ア・カップ・オブ・ダージリン

りずべす

Before Menu 『CAFE: TEAS 4u』

『CAFE: TEAS 4u』

 四月も後半に入った頃。

 いくぶん暖かくなり始めた大気を肌で感じながら、俺は流し台で洗い終えたティーカップの水滴を布巾で丁寧に拭き取っていた。

 店内には、カウンターに座って読書をしている女性のお客が一人。窓から吹き込んでくる春らしい爽風に、ふと顔を持ち上げて外を見る。

 時刻は、昼下がりから夕方へ移り変わろうというところ。

 彼女は本を閉じ、空になったティーカップにポット、それからケーキプレートを片付けやすいようにまとめると、立ち上がって俺を呼んだ。

「マスターさん。お会計、お願いします」

 入口横のレジで財布を手にする彼女は穏やかな満足顔。

 俺はその様子に、小さな達成感と喜びを感じて満たされる。

 やがて彼女は、淡いドアベルの音を鳴らして店から出ていった。同時に、年季の入った木製のドアプレートがカランと揺れる。

 そのドアプレートには、この店の名前と、ちょっと気取ったコンセプト――いわば店訓のようなものが彫られている。

『CAFE: TEAS 4u

 あなたのために紅茶をおいれいたします』

 名前も訓も、どちらも先代から受け継いだものである。


 ここは都市近郊に店を構える個人経営のカフェだ。

 その昔、丘を切り開いて作ったと思われる住宅街の、中腹あたりに建っている。

 駅からほどほどの距離にあることも手伝ってかほどほどの客入りがあり、先の女性客のような常連もいくらかいる。それと、得意としている紅茶の味を聞きつけて遠方から足を運んでくれる通も、稀に。

 都心のチェーン店とは比べるべくもないが、慎ましくやっていく分には恵まれた環境にあるといえよう。

 店主は自分。従業員なし。

 建物は築二十年以上経っているが、作りが良いため今も非常にしっかりしている。深みのある濃いブラウンを基調とした、三角屋根のログハウス調、ワンフロア。

 高い天井には堅固かつ洒落た木組みが施されており、暖色の照明とセットになったシーリングファンがゆったり浮かぶように回っている。

 東側の入口から見て右手にレジ。その下にはケーキの並んだガラスショーケースがある。続いて奥に店主と向かい合わせのカウンターが六席。後ろの壁には格子棚が設けられていて、色とりどりのティーカップがまるで美術品のようにディスプレイされている。さらに奥の棚には、紅茶葉を種別に保存した缶がいくつか。

 また左手を見れば、円い卓とそれを囲む四脚の椅子がニセット。書籍や雑誌の並んだ本棚を挟んで、その奥にボックス席が一つ。いずれも店全体の落ち着いた雰囲気を崩さないシックな色合いで、木製の素材感が生かされたインテリアだ。壁面はその多くが窓となっているため、南からの光で店内をより解放的に見せてくれる。

 これに加えて、入口から店内を真っ直ぐに突っ切った先、西側にもドアがある。そのドアから外へ出ると、小さなバルコニーのような野外席に辿り着く。店舗から伸びたひさしの下に、一組分の卓と椅子。眼下には丘の斜面から臨む俯瞰の街並み。頭上は空と、脇に植った楓の葉。この楓の木は人の背をも軽々と超す大きなもので、秋ともなればそれはそれは見事に景色を赤く染めるが、春は春で青々とした葉を茂らせながら、小さなブーケのごとく白い花を咲かせる。

 俺はその様子を見ながら、無人の店内を一通り整えて回った。

 庭先に出ると、去年まで見覚えのなかった菜の花が揺れているのに、今になって気づく。おそらくは風で種が飛んできたのだろう。

 ついでに隣接して建つ家の厨房からケーキを持ってきてショーケースに補充し、格子棚のティーカップをいくつか布巾で拭きつつ過ごす。しかしそれでもお客が訪れないとわかると、茶葉を取り出して自分用に紅茶をいれた。

 平日のこの時間は、一時的に客足が途絶える。勤め人はまだ仕事だし、主婦なら家で夕食の準備を始める頃だろう。

 小休止にふっと息をつき、けれどもやがて、一つの足音とともに店の扉が開かれた。

 俺は立ち上がり、笑顔でお客を迎え入れる。

「いらっしゃい」


 ようこそ、カフェ『TEAS 4u』へ。あなたのために、紅茶をおいれいたします。

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