黒薔薇の魔女 ~クラスメイトのお嬢様は魔女でした。そして、私も魔女になるようです~
木山楽斗
第1話 月夜の怪物
逃げなければならない。暗い夜道を走りながら、私はそのように思っていた。
私の後ろから迫ってきているのは、この世のものとは思えない化け物だ。漆黒の巨体に、顔の部分に仮面のようなものがついているその姿は、明らかに異様である。
それが何者なのかなどはわからない。ただわかるのは、捕まれば命がないということだけだ。だから、私は必死に走っているのである。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は普通に塾から帰ろうとしていただけのはずである。それなのに、何故このようなことに巻き込まれたのだろうか。
「うっ……」
そんなことを考えながら走っていた私だったが、足を止めることになってしまった。なぜなら、地面にあった小石に足が引っかかり、転んでしまったからだ。
どうやら、走り続けていたため、限界がきていたらしい。転んでから、私はまったく起き上がれないのだ。
私が力を入れようと頑張っている間も、怪物は迫ってきている。このままでは、追いつかれてしまうだろう。
「逃げないと……」
私は、地を這ってでも進もうとした。だが、それで逃げ切ることなどできないだろう。流石に、速度が足りなすぎる。
「グルル……」
「あっ……」
そんな私のすぐ後ろまで、怪物は来ていた。そして、その大きな腕を、ゆっくりと私に伸ばしてくる。
私は、ゆっくりと目を瞑った。最早、どれだけ這っても逃げることはできない。私は、ここで終わってしまうのだ。
「グル……?」
「……え?」
しかし、私に迫って来ていた手は、いくら待っても来なかった。それどころか、怪物が驚いたような声をあげている。
何かが起こったのだ。それはすぐにわかった。私は状況を確認するために、ゆっくりと目を開ける。
「これは……?」
「グルル……」
私の目に入ってきたのは、怪物の腕が空中で制止している光景だった。当然、怪物がただ手を止めることはない。そのため、何か理由があるはずなのだ。
そう思ってよく見てみると、怪物の腕には何かが巻き付いている。それは、植物の蔦のようなものだ。
私は、訳がわからなくなっていた。何故そんなものが生えてきているのか、何故それが怪物の腕を止めたのか、色々な疑問が頭の中を駆け巡る。
だが、ただ一つわかっていることは、私がまだ生きているということだ。怪物の手が振るわれなかったということは、私にまだ逃げられる可能性が残っているということだろう。
「グルアアアア!」
「ああっ!」
そう思っていた私の目の前で、怪物は腕に絡みついた蔦を引き千切った。かなり大きな植物だったが、それを握り潰したのだ。
薄々わかっていたことだが、あの怪物の力は恐ろしいものである。あの手に触れられたら、私など粉々になってしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら、私は体を起こそうとした。逃げなければいけないからだ。植物で締め付けられていたためか、怪物は少し怯んでいる。その隙に、できるだけ逃げるのだ。
「え……?」
そう思って、体を起こした私だったが、走ることはできなかった。なぜなら、私の前方に一人の女性が立っていたからである。
その女性は、明らかに普通ではなかった。三角の帽子に、仮面、それにマント、どれも普通の人が身に着けるようなものではないだろう。
仮面によって隠されているため、その顔は見えない。だが、その体つきから女性であることは明白である。
魔女、率直に私は女性にそのような印象を抱いた。その見た目から、おとぎ話に出てくるような魔女としか、思えないのである。
「下がっていなさい」
「え?」
「
魔女の格好をした女性は、私に対してそのようなことを言ってきた。どうやら、私は彼女の後ろにいた方が安全らしい。
その言葉を放った後、魔女は私の横を通り過ぎて、怪物の前まで出て行った。彼女は、怪物を一切恐れていない。恐らく、その怪物のことを知っているのだろう。
「マジョメ……ジャマヲスルキカ?」
そこで、怪物はそのように言葉を放った。その言葉に、私は色々と驚いた。
そもそも、怪物が喋れたことが驚きだ。しかし、今はそれよりも目の前の女性を表現した言葉が気になった。
怪物も、彼女のことを魔女と称したのだ。やはり、彼女は見た目通りの魔女であるらしい。
「ええ、当然、邪魔させてもらいますわ」
「トウゼンカ……」
「あなた達に好きにさせる訳がないでしょう」
怪物に対して、魔女は堂々と返答した。だが、それだけではない。魔女は言葉とともに、腕を振るっていた。
それに反応するように、地面からは蔦が生えてきていた。先程の蔦は、この魔女が出していたのだ。
「ウグッ……」
「さて、このままあなたの体を砕いて差し上げましょう」
「コノテイドデ、ズニノルナ……」
生えてきた蔦は、怪物の体に絡みついていた。しかし、怪物はまだまだ余裕そうだ。恐らく、先程引き千切れたため、問題ないと思っているのだろう。
だが、同じように魔女も余裕そうである。その蔦が引き千切られるとわかっているのに、そんな態度なのだ。これは、魔女の方も何かあるということなのだろう。
「また引き千切れるとでも、思っていますの? だとしら、あなたはとんでもなく哀れですわね?」
「ナニ……?」
「己の力量もわかりませんの? あなたが私に適わないことなど、簡単にわかるはずでしょう?」
怪物に対して、魔女は堂々とそう返した。そのことに、怪物は少し怒っているようにも見える。
魔女と怪物の力量差は、私にはまったくわからない。しかし、なんとなく本当に魔女が優勢であることは予想できた。
なぜなら、その魔女の堂々とした立ち振る舞いが、そうとしか思えない程、見事だからである。この余裕で不遜ともいえる態度をしても愚かとは思えない何かが、この魔女にはあるのだ。
「ナラ、イマカラオレノリキリョウヲショウメイシテヤル……」
魔女の態度にいらついた怪物は、その体に力を入れて蔦を破壊しようとした。
だが、その蔦は一切動かない。それは、魔女と怪物の決定的な力の差を表しているかのようである。
「バ、バカナ……」
「さて、あなたの無駄な努力も終わったことですし、そろそろ決着をつけるとしましょうか……」
「マ、マテ……」
魔女の言葉とともに、目に見えて蔦の締め付けは強くなっていた。その締め付けにより、怪物の体が砕け散るのも、時間の問題であるように思える。
恐らく、怪物も必死に対抗しようとしているのだろう。しかし、抜け出せるようにはまったく見えない。
「ヤ、ヤメロ……」
「断りますわ」
「ウグアアアア!」
魔女の無慈悲な一言の直後、怪物は砕け散った。蔦の締め付けに耐え切れず、体が千切れたのだ。
結局、怪物は魔女にまったく対抗できていなかったといことである。やはり、魔女との力量差はかなりのものだったのだろう。
「さて……」
全てが終わった後、魔女はゆっくりと私の方を向いてきた。
仮面によって、その表情は見えない。しかし、敵意がないことだけはわかる。
「えっととりあえず、ありがとうございます」
「気にしなくてもいいですわ。私は当然のことをしたまでですから」
「……一つ聞いてもいいですか?」
「あら? 何かしら?」
敵意がないと思えたため、私はすんなりと魔女に話しかけられていた。ただ、それだけが理由であるという訳ではない。
私が魔女に話しかけられたのは、その魔女の正体がある人ではないかと思っているからだ。その人とそこまで親しい訳ではないが、知っている人と思っていると、不思議と普通に話せるものなのである。
「
「あら……」
私が言った名前に、魔女は少し驚いたような反応を示してきた。その反応は、図星であるように思える。やはり、彼女は千堂院黒薔薇さんなのだ。
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