ろうか」


 僕はなぜ自分が一緒に行かなければならないのか疑問に思ったものの、ローザさんと一緒にいる時間が増えることに異存はないため、素直に従った。


■■■


 見送ったモーゼスに、後ろからアーヴィングが声を掛ける。


「いいのかい。一緒に行かせて。娘に悪い虫が付いたとラングレーが切れるんじゃないか?」


 そう言いながらニヤニヤと笑っている。


「大丈夫でしょう。ディアナさんもいることですし」とモーゼスも笑みを浮かべている。


「確かにね」


「それにライル君を見たら、すぐにでもここに来るでしょう。ですから、すぐに話ができます」


「確かに事情を説明しろって怒鳴り込んできそうだな」とアーヴィングは笑う。


 モーゼスは真面目な表情に変え、


「しかし、ラングレーさんが受けてくれるか不安ですね」


「ああ。七賢者セブンワイズが絡んでいると聞いたら、手を引くかもしれないな」


 アーヴィングも表情を変えていた。

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