第33話 獅子身中の虫


 日が落ちるまでに視力が戻ってきた。フィガロの輪郭がぼんやり浮かんだ時は、感動で涙が出た。


「フィガロ、怪我ない?」


「うん! エクレールさんのおかげで大怪我した人も出なかったって」


 左耳がまだよく聞こえないけど、嬉しい報告だ。ここは海岸に仮設された天幕らしい。衛生兵が忙しく働いている。意識を失う前の光景を確認したい。


「メアリーはどこ?」


「え? さっきまでここにいたけど」


 メアリーは海岸で負傷者の治療に当たっていた。直感的にあいつが関わっているとわかったので、迷いなく近づく。


「あら、エクレールさん、起きたんですか。ご無事で何よりです」


 白々しく笑うメアリーの背中に、拳銃を押し当てた。


「おやおや、いつかの夜とは逆になってしまいましたね。少しお待ちを。丁度負傷者の手当てが終わるところです」


 拳銃を突き詰けられても、メアリーは滞りなく治療を終えた。それを待って、調印式を行った岬に移動する。洋上の傷ついた船の背後では、夕日が沈もうとしていた。


「どうして我々は、こうしたやり方でしか語り合えないんでしょうねぇ」


「とぼけるな。ガーゴイルをけしかけて、魔剣に変な細工しただろ。そんな真似ができるのはあんただけだ」


 メアリーは両手を上げたまま、あっさり認めた。


「お察しの通りです。でも仕方ないじゃないですか。好奇心には勝てません」


 メアリーは魔剣の一部を取って、それを灯台から飛ばしたと白状した。どうりで魔剣の威力が弱かったわけだ。


「イかれてるのか。フィガロや兵に当たってたらどうする気だ。アレンの面子も潰すことになるんだぞ」


「ああ、それは大丈夫ですよ。この件はアレン殿下もご存じですから」 


 頭が真っ白になる。アレンの乗る豪勢な船が一隻島を離れていく所だった。


「今回の条約、グランガリアが一方的に折れたようで外聞が悪い。国内ではそういう考えが支配的でした。アレン殿下も必死なのですよ。条約は成立させたい、でも素直に頭を下げる姿勢も国内では反感を買う。それでエクレールさん、貴女に白羽の矢が立ったというわけです」


 精霊を倒す魔剣の使い手は、グランガリアの格好の宣伝になる。あたしはアレンに利用された?


「謀反人の娘に手柄を上げさせるなんて、アレン殿下はとても寛容な方ですね。これが愛なんでしょうか、どう思います?」


「口を閉じろ。このまま頭を吹き飛ばしてもいいんだぞ」


「できますかねぇ。アレン殿下は魔剣の魅力に取り付かれてしまうでしょう。貴女も断れないはずです。愛ゆえに。でもその愛はフィガロ君を傷つけてしまうかも。そうなったらどうしますか」


 あの稲妻が人に対しても使えると、アレンが気づいたとしたら、カールベクルクに向けて撃つこともありうるのか。


「そんなことは絶対にさせない。魔剣もフィガロもあたしが守る」


 メアリーは銃口を掴み、自分の額に押し当てた。


「良い答えです。私を殺しても、十分責任を果たせそうですね」


 秘密を言質に、心理的な負担をかけてくる。確かにあたし一人でアレンを抑える自信はない。


 それで命を助けろと言うのか。油断するとこいつに丸め込まれそうになる。


「どちらにも良い顔して、結局、あんたは誰の味方なのよ」


「私は私の本能に従うだけです。そのためなら王子だろうが、なんだろうが利用しますけどね」


 こういうのなんて言うんだっけ。たしか獅子心中の虫。この女はそれにぴったりだ。


「王にでもなるつもり?」


「そんなものに興味はありません。私は世界の秘密を解き明かしたい。そのためにはもっと上に行く必要があるんですよ。エクレールさん、アレン殿下に内緒で協力しませんか。私に協力してくれたら、貴女のお父様の無実を晴らす手助けをします」


 あたしの家の問題に首を突っ込んで何の得がある。仮にあたしがいなくても、魔剣はもうこいつの手にあるようなものだ。


 こいつの狙いは、あたしを使ってアレンを監視することなんじゃないか。そうだとしたら、協力するのは得策じゃない。でも、あたしは拳銃を下ろして即答した。


「わかった。あんたの提案に乗るよ」


「よく考えなくていいんですか? これからも危ない橋を渡ることになります。命の保証もできないですよ」


「それはあんたも同じだろ。覚悟はいいのか」


 聞くまでもないことだった。こいつは既に国の内情を知りすぎている。信頼はできないが、利用する価値はある。


 それに、ママは王宮に悪魔がいると言っていた。どのみち王宮を探ろうと思っていた。だったら、早い方がいい。


「意外。アレンは裏切れなぃーとかごねられると思っていたので」


「そんなにウブに見える? アレンを振ったのも作戦よ」


「あら、頼もしい。それでこそ同盟を結ぶ価値があるというもの」


 アレンに対する気持ちと、フィガロを守りたい気持ち。この時のあたしは、どっちに傾いていたんだろう。

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