01-09. 勝利の魔女、来たる?
三河屋の総力で挑んだ夜を徹した作業は、なんとか形になった。
朝日に目を細める直人が、欠伸を噛み殺しながら白いマシンドレスの
「……よし、
横で作業を見ていたジュネルフは怪訝な表情だ。
「自分が作業に参加しているから解るが、残り半歩踏み込み切れていない感じがするぞ」
「だから今日は、後は野となれ山となれの心で挑もう」
「さすがにそれは無責任がすぎる」
「すまない。言い直そう。
人事は尽くしきれないが天命を待つ」
「よし。お前は疲れているんだな。
もう少し寝ておけ。
そこで倒れているジョージも連れてな」
「ろじゃー、しすた」
結局完全徹夜でグラビリティサーフボードのアップデートをしたジョージ・セントニアは、もれなく轟沈していた。
彼を引きずってグランドガレージピットの裏手にあるチーム・マッハマンのフライトランスポーターに向かう。
直人が入ろうとすると、入れ替わりで休んでいた松平元康が出てきた。
「おはようございます。直人さん」
「おはようさん。オレたちはこれからおやすみなさいだ」
「レースが始まる前には起こしますから、ゆっくり休んでくださいっす」
「ありがとうな。
何か問題があったら遠慮なく叩き起こしてくれ。
主にジョージを」
「では必要になったら、躊躇なく直人さんをぶっ叩くっす。
そういえば、翔子さんの件はどうなっているんっすか?」
「ねえさんのスタッフパスは、昨日のうちにグライブさんが手配して送ってくれた。
そろそろが到着するんじゃないか」
「わかりました。連絡が来たらピットに案内しておきます」
「色々苦労をかけてすまん。
これが終わったら個人的にも何か奢るぜ」
「簡単に約束していいんっすか?
値の張るものを要求しちゃいますよ」
「現在の労力に見合った報酬で懐が暖まる予定だ。
どんと来い」
笑い合いながら直人と元康がすれ違う。
トランスポーターに入った直人は、簡易ベッドにジョージを寝かせた。
おそらく老執事が用意してくれた毛布があったので、これをジョージの上にかける。
自分はもう一つ毛布に包まると、空き席に座る。
リクライニングを目一杯倒して目蓋を閉じると、すっと寝入った。
思っていたより疲労していたと感じる心は、眠気によってあっけなく霧散した。
イーストエンドグランプリの地上基地であるグランドピットガレージ。その入口。
「いざ懐かしの戦場へ」
大きなサングラスを掛けた長身の女性が拳を上げる。
「おつかれさまでーす」
出入口の警備員に挨拶しながら、首下げのパスケースを自動改札に付ける。
認証の軽い電子音が鳴りストッパーが開く。
「うわー。ほんとうに久しぶりだなー」
本戦レース前の緊張した空気に懐かしさを感じる女性。
「それで本日あたしがお仕事するチームガレージはっと……。
あっちだよね」
自分の中に残る記憶と経験則を頼りに歩き出す。
「よっし、ピット到着。
それで問題のチームはどこかなー」
今一度パスポートに書かれたチームナンバーを確認する。
「27番ガレージって最後番よね。
スポット参戦枠とか言ってたけど、申し込み期間ぎりぎりで突っ込んだとかマジみたい」
本戦に向けてエアリエルたちが準備する様子を眺めながら、奥まで歩いてゆく。
顔見知りを見つけて声を掛けた。
「ジュネちゃーん。おはよー」
「いらっしゃいませ。おはようございます。翔子さん」
赤毛をお下げに結んだジュネルフ・マルガレッガが、丁寧に頭を下げて挨拶を返した。
「直人の急な呼び出しに応じて頂き、大変ありがとうございます」
「やだなー。そんなに堅苦しくしないで」
「あなたは事務所の先輩からはじまり、多くの敬うべき立場ですから」
「ジュネちゃんはほんとうにまじめよねー。
でも今日は同じチームの仲間、同僚の立ち位置なんだから気軽にね。
あたしのことは
下手に畏まるとバレちゃうかもよ」
「……善処はします」
苦しい笑顔のジュネルフ。
翔子はサングラスを少し押し下げて、上目遣いでジュネルフに笑いかける。
元康もゲストの到着に気がついた。
駆け寄って挨拶する。
「おはようございますっす。翔子さん。
わざわざご足労をすみません。
入口から連絡してくれれば、迎えにいきましたのに」
「元康くんも態度が固いぞー。
もっとフレンドリーにいこうよ。
あたしも久々にレース場を見てみたかったから、自分の足で歩けてよかったわ」
うんうんと頷く翔子。
サングラスを外して周囲を見渡す。
「ところで直人くんはどこにいるの?」
「今はポーターで休んでいるっす。
徹夜でAFのメンテナンスをしたっすから」
「そんな無茶をしなくちゃいけない状態なんだ。
これは軽いアドバイザー気分じゃなくて、本格的なコーチングを考えるべきかしら」
「直人さんからどれぐらい話を聞いているっすか?」
「ハチャメチャな子がいるから、面倒を見てくれないかってだけ。
昨日の連絡から、急いでここまで飛んできたから何も知らないわ。
エスメカランにも
「それはまた、大変恐縮っす」
「いいの、いいの。
珍しく直人くんからの頼みだもん。
おねえちゃん、がんばっちゃうから」
鼻息荒く気合を入れる翔子。
丁度フライトランスポーターから老執事を伴って、ラフィーが出てきた。
ラフィーは翔子を見つけると近づき挨拶をした。
「おはよう。アマノカケル。
わたしがラフィー・ハイルトン・マッハマンです。
こっちは侍従のグライブ。
本日はよろしくお願いいたします」
「はい。おはよう。お嬢様。
だけど、今日のあたしは新垣翔子よ。
ここには内緒で来ているから、昔の名前は控えてね」
「わかりました。では、翔子と」
さすがのお嬢様も
ラフィーをしげしげと見ていた翔子が、いきなりがばっと抱きついた。
驚くラフィー。
「えっ、ちょっと、なんなの?」
「いやーん。かわいいー。
なにこれ、なにこれー。お人形さんみたーい。
お肌もすべすべで気持ちいいー。
キスマークつけちゃお。
あ、おっぱい意外とある」
ラフィーの体中を
ついでに胸も揉む。
「きゃー、変態へんたいヘンタイ!
いきなりなにをしてくれるのよっ!」
「おづぉっ……」
翔子の脇腹にエルボー入れて拘束を脱したラフィーが、抱きつかれた際に落ちたスタッフジャケットを拾い身を守る。
一方で翔子は涎を拭いつつ不気味に笑う。
「ぐへっへっへ……。
今日一日あなたの身体はあたしのモノなんだから、覚悟しておくことね。
人前では言えないような、すごいことしちゃうぞ」
「ひぃっ……!」
怯えるお嬢様を庇うためか、グライブが前に出る。
「みなさま。朝食の準備が整いました。
どうぞお召し上がりください」
いつの間にかガレージ内にある不釣り合いなテーブルセットに食事が用意されていた。
そして、ケダモノからラフィーを守れなかった屈辱から、翔子に対して虎のイメージで燃える気合を発する。
「アプサラスと聞いて油断してしまいました。
以後お嬢様への狼藉は断固阻止させていただきます」
翔子はワオキツネザルのオーラで受けて立つ。
「すごくデキる腕前だねえ。執事さん。
いいじゃない。オンナならいつかは通る道。
今日が運命の日だったのよ」
交差する視線で熱い火花を散らす執事と魔女。
ジュネルフと元康は何もなかったかのように、ラフィーをテーブルに誘う。
「さあお嬢様。せっかくの朝食だ。ありがたくいただこう」
「やっぱり一日の始まりはこれっすよね」
「え、えっ?
あれは本当にアマノカケルなの?」
「翔子さんはジョージと似て非なる
そっとして置こう」
「簡単には治らないっすからね。あの病気は」
知り合い二人の蛋白な反応にラフィーは落胆する。
「……わたしの中でアプサラスへの憧れが崩れ去ってしまったわ」
「初代ガブリールへの敬意を失わないでくれれば良い」
「天空の乙女といっても、一人の人間なんっすよ。
と、苦しいフォローを入れてみるっす」
三人でテーブルに着く。
テーブル上の朝食は、焼き上がりクロワッサンとバケットサンドの選択式だった。サイドとしてサラダに温かいカップスープ。
ピットガレージという限定された空間でどうやって用意したのか疑問が出てくるメニューだが、美味しそうには違いない。
簡単な祈りを捧げ、いざ食べようとしたその時。
「ちょっと待ちなさい!
レースに出るお嬢様が普通に食事するのはNGよ」
翔子のストップが入った。
「ほんとうにこのレベルからの指導が必要なのね。
おねえちゃんはびっくりしたわ。
ジュネちゃんもAFが操縦できるんだから注意してよね」
困惑するジュネルフが質問する。
「いったいなにが問題なのでしょうか?」
「飛翔前に食べ物を詰めないのは常識でしょ」
「それは知っています。
しかしまだレース開始まで時間があります。
消化できるのでは?」
「本番が何時からだろうと数日前から準備しておくものなの。
レース中の戻しやモヨオシは厳禁。
消化器官を空っぽにするのは簡単じゃないんだから。
昨日まで通常の食事をしていたとしても、せめて今からは調整してもらうわ。
これはエアリエルとしての忠告、いいえコーチ命令よ」
翔子がはっきりと言い切った。
ラフィーは疑念の目で見る。
「コーチというのは食事にまで指示を出すの?」
「勝負するなら、勝ちたいのなら、そこまでやる。
実際にあたしは、そうしていた」
経験者の
「かといって何も食べるなとは言わないわ。
レースは体力を使うんだから、栄養を取らないわけにはいかないし。
この矛盾をどうにかするのが、あたしの仕事ってわけ。
いいわね、この感じ。
懐かしくて楽しいわ」
不敵に笑う元エアリエル。
「執事さん。ゼリー飲料とか用意できます?」
「すみません。今すぐとはまいりません」
「ならミルクはありますか?
このメニューなら、パン粥に変えられるわ」
「ご用意いたします」
「後、レース前までに塩飴と氷砂糖もお願い」
翔子は次々にグライブへと指示を出す。
今度はラフィーたちに向き直り、拳を突き出す。
「もうレースは始まっているのよ。
全員気合を入れなさい」
テーブルに座る三人は、翔子の気迫に黙って頷くしかなかった。
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